23.2025/6/30 とあるネトウヨ顛末記その3
まぁ、数日前の炎上芸人が元ネタですね。
その後否定してるフリの発言もあったようですが、そもそも目立つ事しか考えてないので無視です。
2025/6/30
端元殊江
私の名前は端元殊江、37歳。
日本を心から愛し、世界に冠たる天皇制を守る為ならこの命をなげうつ心を持つ、普通の日本人だ。
神国日本や忠臣組の事はもちろん認めていない。誇るべき大日本帝国の功績を踏みにじり、皇室を害し、あまつさえ天皇制廃止を決めるなど、我慢の限界に達した。
義挙に立ち上がった桐生睦紀の下へ、共に潜伏していた同士達と馳せ参じた。旗揚げした時は数百人だった支持者は、自分達が現地に到着した五日後には数万人規模にまで膨れ上がっていた。
同行者の一人はコロナ感染を恐れていたけど、コロナなんて風邪と同じ。死ぬのは日本人ではない連中だけと諭した。ワクチンなんて不要。マスクだって要らないのだ。現に、集まっている人々の半数以上はマスクをしておらず、忠臣組の腕輪をしてる輩は皆無と言って良いほど見かけなかった。首輪をしてる人達はそこかしこにいたけれど。
ああ、この人達こそが真の同胞だと感じられた。もちろん、忠臣組に虐殺されていった真愛国者党の皆さんや彼らと命を落とした方々は漏れなく靖国神社に英霊として祀られるべきだろう。
この集団の名前は、日本救国党になったらしい。党首には、かつて大阪の政治を主導していた政党の2トップの片方、大阪府知事の長男という吉浦唐文が着任した。
遠目に見たけど、25歳のイケメンだった。どうにかお近付きになって、自分を売り込みたい。民主主義が復活した時、国会議員の座はどこもすかすかになっているのだから、私にも十分チャンスはある筈だった。今度こそ、当選するのだ。
発起人でもあり、皇籍に復したという桐生睦紀さんは、現天皇が天皇として執務出来る状態にない事から、天皇として仮即位したと噂に聞いた。
日本救国の原点として定められた歴史ある聖地、奈良畝傍山。皇祖たる神武天皇の陵付近を中心とした地に、数万人の集団は膨れ上がり続けていた。
受付の様な記帳所があって、同士達と登録を済ませ、係の人に、吉浦さんや桐生さんとの面会を依頼しておいた。民主主義復活後に日本救国党から国会議員選挙に出馬したいと。落選こそしたが、国政選挙に出馬した事があると強くアピールしておいた。
集結した人々は最低でも数日は自活できるだけの水や食料、それにテントなど野外で生活できる準備をしておくよう呼びかけられていたので、畝傍山周辺はテントの群に埋め尽くされていた。
自分達も準備はしてきたが、畝傍山周辺に限らず奈良の住民には忠臣組から避難勧告が出されているらしく、コンビニなどを含め宿泊施設や飲食店なども軒並み閉店していた。
食料が心もとない人達の為に炊き出しも行われていて、数千人が並んでそうな長蛇の列が出来ていた。
「どう見ても、人数分配れて無さそうだな」
「でも、集結してきてる人達からの差し入れとかもかなりあるらしいぞ」
「そうじゃないとこの人数は支えられてないだろ」
「にしても、もっと人数が増えていったらどうなるんだこれ?」
「北上して京都か、西進して大阪か、どちらを抑えても日本救国党の地盤はかなり固まるだろう。その為に元大阪府知事の息子を起用したんだろうし」
「でもさ、最優先は皇室の皆様を救い出す事なんじゃないのか?」
「忠臣組があの首輪を外さない限り、どうにもならないかも知れないだろ。確かに皇都を抑えるのが一番だろうけど、さすがにこの人数で公共交通機関とか使って移動は無理だろ」
「忠臣組がどこでいつ実力介入してくるかわからんしな」
「そうね。その為にも、人数はやっぱり一番の防御手段になる筈よ。数十万人をそのまま虐殺とか、さすがに出来ないだろうし」
「だな」
「そう願うよ」
旦那を含む同士達とそんな会話を交わしつつ、海外のSNSで桐生さんや吉浦さん達が今後の方針を検討する様子を見ながらその晩を過ごした。
日本救国党の指導部の間では、北進か西進か東進の三案が検討され、自分達が到着してからさらに五日が経つまでの間に、畝傍山周辺に集まった人数は十万人を越えていた。
