↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
40/48

第40話:メッキの剥落――暴かれた偶像と沈黙の宴

ガッ……! ギィィン……ッ!!


耳をつんざく金属質の重低音ノイズが、宴会場のスピーカーから重く響き渡った瞬間、三百インチの巨大スクリーンが爆発的な輝度をもって白く炸裂した。


暗闇に慣れていた百二十名の参列者が、思わず眩しさに目を細める。

だが、その直後に彼らの網膜を焼き付けたのは、先ほどまで流れていたような、甘美な光と詩的なメッセージに彩られたプロモーションビデオなどでは、断じてなかった。


無機質。

粗野。

一切のレタッチも、美肌フィルターも、色彩補正(カラーグレーディング)も施されていない、家庭用蛍光灯の青白い光の下で記録された――残酷なまでの未編集RAW映像。


「……え?」


誰かが息を呑んだ。

その掠れた声が、静まり返った『鳳凰の間』の絨毯に吸い込まれていく。


スクリーンの中央に映し出されていたのは、見覚えのある古い真壁家のキッチンだった。

画面の左側。

糊のきいた清潔なエプロンを身に纏い、寸分の狂いもない手際で銅製フライパンを操っているのは――新婦の姉、真壁栞。

強火で熱したバターの泡立ちを瞬時に見極め、菜箸を使って芸術的なひだを寄せながら、息を呑むほど美しい「ドレスオムライス」の薄焼き卵を巻き上げていく。流れるような所作、無駄のない指先の動き。それは長年、台所に立ち続けて技術を研ぎ澄ましてきた本物の料理人の姿だった。


だが、会場中の視線が釘付けになったのは、その隣――画面の右隅だった。


そこには、キッチンの丸椅子にだらしなく両足を投げ出し、毛玉のついたスウェット姿で背中を丸めた女が映っていた。

髪はボサボサに乱れ、化粧気のない浮腫んだ顔。

スナック菓子の袋に指を突っ込んでは口へと放り込み、指先についた油を自分の太ももで無造作に擦り落としながら、不機嫌そうにスマートフォンを連打している。


――真壁莉乃。


その姿は、今、高砂席で数百万円の特注ウェディングドレスを着て、ダイヤモンドティアラを頭上に輝かせている「可憐でお上品なカリスマ美少女」の面影など、塵芥ほども残っていない、ただの薄汚れた怠惰の塊だった。


「……うそ……だろ……?」

新郎側の円卓から、東都広告の若手社員の呆然とした声が漏れた。


だが、映像の暴力は、視覚だけに留まらなかった。

音響システムに組み込まれた最高級スピーカーから、佐久間湊がクリアにノイズ除去を施した「生の音声」が、逃げ場のない大音量で会場全体へと叩きつけられたのだ。


『ちょっとぉ! 早く作ってよ! 撮影の時間遅れるじゃん使えないな!!』


スピーカーがビリビリと震えるほどの、甲高く、下品極まりない金切り声。

スクリーンの中のスッピンの莉乃が、オムライスを仕上げている栞に向かって、スナック菓子の空き袋を投げつけるようにして怒鳴り散らしていた。


『ねえ、もっとバター効かせて太りそうな味にしないでよ! 莉乃が食べるわけじゃないんだからさ! 写真さえ撮れれば味なんてどうでもいいの! フォロワーのブス共が「美味しそう♡」って騙されればそれでいいんだから、さっさと皿に盛れっての!!』


