第41話:盗作の公開検証――剥ぎ取られたレイヤーと血に染まる純白
ゴオォォォ……ン……。
地底深くの断層が軋みを上げるような、重く冷たいエレクトロニクスの重低音が、三百インチの巨大スクリーンの奥から這い出してきた。
先ほどまでの家庭内虐待の未編集映像によって、すでに息の根を止められかけていた『鳳凰の間』の空気が、さらなる一段の冷気によって凍結していく。
会場の四隅に聳え立つ業務用ラインアレイスピーカーが、心臓を直接万力で締め上げるような振動を響かせる。
動揺のあまり言葉を失っていた百二十名の参列者たちの網膜に、漆黒の背景の中から血のように鋭利な真紅のゴシック体フォントが、音もなく浮かび上がった。
――【第二章:才能の枯渇、そして盗作への逃走】。
「と、盗作……!?」
東都広告の役員席から、誰とも知れぬ掠れた呟きが漏れた。
その言葉の持つ法的な破壊力、広告・メディア業界において絶対に踏み越えてはならない「死の境界線」の響きに、上座に座るエリート社員たちの背筋に一斉に戦慄が走る。
画面がスッと切り替わった。
スクリーンに大写しになったのは、第22話の夜――真壁栞が自らの手で管理アクセスを遮断し、支援ツールの接続を完全に断ち切った日付のタイムスタンプだった。
【20××年12月18日:全制作支援ツールのセッション終了】
【真壁栞による制作代行の完全停止】
そして、その直後に画面いっぱいに並べられたのは、第23話において莉乃が自力で撮影し、あまりの稚拙さにフォロワーから疑問の声が殺到して即座に削除した、あの「焦げたトーストと市販ジャム」の薄暗い写真だった。
蛍光灯の光が油染みたテーブルに反射し、黒く炭化したパンの上に安物のイチゴジャムが血溜まりのように塗りたくられた無残な残骸。
添えられた稚拙なキャプション――『今日は遅起きしちゃってトースト食べたよ〜超美味しかった!』の文字が、赤枠で容赦なく囲まれる。
会場のあちこちから、失笑と呻き声が漏れた。
「なんだこれ……」「これが三十万人の料理インフルエンサーの、本当の実力なのか……」
だが、映像の刃は、素人の下手くそさを嗤うことなどでは終わらなかった。
BGMが、まるで厳格な法廷で死刑判決を読み上げるかのような、冷徹で規則正しい電子パルス音へと変貌する。
画面が三分割された。
スクリーンの中央に現れたのは、第24話以降、莉乃が「やっぱり私って要領がいい!」と高を括って投稿を続けていた、あの息を呑むほどハイセンスな食卓やインテリアの写真の数々だった。
そして――その左右に並べられたのは、海を越えた異国の地で、本物のクリエイターたちが自らの血と汗で生み出していた、原典のマスターデータだった。
【事例検証1:『パリ気分の朝食・無花果の赤ワインコンポート』】
画面の左側に表示されたのは、フランス・パリ在住のインテリアデザイナー、エミリー・デュラン氏の公式ポートフォリオサイトおよび個人アカウントの投稿画面。
アパルトマンの窓辺、朝の澄んだ自然光に照らされたアンティークリネンの上に、焼きたてのクロワッサンと無花果のコンポートが並ぶ、息を呑むほど美しい芸術写真。
投稿日時――【莉乃の投稿の二週間前】。
そして、画面の右側に、莉乃が『Rino_Life』へ投稿した「自作の朝食」の写真が並べられた。
その瞬間――スクリーン上で、佐久間湊が構築した最先端の画像解析プログラムが、リアルタイムでアニメーションを実行し始めた。
シュウゥゥッ……と、電子音が鳴る。
莉乃が無料アプリで誤魔化すために施していた、あの稚拙なピンク色のカラーフィルターが、まるで剥がされる皮膚のようにスクリーン上で一枚ずつ剥ぎ取られていく。
続いて、左右反転されていた画像が、カチリと音を立てて水平方向に回転し、元の向きへと復元される。
さらに、画角の端から切り落とされていたフランス語の洋書の背表紙のラインが、点線で元の位置へと正確に吸い込まれていく。
重なり合う、二つの画像。
ピピピピピッ、と緑色のグリッド線が走ると同時に、画面中央に巨大な警告文字が叩きつけられた。
【画像特徴点照合(Feature Matching):完全一致】
【知覚的ハッシュ(pHash)一致率:99.4%】
【トリミング比率復元:元画像と100%合致】
【判定:完全なる無断加工・著作権侵害】
さらに、レシピのテキスト照合。