自分達が到着した三日後から食料などは足りなくなり、周辺の店や農地などから徴収してかき集めていた。
さらにキャンプ地では、そういった徴収活動の中で発見された忠臣組組員を私刑にかけたりして、これまでの溜飲を下げていた。それが若い女性だとしても、同情する気にはなれなかった。
他の余った時間は、竹槍や金槌や農具やスコップなど、武器になりそうな物を周辺の土地や家やスーパーやDIYショップなどから徴収したり、集団行動の訓練などに費やされた。
キャンプ地に集結した人が十万を越えた晩、指導部は決断を下した。
「動ける人員全員で大阪を先ず落とす。次に京都を。奈良と大阪と京都にはそれぞれ一万ずつを置き、現地で賛同する人々を吸収しながら、五十万で名古屋を。百万以上で皇都を落とし、日本を取り戻す。我々が旗頭になれば、日本全国から同士達が蜂起し、やはり同様に人々を糾合しつつ皇都を目指すでしょう!」
桐生さんと吉浦さんが策定した大方針に反対する者はいなかった。畝傍山山麓に、打倒忠臣組、天皇制万歳の声が響きわたった夜になった。
でも浮かれてばかりもいられなかった。
いったん移動し始めて、今よりも人数が膨れ上がれば、吉浦さんに取り入る機会は激減すると踏んだ私は、多少強引にでも吉浦さんに突撃して言葉を交わす事に成功した。
12.7以前に、当時の東京都知事とツーショットで撮った写真などを見せながら必死にアピールすると、ああそんな人もいたかなと思い出してもらえたらしい。近くに居た桐生さんに。
吉浦さんの父親がいかに政治家として優れていたか、思いつく限りの賛辞を浴びせた甲斐もあってか、民主主義を取り戻した暁には、候補として擁立してもらえる事になった。日本救国党の指示には絶対従うというのが条件だったけれど、問題無く受け入れた。その晩から、指導部の末席として帯同を許されたのは、本当に嬉しかった。これまでの苦労が全て報われたのだと、涙が頬を伝いもした。
その翌朝。
十万人の大集団は、人気の無くなった奈良南部から西北に進み、当麻の道から大阪へと抜けようとした。
鉄道などの公共交通手段は止められていたので、先遣隊は車で奈良から大阪の道のりを確保しようとした。けれど、道路は峠の入り口で封鎖されて通行止めされていて、厳重な警備でとても今の自分達の装備では突破できそうにないとの報告が入った。
「ここは、仮にでも践祚した自分が行けば」
「いや、桐生殿下に何かあれば取り返しがつきません。とりあえず他の鉄道線路を含めた道が使えないか確認させましょう」
日本救国党のツートップがそう決めた三時間後までには、奈良から大阪に抜ける龍田の道や、生駒から西に抜ける鉄道のルート、南から和歌山へ、東から伊賀へ、北から京都へ抜ける各ルートが悉く封鎖されていると次々に報告が入った。
指導部は決断を迫られた。畝傍山周辺に引き返すか、それとも大阪かどこかに押し通り封鎖を強硬突破するか。
「引き返す事は出来る。ただ、食料などが保たない」
「奈良市全域から物資を強制徴収すれば、もしかしたら数ヶ月は維持できるかも知れない。しかしそれも忠臣組が武力介入してこなければの話だ」
慎重派は、外部からの助けによって封鎖が解かれて、食料などのアテがついてから、予定していた様に大阪や京都や名古屋などを解放しつつ東京を目指すべきと主張した。
強行派は、人数で押し通るべしと主張した。ある程度の犠牲は出るかも知れないが、靖国に祀られる栄誉を授かるのであれば、皆が率先して忠臣組を打ち倒すだろうと。
ここだと閃いた。自分を最大限に売り込めるのはここしかないと。
「桐生さん、吉浦さん、女性を前面に立てるのはどうでしょう?」
「妙案かも知れないが、危険では?」
「真っ先に死ぬ覚悟が求められますよ?」
「危険だからこそ、です。忠臣組は男女不平等を謡いながら、女性を何かと庇う側面も持ちます。非武装の女性達だけで距離を詰められれば、あとは人数差で何とかなるかも知れません」
「・・・・・志願して下さる女性が何人いるか次第でもあるでしょう」
「端元さん、頼めますか?」
「お任せください!」