会場が、凍りついた。


百二十名の参列者の呼吸が、完全に停止した。

東都広告の役員たちが手元で持っていたシャンパングラスが、微かにカタカタと震える。

宮内庁御用達シェフが腕を振るった特別フレンチ懐石の芳醇な香りすら、一瞬にして悪臭に変わったかのような、息の詰まる静寂。


さらに、映像は容赦なく次なる証拠を突きつけた。


画面の上部。

赤く点滅する巨大なデジタルフォントで、改ざん不可能なメタデータが刻まれていた。


【撮影日時:20××年5月14日 午前6時12分】

【撮影機材:SONY α7Ⅳ(機体固有シリアル番号:8492013)】

【GPS座標:東京都世田谷区桜上水○丁目(真壁実家)】

【暗号化ハッシュ値(SHA-256):e3b0c44298fc1c14……】


客観的証拠の極致。

ネットのまとめサイトに転がっているような画質の粗い盗撮動画ではない。

プロ仕様の機材によってタイムコードと電子署名が焼き付けられた、裁判所にそのまま提出可能な法執行機関レベルのオリジナルマスターデータ。

何者かが「AIで作ったフェイク動画だ」「悪意ある捏造だ」と言い逃れすることなど、絶対に不可能な完全証明。


そして、画面がスッと左右に二分割された。


左側には、先ほど栞がオムライスの仕上げを終え、ミントの葉を添えて皿の縁を清潔なリネンで拭き上げた瞬間の映像。

タイムスタンプ――【午前6時14分】。


右側には、まさにその日の朝、アカウント『@Rino_Life』に投稿され、五万件以上の「いいね」を獲得して大バズりした、あの公式インスタグラムの写真。

キャプションのテキストが、巨大な文字で画面いっぱいに拡大される。


『今朝は少し早起きして、大好きな家族のためにふわとろオムライスを手作りしました♡

卵の火加減が難しかったけど、ぷるぷるに可愛く巻けて大満足です✨

みんなも素敵な朝を過ごしてね♡

#手作り朝食 #おうちカフェ #花嫁修行 #丁寧な暮らし #真壁莉乃』


投稿時間――【午前6時17分】。


わずか、三分差。


栞が作り終えて皿を置いた三分後に、スッピンで寝そべっていた莉乃がスマートフォンを構え、さも自分がゼロから作ったかのように偽装して全世界へと放流したという、動かぬ事実。


「……え?」

「おい……これ、マジかよ……?」

「妹本人は……何も作ってないってことか……?」


ざわめきが、波のように広がっていった。

それは最初は小さな囁きだったが、瞬く間に会場全体を呑み込む激しい地鳴りへと変わっていった。


「全部……お姉さんが作ってたのか?」

「じゃあ、あの料理本出版の話も、雑誌のインタビューで語ってた『母から受け継いだ秘伝の出汁』も……全部、嘘だったのか!?」

「手元動画がないって噂になってたけど、ゴーストライターどころの話じゃないぞ……ただの完全な身代わり詐欺じゃないか!」


東都広告の若手社員たちが、青ざめた顔で顔を見合わせる。

その視線の先――上座に座る、第一営業局筆頭シニアディレクター・津田貴志。


津田は、ピクリとも動かなかった。

組んだ腕を解くこともなく、メタルスクエアの眼鏡の奥から、冷徹な視線を高砂席へと突き刺している。

その唇の端が、微かに、侮蔑を孕んで歪んでいた。

(……やはりな。相沢、貴様が会社の看板を賭けてゴリ押しした“カリスマインフルエンサー”の正体が、このザマか)

津田の手元。スーツの内ポケットに忍ばせた、社内監査室の告発報告書の控えが、静かにその断罪の時を待っていた。


さらに、相沢家の親族席。

中央に座る相沢静代の顔から、すべての温度が完全に消え去っていた。


漆黒の加賀友禅の胸元。

静代が握りしめていた金箔塗りの扇子が、メキリ……と小さな音を立てて軋んでいた。

細く切り裂かれたその瞳には、怒り狂う感情すら通り越した、絶対零度の殺意が宿っていた。

由緒ある相沢家の格式。

亡き夫から受け継ぎ、己の人生のすべてを捧げて守り抜いてきた一族の名誉。

その神聖な婚礼の儀が、百二十名の一流財界人や親族たちの目前で、下賤な詐欺師の茶番劇として泥靴で踏みにじられたのだ。

静代の背筋から立ち上る凄まじい威圧感に、隣に座る親族たちが怯えて身を縮こまらせていた。


そして、新婦親族テーブル。


「な……な、何よこれぇぇッ!?」


母・恵津子のけたたましい悲鳴が、末席から上がった。

立ち上がろうとした恵津子は、留袖の裾を踏んでテーブルに激突し、並んでいた高級磁器のスープ皿をガシャンとひっくり返した。

紫色の特注留袖の胸元に、黄色いポタージュが下品に飛び散る。


「栞!! あんた、何てものを流してるのよ!! 止めなさい! 今すぐその画面を消しなさいよ!!」

恵津子は目を血走らせ、末席の私に向かって唾を飛ばして叫んだ。

だが、その声は会場内のざわめきと、スピーカーから轟く次の音声にかき消された。


父・宗治は、手からウイスキーのグラスを取り落としていた。

床の深紅の絨毯に染み込んでいく琥珀色の液体。

宗治の顔面は土気色を通り越し、まるで死人のように青白く硬直していた。

「ば、馬鹿な……退職金が……私の五百万円が……あ、相沢家との縁組が……」

カタカタと歯の根が合わずに震える宗治の喉から、空気の抜けるような喘ぎ声しか漏れてこなかった。


映像は、止まらない。


二本目の証拠映像。

秋に大バズりし、女性ファッション誌の巻頭カラーを飾った『無添加シャルロットケーキと飴細工のティアラ』のメイキング。


スクリーンに映し出されたのは、深夜一時。

冷え切った台所で、息を白く吐きながら、百本以上の極細の飴の糸をピンセットで一本ずつ組み立てていく、栞の痛々しいほど孤独な横顔。

その足元。

リビングのソファで毛布にくるまりながら、泥酔して缶チューハイを煽る莉乃が、汚らしい足先で栞の腰を小突く姿が克明に記録されていた。


『ねえ、早く完成させなさいよ! 明日の朝までにケーキができてなかったら、あんたの部屋の服、全部ゴミ箱に捨ててやるからね! 高卒の居候のくせに、妹の役に立つことくらいしか能がないんだから、死ぬ気で徹夜しなさいよ!!』


残酷なまでの、家庭内虐待の生々しい実態。

「心優しい家族思いの美少女」という虚構のベールが、一ミリの余地もなく引き裂かれ、そこに現れたのは、実の姉を無償の奴隷として使い潰す、醜悪極まりない寄生虫の怪物の姿だった。


「ひ……っ」


高砂席の壇上。

スポットライトの純白の円の中心で、真壁莉乃の喉から、引き攣った短い悲鳴が漏れた。


全身の血液が、一瞬にして足の先から抜け落ちていく感覚。

指先が、氷のように冷たく硬直していく。


(嘘……嘘よ……なんで……なんであの動画が……!?)