莉乃が投稿していた『旬の無花果が手に入ったのでコトコト煮込んじゃった♡』というキャプションの下に、日本の有名料理研究家が公開していたウェブサイトのテキストが重ね合わされる。
語尾の「〜します」を「〜しちゃうよ♡」に書き換えただけの、一言一句違わぬ丸パクリの文章が、赤色のマーカーで無残に炙り出されていく。
「ひっ……!」
高砂席の壇上で、莉乃の喉から空気が抜けるような悲鳴が漏れた。
だが、画面は容赦なく次なる獲物を解体していった。
【事例検証2:『自家製ハーブバターと季節のポタージュ』】
元著作権者:韓国・ソウル在住の著名フードスタイリスト、カン・スヨン氏。
投稿日時:莉乃の投稿の一ヶ月前。
検証結果:彩度調整の解除、コントラスト復元により、食器の模様、スプーンの反射光の角度、テーブルの木目の一本に至るまで――完全一致率98.7%。
【事例検証3:『夜のリラックス読書タイム』】
元著作権者:アメリカ・ニューヨークのフォトグラファー、マーク・スティーブンス氏。
投稿日時:莉乃の投稿の三週間前。
検証結果:画像の彩度を落として自室のベッドサイドに見せかけていたが、壁にかかった抽象画の筆跡が完全一致。
スクリーンが赤く明滅し、巨大な文字が次々と参列者たちの視界を殴りつけた。
【検証対象全14件:すべて海外・国内クリエイターからの無断転載および剽窃と認定】
【創作性:ゼロ】
【悪質性:意図的な反転・トリミング・フィルター重層加工による隠蔽工作を検出】
「……っ、馬鹿な……!」
東都広告の役員席で、営業担当重役が顔面を蒼白にして立ち上がりかけた。
「海外のクリエイターの作品を……そのまま反転して、自分の手柄にしていただと……!? そんな犯罪行為を平然と繰り返していたのか、この娘は!!」
広告業界において、著作権侵害は一発で億単位の損害賠償と社会的信用の失墜を招く、最悪のタブー。
それを、自社が年間契約を結び、数千万円の予算を投じてテレビCM連動まで計画していた看板インフルエンサーが、組織的かつ常習的に行っていたのだ。
これはもはや「家庭内の見栄」などという次元ではない。
国際的な法廷闘争に直結する、明白な犯罪の現場報告だった。
そして――佐久間湊が周到に用意していた本当の「爆薬」は、ここから炸裂した。
BGMが完全に停止した。
静まり返った三百インチスクリーンに、英語、韓国語、フランス語の原文とともに、公証人役場の印章が押された正式な日本語翻訳の書面が、大写しに投影されたのだ。
それは、佐久間が事前にコンタクトを取り、莉乃による無断使用と収益化の事実を証拠付きで通知して取り付けていた、原著作者本人たちからの公式声明文だった。
『フランス共和国インテリアデザイナー協会所属:エミリー・デュラン氏より
「私の知的財産であり、生活の記録である作品が、日本のインフルエンサー・真壁莉乃によって無断で使用され、商業的プロモーションに悪用されている事実を確認しました。
これは明白な国際著作権法違反(ベルヌ条約違反)であり、クリエイターに対する許されざる冒涜です。
当方の顧問弁護士を通じて、真壁莉乃氏、ならびに彼女を起用している広告代理店およびスポンサー企業に対し、損害賠償請求訴訟および差止請求の手続きを開始いたしました」』
『大韓民国フードクリエイターズギルド:カン・スヨン氏より
「極めて悪質な盗用であり、一切の和解には応じません。法的措置を厳格に進めます」』
『アメリカ合衆国プロフェッショナル・フォトグラファーズ連盟:マーク・スティーブンス氏より
「日本の商業倫理を疑う。直ちに全投稿の削除と、公式な謝罪広告の掲載を要求する」』
逃げ場のない、国際的な包囲網。
単なるネットの炎上疑惑ではない。
現在進行形で弁護士が動き、訴状が準備されているという、動かぬ法的破滅の宣告。
「……あ……あ、あ……」
高砂席の壇上。
スポットライトの光を浴びた真壁莉乃の瞳から、完全に正気の光が消え去っていた。
顔面は土気色を通り越し、青白い陶器のように硬直している。
頭上のダイヤモンドティアラが、激しい過呼吸の震えによってガチガチと不気味な金属音を立てていた。
嘘だ。
こんなの、嘘だ。
海外の無名のアカウントから適当に拾ってきただけの画像。
ちょっと反転させて、色を変えただけ。
ネットに落ちているものは、誰が使ったって自由なはずじゃないの?