私は同士達や指導部の助けも借りて女性達に声をかけて周り、およそ200人の女性先鋒隊を組織した。私達の後ろには十万の同胞が、真の日本人達が続いてくれるのだ。不安などあろう筈が無かった。
自分を含め先陣を切る栄誉を与えられた女性達は皆、包丁などを懐に忍ばせた。警護の兵士達に近付ければそれで差し違えてでも道を開くつもりだった。
県道はバリケードで幾重にも封鎖され、その向こう側には装甲車が三台並んで道路を物理的に封鎖していた。
私達が距離を詰めると、メガホンで警告してきた。
「君達がバリケードから先に進もうとしたら発砲する。女性でも男性でも関係無く射殺する。君達は警告を受けた」
装甲車は三台。機銃はそれぞれに一丁ずつ据え付けられてこちらに銃口を向けていた。
怖い。そんな当たり前の感情に怯みそうになりがならも、じりじりとバリケードへと近づいていった。女性達は、私のそんな姿に勇気づけられたのか、後に続き、私と肩を並べつつバリケードまでたどり着き、互いに覚悟を固める視線を交わした後、最後の一線を踏み越えた。
それぞれに気勢を上げながら、バリケードを乗り越えた。装甲車までの距離は100メートルを切った。
私は、「天皇陛下ばんざーい!」と叫びながら疾走し、装甲車までの距離を半分まで詰めた。その時。
バシャン!というような音と共に、目の前に鉄条網の壁が出現していた。
急いで両腕で顔を庇おうとしたけど、ほとんど間に合わなかった。後ろから続いてきた女性達に鉄条網の藪の中に押し込まれたからだ。
体中に鉄の棘が突き刺さり、絶叫した。前方の装甲車や、左右の斜面からも銃声が轟き、自分達の背後から続いている筈の男性達からも絶叫が響きわたった。
そんな阿鼻叫喚の地獄絵図が完成するまでにかかったのは、5分10分くらいだったらしい。自分はどうやってだか助け出されて、畝傍山へと退却した指導部の医療テントに収容されていた。周囲には、自分と一緒に突撃した女性達もいた。私は体中に傷を負い、全身が包帯に巻かれていたけれども五体満足ではあった。
看護してくれた人に状況を教えてもらった。自分達が挑んだのとは別のルートから大阪を目指そうとした部隊もやはり失敗し、今日だけでおよそ三千人近い犠牲を出したのだと。
その晩、畝傍山周辺にはビラが空から撒かれたらしい。見舞いにやってきた旦那が実物を見せてくれた。
「奈良は完全に封鎖した。投降するなら奴隷落ちで許されるかも知れない。投降しなければ終わるだけだとさ」
「大阪周辺数百万の人々が集えば封鎖は解かれる筈よ。ここまで来て投降なんてあり得ないわ!」
酷い傷を顔や体中に負ったのだ。せめて当初の目的くらい果たせないと割に合わないではないか!
「そうだな。とりあえず今は養生してろよ」
そうして旦那はいなくなったが、手元に残ったビラには、桐生睦紀の皇籍復帰を現皇室は認めない事。愛子皇太女にはすでに別の相手がおり、桐生睦紀と婚姻する可能性は皆無であり、二人の間で後嗣が生まれる事はありえない事などが片面に書かれていた。
もう片面には先ほど旦那が教えてくれたような事と、日本に民主主義を復活させようというのに、大阪府政を混乱させコロナ禍を悪化させた根元の害悪であった吉浦元府知事の息子を担ぎ出すなど、その正当性も含め許容されるものではない、などと書かれていた。コロナ禍自体が虚構なのだから、忠臣組の指摘自体が無効だ。その程度もわからないなんて、やれやれだ。
翌日は痛みが酷くて食欲もあまり無かったから気付かなかったけれど、その翌々日は三食は確保されていたものの朝食はカロリーバーの一本とか、ほとんど二食に減り、日が経つ毎に食事の内容は乏しくなっていった。
立って歩けるくらいには回復したので、指導部の討議にも参加したけれど、状況的に追いつめられていた。
テレビを含めたメディアは奈良を無法地帯にしたテロリスト集団として自分達を報じていた。皇室からも否定され、SNSなどインターネットの世界でも扱いは酷いものだった。
指導部の議論は拮抗というより堂々巡りしていた。
強硬派は未だ十万人近い数に任せて押し通るべきと主張し、慎重派は忠臣組への投降か、もしくは奈良を自治区として承認させ、外部からの支援を受けられるよう交渉すべきではないかと主張し、双方共に譲らなかった。
