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海と少女  作者: 緋色ざき
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イルカショー

「レディースアンドジェントルメン。今日は南水族館のイルカショーにお越しいただきありがとうございます。まずは自己紹介から。こちらが雄のイルカのジョーくん。そして、こちらが雌のイルカのメアリーちゃんです」 

 ジョーとメアリーはその紹介が終わるやいなや波を立ててジャンプし、飼育員の女性の前へと戻ってきた。前方の席へ水しぶきが上がったみたいで、叫び声が上がる。

 ただ、僕と海里のいる席はかなり後ろの方で、水とは全く無縁の場所である。

「ジョーとメアリーってアメリカっぽい名前だねえ」

 海里がそんな感想を述べる。たしかにそうだ。

「もしかしたら、あっちの方が出身地なのかもな」

 僕が冗談でそう返すと、海里が首を傾げた。

「イルカって、アメリカの方にもいるのかなあ」

「さあ、どうだろ」

 イルカは海に生息しているのだからアメリカのどこかの海岸の近海でも間違いなく見ることはできるだろう。ただそもそもアメリカの海で捕獲したイルカがここの水族館にいるわけがない。きっと水族館のオーナーがアメリカかぶれなのだろう。そうだ、そうに違いない。

「ちなみに、海里だったらなんて名前をつけるんだ?」

「そうだね……。帝とかぐやかな」

「いや、どこのかぐやひめだよ」

 きっと日本風な名前で帰ってくるとは思ったが、まさかそう返してくるとは。

 海里は僕のつっこみにあははと笑う。

 もし物語通りになるのであれば、雌のイルカは月に行ってしまうのだろうか。月にも海はあるけど、地球の海とは全く異なるものだが、果たして生きていけるのだろうか。

 そんなくだらないことを考えていると、僕らの二列前の席の少年と母親の会話が耳に入ってきた。

「すごいね、ママ。イルカさん、ジャンプして逃げちゃいそう」

「そうね。でもイルカさんはこの水族館が好きだから逃げないと思うわ」 

 なんとも微笑ましいやりとりである。

「イルカが逃げるか……」

 ふと、言葉が漏れてしまう。

「イルカは逃げられないよね」

 海里がそれを拾った。

「まあ、ガラスから飛び出しても、そこに水はないからな」

 すぐに飼育員の人に確保されてしまうだろう。だから、イルカは一生逃げられない。

「でもさ、仮に泳いでいけるとしてもあの二匹のイルカは逃げ出さないと思うんだ」

 水しぶきをあげながら華麗に宙を舞うイルカを眺めながら、そう言った。僕はその言葉の意味があまりよく分からなかった。

「それは、どういうこと?」

「きっとさ、この水族館っていう場所は言われたことさえこなせれば生きていく上で何一つ不自由のない場所で、つまりはぬるま湯なんだよ。あの二匹はその中で翼をもがれてしまったんだ」

 それは、ひどく悲しい話で、でもとても納得のできる話だった。

 僕はそれを聞いて、ふと小学生の頃のことを思い出した。

 あるとき、生き物のお世話をしようということで、先生が金魚を学校に連れてきた。水槽がクラスの窓側の一番の後ろのところに置かれて、僕らは当番制で餌を与えたり、水を替えたりした。

 そんなある日のこと。その日、僕は当番で少しだけ早く登校して水槽を確認した。そして、異変に気づいた。一匹、金魚が少ないのだ。慌ててあたりを見渡すと、水槽から少し離れた床で干からびて死んでいる金魚の姿があった。

 僕はすぐにそのことを先生に話し、その日の放課後、先生と何人かの生徒と学校の裏に金魚を埋めに行った。

 当時の僕は、この金魚の行動の意図がよく分からなかった。水槽の中にいれば、餌が与えられ快適に暮らすことができる。なのに、水槽から飛び出した。その先に待つのは死かそれとも水槽へ戻されるかだけなのにである。

 でも、いまなら分かる。その行動の意味が。いまにして思えば、愚かなのは死んだ金魚ではなく、水槽でのうのうと暮らしていた金魚たちだったのかもしれない。そして、それはこのイルカの話と類似している。

「そういう意味では、僕は飛び出した方なのかもしれない」

 きっと、同じ立場になってみて初めて分かることなのだ。僕も、あのときの金魚のように、家から飛び出したのだ。そして、干からびそうになりながらも生きている。

「飛び出せるっていうのは、羨ましいことなのかもしれないね。飛び出しても、同じレールに戻されてしまう人もいると思うんだ。どうあがいても、ある一つの道へ進むことしか許されないっていうさ」

 海里は寂しそうにそう言った。

 それはひどく残酷なことだと思う。

 道が一つしかないというのは、道がないのと同じことだ。

 僕は、飼育員に餌を与えられたイルカを見ながらふと思う。飛び出すことを捨てたイルカたちと飛び出しても戻される人。果たして、どちらが幸せなのだろうか。普通に考えれば、前者なのだと思う。

「でも、飛び出せばその先にいる誰かが手を差し出してくれるかもしれない」

 大家さん、伊勢原、先輩。家を出て会った人たちは僕に手を伸ばしてくれたのだと思う。その出会いは飛び出したからこそのもので、だから僕はここまでやってこれた。もしかしたら、いつか僕の前には救いの手を必要とする子が現れるのかもしれない。だから、

「僕も、誰かに手を伸ばせる人になりたいよ」

「そっか。じゃあもし困っている人がいたらちゃんと助けてあげるんだよ」

 もちろんだよ、と僕は答えた。そんな日がくるのかなんていまは分からないけど、もし困っている人がいたら迷わず手を伸ばそう。

 海里はそれに満足げに頷いて、それからイルカのショーへと視線を戻した。


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