なんで、なんで海の向こうの人間が私のことを知っているの?
なんで、こんな大勢の前で、私の名前が「犯罪者」として晒されているの!?
「ち……違う……」
莉乃の唇から、掠れた声が漏れた。
彼女は震える両手で耳を塞ぎ、首を激しく左右に振った。
「違う……! 私じゃない……! 莉乃じゃないぃぃッ!!」
狂乱。
耳を劈くような金切り声が、静まり返った『鳳凰の間』の天井を突き破らんばかりに響き渡った。
「画面を止めて!! 消しなさいよ、今すぐその画面を消しなさいよぉぉッ!!」
莉乃は手元の白薔薇のブーケを床へ叩きつけると、数百万円のオートクチュールドレスの裾を両手で乱暴に掴み上げた。
そして――狂った獣のように、高砂席の段差を駆け下り、司会者席と音響ブースへ向けて突進しようとしたのだ。
消さなきゃいけない。
あのスクリーンを、叩き壊してでも止めなきゃいけない。
そうしなければ、私の人生が、私のセレブ生活が、全部死んでしまう――!
だが。
何層にも重なる特注リバーレースの裾は、あまりにも重く、長すぎた。
さらに、彼女の足元を支えていたのは、見栄のために履き慣れないまま選んだ、クリスチャン・ルブタンの十二センチのピンヒールだった。
一段、二段と階段を駆け下りようとした、その瞬間。
ビリッッ!!
鈍い引き裂き音が、会場に響いた。
莉乃のピンヒールの細い踵が、自らのドレスの裾の繊細なレースを深く踏み抜いたのだ。
「きゃっ……!?」
体勢が、無残に崩れた。
何百万のドレスの生地が引き裂かれ、前屈みに放り出された莉乃の身体は、受け身を取ることすらできず、大理石の段差を転がり落ちるようにして、深紅の絨毯の上へと激突した。
ドシャァッッ!!
鈍い破壊音とともに、莉乃が突っ込んだ先には――親族や来賓に振る舞われるはずだった、最高級の赤ワインが並べられたサービス用サイドテーブルがあった。
ガシャン、ガシャァァンッ!!
何十個ものクリスタルグラスが床に落ちて粉々に砕け散り、開栓されていた数本の赤ワインのボトルが宙を舞った。
ドボドボドボッ……!