結局その日は結論が出ずに終わったが、咳込んだり熱があるのかぼうっとしていたりする人が多い様にも見受けられた。
そうした体調不良や異変を訴える人の数は日に日に急増していった。彼らは畝傍山の麓の一角にまとめて隔離されたが、専用の医療設備や薬品などがある訳でも無く、ただそこに放置されているだけだった。(医療機関やその従事者は真っ先に忠臣組によって離脱させられていた)
一部弱気になった連中は、コロナに罹患したのでは?と噂しあっていたが、あり得ない。コロナなんてただの風邪だし、真の日本人であれば重症化もしなければ死んだりもしないのだから。
食糧事情が改善しない内に、今度は電気が止められてしまった。参加者のごく一部が持っていた携帯ソーラーパネルは指導部に強制徴収されたけど、これでますます外部の事情がつかみにくくなった。
このままでは限界だろうと弱気になった連中は方々から脱出し始めていると噂になっていた。体調を崩している人達を除いたとしても、確かに全体の数は一、二割以上減っているようにも見えた。
西進の日から五日後の晩、指導部は決定した。夜闇に紛れいったん奈良から脱出。体制を立て直した後大阪で再集結して地歩を固めると決まった。
動けない人々は置いていく事になった。忠臣組が奈良を再度掌握した際に面倒は見てもらえるだろうという判断だ。もし彼らがコロナに罹患していたとしても、日本人なら重症化もしないし死にもしないのだから、放っておいて何の問題も無い。自分の同士や旦那も二日前からまともに呼吸できない状態になっていた。真の日本人ではなかったという事だ。私を騙してきたなんて、何て酷い人達なんだろう。
私は彼らに別れを告げ、桐生さんや吉浦さん達と行動を共にする事にした。彼らさえ無事なら何度でも再起できるのは確実だったし、今回紡いだ縁を捨てたくはなかった。
指導部は奈良市から平城京の北にある奈良山、歌姫町から京都を目指した。私は、指導者たる二人がマスクをしているのが気に入らなかったが、狙われているだろう二人が変装しているような物として無理にでも自分を納得させた。
京都へと抜ける道路はやはり封鎖されていたので、陽動の為に決死隊として志願者を募り、道路や沿道や山中を目立つように先行突入し、攪乱。指導部はその間隙を突いて突破する事になった。
トップ二人の護衛として選抜された精鋭百人ほどの集団の中でも三割以上が体調を崩しているようだったが、気合いで全ては乗り越えられるのだ。
自分の肺にも時々違和感とか痛みを感じる事が無いではないが気のせいだろう。気のせいであるなら、気の持ちようだけで解決できるのが道理でもある。
銃声や悲鳴などが夜闇に響きわたる中、護衛に周囲を囲まれた指導部が低い山というか森に覆われた丘を登っていく。
幸い、兵士達に先回りされる事も無く丘の頂上辺りにまでたどり着いたと思われた時だった。先頭集団が持っていた懐中電灯の灯りが一斉に消えた。
「何があった?」
「壊れたのなら、予備の照明を点けろ!急げっ!」
素早い指示に従い、何人もが携帯していた灯りを点けようとしたが、ぎっ、とか、ぎゃっ!?とか声を上げて地面に倒れる音が続いた。
「な、何が起こってる?」
「羽音が聞こえないか?」
「固まれ!固まるんだ!」
円陣を組んで、その中央付近で懐中電灯から照らした光線の先には大きな虫の様な何かが数え切れないくらい飛び交っているように見えた。
「ま、まさか」
「暴動鎮圧用ドローンか!?」
円陣は外側からも内側からも崩されていき、灯りを掲げていた者が優先して狙われているようだった。
「地面に伏せてやり過ごすんだ!」
と誰かが言って、私を含めてまだ襲われてなかった皆は地面に伏せたけど、
「だ、だめだ!」
「こいつら、地面に伏せても、ダっ!」
私もふくらはぎにちくりとした痛みを感じて、意識がもうろうとしてきて、やがて気を失った。
次に気が付いた時、私はベッドに寝かされて、見知らぬどこかに居た。肺のあちこちが痛くて呼吸も苦しくなっていた。近くには、桐生さんと吉浦さんが大きな椅子にくくりつけられていた。私もベッドに拘束されていて、起きあがる事もベッドから離れる事も出来そうになかった。
