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海と少女  作者: 緋色ざき
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掃除

「なんで僕は春休みのまっただ中にただ働きをしてるんだ?」

 さざなみ荘と書かれた看板を雑巾で拭きながら、ふとそんな疑問が口から漏れた。春休みにアパートの掃除をする大学生なんているだろうか。この時期の大学生といえば、車の免許を取ったり、サークルにいそしんだり、単位が足りなくて家で頭を抱えたり、何かしらのイベントに遭遇していてもおかしくないだろうに。まあ、サークルに所属せずアパートでのんびりとしている僕はイベントなんて無縁か。

「今日のお昼は、二人分かあ」

 いつのまにか僕の後ろに立っていた大家さんがぼそっと呟く。二人分。つまり、海里と大家さんの分。

「やだなあ、冗談ですよ。それで、次はどこを拭けばいいですか?」

 努めて笑顔を浮かべ、大家さんに指示を仰ぐ僕。

 大家さんの冷ややかな視線が刺さる。

「あっ、階段の方とかまだですよね。僕、やりますよ」

 沈黙に耐えきれず、階段の方を指さす。大家さんはそんな僕の姿に呆れたように大きなため息をついた。

「階段はいいから、部屋番号の表札の方をやって。文字が分かりづらくなってるところがあるから」

「了解です」

 そそくさと逃げるような足取りでアパートの方へ向かおうとするが、そんな僕の背中に声がかかる。

「ねえ、一帆。学校っていつからだっけ」

「えっ、あー、八日からです」

 何か小言が発せられるのかと思ったが、違ったみたいでほっとする。

「そっか、あと八日か。じゃあそろそろあいつも帰ってくるんだね」

 大家さんが独り言を呟く。あいつとは、僕の隣の部屋にすむ先輩のことだ。僕もその言葉で改めて実感する。あと春休みが八日で終わってしまうことに。ただ、別にそこに寂しさなんてない。むしろ、学校が始まることへの期待さえある。

 そうだ、学校と言えば。

 僕は部屋の前にたまった砂をほうきで掃いている海里の方へ向かう。

「なあ、海里は学校ってどうするんだ?」

 ほうきを掃く手を止めて振り返る海里。

「うーん、さぼるよ」

 さも当然のように言い切る海里。

「不真面目なやつだなあ」

 僕の言葉に心外だと言いたげな顔をする海里。

「そうじゃないよ」

 少し語気を強めて言い返してくる。

 何がそうじゃないんだろう。別に、ここから学校に通えばいいんだ。

 しかし、僕はここではたと気づく。

 海里は家出少女だ。学校に通ったら親にばれてすぐに連れ戻されかねないの。

普通学校に通っていなかったら学校側から何かしらの連絡が家にいく。家出したはずなのに学校から連絡が来なかった場合、海里の保護者はそれに不信感を抱き、海里が学校に通っていることを突き止めるだろう。そもそもの話として、行方不明届が出されていて、学校に行ったら確保される可能性もある

「気づいたみたいだね」

 僕の表情から察したようで、海里がそう口にした。

 ただ、それを言うのなら逆のパターンもあるのではないか。

「海里がずっと学校に通っていなかったら、学校側が不審に思うっていうケースも考えられるんじゃないか?」

 その場合、家にまで先生が赴いて様子を確認するなんてことになるかもしれない。しかし、海里はさざなみ荘にいる。そうなったらもう立派な事件である。

「それはないよ。絶対に」

 ただ、海里は真っ向から否定した。つまらなそうに視線を下げ、集めた砂埃を見ている。

「絶対ないって、そんなわけないだろ」

 学校側が不登校の生徒の安否を案じないなんて、そんなことが起こるわけがない。それは教育機関としてあるまじきことだ。でも、海里が嘘をついているようにも思えなかった。その諦観した表情は明らかな真実を物語っているようにしか見えない。

「断言できるよ。うちの家は校長と昔からの仲だから」

 ただ海里は端的に、僕の言葉を崩してきた。

 僕はすぐにその言葉の意味を察した。でも、すぐには飲み込めなかった。その事実を信じられなかった。だって、それじゃあ海里の家族は海里のことなんてなんとも思ってないみたいだ。そんなの、悲しすぎる。

「まあそういうわけで、私は高校に行かなくても問題ないんだよ」

 そうか、と相づちを打つので僕は精一杯だった。それ以上、なんて言えばいいか分からなかった。

「そんなことよりさ、一帆。暇だし、このあと遊びに行こうよ」

 海里は明るくそう言い放った。いまの話はそんなこと、と片付けていいものではない。でも、だからといってこの話を続けたところで答えなんて生まれない。そしてきっと、それは海里が一番理解している。だから、ひどくモヤモヤが残るけど、この話はここでおしまいだ。

 それにしても、このあとか。

「うーん、今日はこのあとバイトがあるから無理だなあ」

「バイト?なんの?」

 きれいな瞳が僕に向けられる。少し興味があるみたいだ。

「コンビニのだよ」

 おおー、と感嘆する海里。別にそんな大したものじゃない。ただの、僕が生きていくための手段みたいなものだ。

「どこのコンビニなの?」

 目を輝かせてそう尋ねてくる海里。これはあれだ。場所を教えたらお店まで押しかけてくるやつだ。

「内緒」

 だから僕はごまかした。バイト先に来られると正直言って困る。

 海里はそんな僕の反応が気に入らないようでケチーと頬を膨らませた。

「じゃあそのお詫びと言ってはなんだけど、明日遊びに行く?」

「うん、行く」

 先ほどの表情から一転、笑顔で頷いた。僕はその顔を見て思う。やっぱり、海里には笑顔が似合うな、と。 


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