深い深紅の液体が、容赦なく、床に這いつくばる莉乃の全身へと降り注いだ。
頭から。
背中から。
胸元から。
数百万円を注ぎ込み、父の退職金を溶かして誂えた、世界で一番贅沢な純白のオートクチュールドレス。
その純白の布地が、まるで切り裂かれた動脈から吹き出した鮮血のように、ドス黒い赤紫の染みによって、一瞬にして無残に、汚らしく染め上げられていった。
頭上のダイヤモンドティアラは床を転がり、散乱したガラスの破片の中に無様に転落した。
「痛い……痛いぃぃッ……! 誰か……誰か助けてぇぇッ!!」
赤ワインでびしょ濡れになり、髪を顔にへばりつかせた莉乃が、ガラスの破片が散らばる床を這いずり回りながら泣き叫んだ。
手を伸ばす。
目の前にいた東都広告の社員たちへ。
相沢家の親族たちへ。
自らの友人であるはずのインフルエンサーたちへ。
――だが。
誰も、動かなかった。
百二十名の参列者のうち、ただの一人として、床を這う花嫁に手を差し伸べる者はいなかった。
東都広告の社員たちは、汚らわしい汚物を見るような目で一歩、二歩と後ずさりし、グラスの破片を避けるように顔を背けた。
インフルエンサー仲間の席では、莉乃と親友のふりをしていた女たちが、口元に手を当ててヒソヒソと嘲笑を交わし合っている。
相沢家の親族たちは、眉を限界まで吊り上げ、「相沢家の名に泥を塗ったペテン師め」と吐き捨てるように冷たい視線を浴びせかけていた。
地獄。
誰からも助けられず、誰からも憐れまれず、ただ己の悪意と虚栄のツケを全身に浴びて這い蹲る、絶対的な孤立無援。
そして――。
高砂席のテーブルの上。
卓上装花の陰から、なおも全世界へとリアルタイム中継を送り続けていたiPad Proの画面。
同時接続者数は、ついに八万人を突破していた。
画面の左側を流れるコメント欄は、もはや国内のファンだけに留まらず、海外のアカウントからも怒涛の勢いで罵倒が書き込まれる、未曾有の国際大炎上へと発展していた。
【嘘でしょ……海外のクリエイターから本当に訴えられてるじゃん!!】
【ドレスがワインまみれになってて完全にホラー映画なんだがwww】
【自業自得すぎる。人の作品盗んで金儲けして結婚式あげてたとかマジで犯罪者】
【エル・クレア公式に通報した! こんな奴がアンバサダーとかありえない!】
【大手代理店の担当者誰だよ! 共犯だろこれ!!】
【日本の恥! 海外のクリエイターに土下座して賠償金払え!!】
【結婚式でリアルタイム公開処刑とか前代未聞すぎて草草草】
トレンドの世界順位。
『#Rino_Life盗作』『#偽装結婚式』『#国際著作権侵害』が、瞬く間に世界トレンドのトップテンを独占していく。
莉乃が手に入れたかった「全世界からの注目」は、今、彼女を永遠に社会の底辺へと縛り付ける、消すことのできないデジタルの焼き印となって結実していた。
会場の最末席。
新婦親族テーブルの暗がりの中で、私は静かに冷めたグラスを指先で包み込んでいた。
床の上で、ワインで赤黒く染まったドレスを引きずりながら、ガラスの破片の中で泣き喚く義妹の姿。
その無様な破滅を見つめる私の瞳には、一片の憐憫も、一片の動揺もなかった。
(これが……あなたの本当の実力よ、莉乃)
胸の中で、静かに言葉を紡ぐ。
(他人の才能を盗み、他人の人生を奪い、自分は何一つ生み出せない寄生虫。
……メッキを剥ぎ取られたあなたが、どれほど醜く、どれほど空っぽか、全世界がその目に焼き付けたわ)
その時だった。
ザッ、と力強い足音が、新郎側の円卓から響いた。
動いたのは――東都広告第一営業局筆頭シニアディレクター、津田貴志だった。
スリーピーススーツのボタンを留め直した津田は、感情の消えた冷徹な足取りで高砂席へと歩み寄ると、壇上で直立不動のまま泡を食って立ち尽くしていた男――相沢航太の前で、ピタリと足を止めた。
「つ……津田、さん……?」
航太の喉から、震える声が漏れた。
津田は無言のまま、右手を開いた。
そして――逃げ場を失い、恐怖でガタガタと震える航太の右肩を、骨が軋むほどの力で、ガシリと鷲掴みにしたのだ。
眼鏡の奥の鋭利な瞳が、至近距離から航太の顔面を射抜く。
低く、地割れのように響く津田の声が、静まり返った『鳳凰の間』に落ちた。
「おい、相沢……!」
津田の指先が、航太の肩に食い込む。
「お前……こんな盗作常習犯のアカウントに、うちのクライアントの年間案件をねじ込んだのか?
……そのために、会社の予算をどうやって誤魔化したのか……今すぐ、ここで説明してもらおうか」
背任と横領の足音が、ついに新郎の首元へと、冷たい刃を突きつけた瞬間だった。