複数のテレビカメラがそんな私達を撮影していた。私達の前にはモニターが一台設置されていて、そこに姿を現したのは、この国史上最大の極悪人、最も憎むべき相手、摂政である国塚明宏だった。
「桐生睦紀、吉浦唐文、そして端元殊江。君達に問おう。君達は民主主義を信じ、基本的人権を尊重する者かね?」
「当たり前だ!」と桐生さん。
「お前達に言われるまでもない!」と吉浦さん。
私も何か言おうとしたけど、咳込んだだけで言葉にならなかった。苦しい。二人は、私の方を憎々しげに見つめ、顔をそらした。出来るならば体ごと離れたかったのかも知れないけれど、椅子に拘束されていて叶わなかった。
国塚明宏はそんな私達の様子を眺めつつ言った。
「そうか。それにしては、奈良にいた人々に対し、君達が行ったのは、他人の人権を尊重している者の行動とも思えなかったが?」
「私達には果たすべき大儀があった。協力するのは国民の当然の義務に過ぎない」
「それに、我々に裁かれたのは忠臣組の者達だけだ。非国民で売国奴が裁かれるのも当然の措置だろう」
「そうか。他人の所有物を一方的に奪い、異なる考えや立場の者達をリンチにかけ殺し犯し暴行し全てを奪う。君達が作り上げようとする国家像が明確になるな」
「「お前に言われる筋合いは無い!」」
「私は一度も民主主義を信じているなんて言っていない。基本的人権に関しても否定しているだろう。まぁその点はいったん脇に置いておこう。
端元殊江、君は公言しているそうだな。コロナなどただの風邪。真の日本人なら重症化もしないし、死にもしない。これはまだ君の中で真実かね?」
私は絶対の確信を持ち、うなずいた。
「そうか。では日本救国党の主導者二人に問おう。君達も同じ考えかね?」
二人は顔を見合わせ、小声で相談すると、信じられない事を言った。
「コロナはただの風邪ではない。ウィルスによる感染症だ」
「さっさとこの拘束を解くんだ。そしてこの女から我々を遠ざけろ」
「ふ、二人とも、げほっ、な、何を!?」
思わず声を出して彼らを問いつめようとしたけど呼吸が苦しくて続けられなかった。二人はそんな私から必死に遠ざかろうと椅子ごと離れられないか足掻いたが、ぴくりともその位置は動かなかった。
「おや、おかしいね。君の同士達はほとんどがマスクをしていなかったし、ワクチンの接種も拒んでいたそうだが?」
「私は・・・、個人の自由を尊重していただけだ!」
「ワクチンの接種も同じだ!そんな問答はどうでもいい!とっととこの女をどっかに連れていけ!」
「ひ、ひど・・・、げほげほげほっ」
「桐生、そして吉浦。君達は、コロナがどれだけ危険な物が認識してはいた。だが、自分達の権勢を増す為には吸収せざるを得ないと、そこにいる端元の様な者達を好んで側に置いた。そういう理解で合っているか?」
「言いがかりだ!」
「何が言いがかりなものか。かつて大阪でテレビ局やお笑いの事務所などと組んで、無用な都構想をぶち上げ緊急事態下でもやってるふりだけをアピールし続け、事態を深刻化させ、何人を殺した?あの政党は議員もその秘書もろくでなしの破落戸だけを選りすぐりで集めたようなものだったな。そのろくでもない価値観を持った政党を支持した、大阪市民や府民は、自身や家族の健康や生命を対価として支払う事になった。巻き込まれた近隣府県の住民達こそ良い迷惑だった。大阪から溢れた患者を押しつけられもしたのだから。
吉浦、お前はお前の父親の罪過を認めるか?」
「お前達みたいな極悪虐殺者集団に何の罪過を認めろと言うんだ?悪い冗談は止めろ。とっとと」
「我々が君達の言い分を聞かなくてはいけない、納得できる理由を一つでもいい。挙げてみてくれるかね?」
二人はまた小声で相談した後、苦々しげに言った。
「同じ、日本人だろう?」
「志の中身は違うとは言え、行動を起こした点は共通している」
「君達と同じ存在として扱われたくはない。人類という共通項は生体的に否定し得ないとしてもな。また、同じ日本人だったとして、それが君らを救わなくてはいけない理由にはならない。その程度もわからないのかね?」
「私は、皇統の血を引く者だ!だから、せめて命くらいは助けろ!」
「君にそんな価値は無い。君が仲間にした者の思いに殉じてあげるといい」
「こんなバカ女、仲間なものか!」
「ひ、ひどっ!?」
「酷いものか。日本人なら重症化しない?死にもしない?どれだけ頭がパーならそんなおかしな考えになるんだ?!」
裏切られたという怒りでどうにかなりそうだった。言葉を連ねて言い返したかったけれど、今は呼吸も苦しくて無理だったから、私は思い切り彼らの顔に向かって咳をしてやった。
「摂政!おい、俺が天皇に即位してもお前の地位はそのままにしてやるから、俺をここから救え!ワクチンも治療も必要だ。すぐに手配しろ!」
「その申し出は断る。君に言われる筋合いもそんな意味も無いからな。だが、必要とあれば君をそこで延命させる措置は採ろう」
「どういう、事だ?」
「君達は公開実験台になる。コロナなんて風邪と同じ。だからマスクは不要だしワクチンも意味が無い。そんな連中がどういう末路を辿るのか、その最後の呼吸が止まる瞬間までライブ中継する」
「そんな非人道的な所行が許されるものか!?」
「君達の許しなど必要としていないのでな。さて、それでは健闘を祈るよ。君達の同類の目を覚ます役に立ってくれれば儲け物だが、望み薄だろうな」
そうしてモニターの中の摂政の姿は消えてしまった。その代わり、三人の体温や脈拍などの体調を計測する測定結果が画面に表示された。
私達三人がいるのは、どこかの病院の病室というよりは、廃ビルの1フロアを撮影スタジオ風に改装したようなものだった。
摂政とのリモート面談から数時間後、防護服などで全身を保護した数名がやってきて、三人の周囲を透明なビニール製か何かの壁で覆うと、私と二人に点滴をつないで去っていった。二人はコロナにかかると猛抗議していたが、誰にも相手されないままに、十二時間ほど経過した。それがわかったのはモニターに現在日時が表示されていたからだ。
それまでの間に、二人ともだいぶ具合が悪くなり、特に桐生さんが用意されたベッドに寝かされ、人工呼吸器につながれた。
私もあれが欲しい、必要だと訴えたけど無視された。
「あなたは日本人なんですよね?なら何も心配する事はありません」と言われて放置された。点滴だけは空になると付け替えてくれたけれど。
それからまた一日以上が経って、吉浦さんも桐生さんと同じ様な状態になった。コロナはただの風邪。日本人なら重症化しないし死なない。だから二人も日本人ではなかったのだろう。なら、自分は・・・?
そんな不安に駆られてる内に意識はさらに朦朧として、痛みや倦怠感は全身に広がり、呼吸するだけでも大変で、私は人が来た時に、人工呼吸器と自分を指さして訴えたけど相手にされなかった。
同じ日本人の筈なのに。言葉が通じてない筈が無いのに、なんて酷い事をする連中だろう。同じ人間だとは信じられなかった。きっと彼らも日本人ではないのだろう。でも、こんな苦しい状態になってる私は・・・・・・?
さらに数日が経つ間に、端元殊江、吉浦唐文、そして桐生睦紀も新型コロナウィルスの多重変異株による感染症で死亡した。
同じ運命を、畝傍山近郊に放置されたままの同士達も辿った。
神国日本は、彼らが英霊となって再会しようと誓った靖国神社を、進路を誤った日本の象徴として焼却処分し、残骸も完全に粉砕し残滓も遠洋にまき散らしてその痕跡の一切を残さなかった。
日本救国党は壊滅し、同調していた筈の日本民主主義復活同盟は関与を否定したが、即座にそれは虚偽だと証明され、こちらも後を追うように消滅していった。
日本に基本的人権を取り戻そうとあきらめない人々は、次なる活路を暗中に模索し続ける事になった。
後世において、日本救国党事件として記録される事になるこの一連の事態に参集した民衆の数は11万2702人。その95%ほどが忠臣組の非組員か脱走奴隷。
奈良封鎖措置後、強硬脱出しようとして射殺された者は7598人。個別に離脱し奴隷として投降した者は22614人。残りはほぼ全て、コロナウィルスに感染して死亡の道を選んだか、選ばされてその生涯を終えた。
憲法の日という事で、次章はそんな内容の予定です。