莉乃の瞳孔が限界まで見開かれ、唇がガタガタと激しく震え始めた。

隠していたはずだった。

誰も見ていない、真壁家の閉ざされた台所だけの秘密だったはずだった。

姉は従順な家政婦で、自分の引き立て役で、何を言っても逆らえない無力な負け犬だったはずだった。


その姉が。

最初から。

アカウントを開設したあの日から、すべての暴言を、すべての証拠を、逃げ場のないマスターデータとして完璧に記録し、保存していた。


「あ……あ、あ……」


莉乃は両手で自らの口元を押さえた。

だが、溢れ出る過呼吸のような荒い息は止まらない。

足元の床が、ぐにゃりと歪んで底が抜けていくような錯覚。

何千万円のティアラが、何百万円のオートクチュールドレスが、今や自分を公衆の面前で処刑台に固定するための、耐え難い鉄の拘束具のように重くのしかかってくる。


「……おい」


その時。

隣から、地獄の底から響くような、低く濁った声が降ってきた。


莉乃が恐る恐る首を巡らせると、そこには――タキシード姿の新郎・相沢航太が立っていた。


航太の顔は、怒りと屈辱で真っ赤に沸騰していた。

眼鏡の奥の目は血走り、こめかみには太い青筋が幾重にも波打っている。

彼が握りしめていたワイングラスのステム(脚)が、強すぎる握力によってミシリと軋んでいた。


「……おい、莉乃」


航太の唇が、震えながら言葉を絞り出す。


「お前……これ、全部本当なのか……?

僕に振る舞ったあの手料理も……SNSの丁寧な暮らしも……全部、お前が作ったんじゃないのか……!?

お前、僕を……僕を騙していたのかッ!?」


エリートとしてのプライド。

会社での面子。

自分を神のように崇めてくれる可憐なトロフィーワイフを手に入れたという優越感。

そのすべてが、目の前で巨大なスクリーンに映し出された生の汚物によって、修復不能の粉々に粉砕されたのだ。

大企業の重役たちの前で、同僚たちの前で、自分は「中身のない偽装女に騙されて結婚したピエロ」として、完膚なきまでに晒し者にされている。


「ち、違う……航太さん、違うの! これはお姉ちゃんの罠よ! お姉ちゃんが私をハメようとして、AIで作った偽物の動画なのよ!!」


莉乃は狂乱し、航太の腕に縋り付こうとした。

だが――航太はその手を、汚らわしい害虫を払うかのように、力任せに振り払った。


バシィッ!!


「触るなッ!!」


航太の怒号が、高砂席から会場全体へと響き渡った。

弾き飛ばされた莉乃は、テーブルの装花をなぎ倒し、大輪の白薔薇のブーケが床へと転がり落ちて無残に花弁を散らした。


そして――。


この地獄の崩壊劇は、この『鳳凰の間』の中だけに留まってはいなかった。


高砂席のテーブルの上、卓上装花の陰に設置されていたiPad Pro。

全世界に向けてリアルタイムで送出されていた、インスタグラムのライブ配信。


佐久間湊が第34話で完璧に仕掛けておいた、ストリーミング信号の完全割り込み(オーバーライド)。

会場のスクリーンで流れているこの未編集RAW映像は、今、まったく同じタイミングで、全世界のフォロワーたちのスマートフォンの画面を完全にジャックしていたのだ。


同時接続者数――六万八千人。


画面の左側を流れるコメント欄のスクロール速度が、もはや人間の目で追える限界を遥かに超えて、光の濁流となって暴走を始めていた。


【嘘でしょ!?!?!?!?】

【え、これ莉乃ちゃん!? スッピンやばすぎだし口悪すぎ!!】

【ポテチ食いながら「使えないな」って怒鳴ってんじゃん……ドン引きなんだが】

【待って、料理作ってたの手元全部お姉ちゃんじゃん!!】

【全部パクリ!? 全部偽装!?】

【「フォロワーのブス共が騙されればいい」って今言ったよね!? 許せない!!】

【詐欺じゃん!! アンバサダーやってたコスメも全部嘘!?】

【中の人お姉ちゃんだったの!? 返金しろ詐欺師!!】

【通報した】【垢BAN確定】【結婚式で公開処刑されてて草】


毎秒、何千件もの罵倒と告発の嵐。

莉乃が人生をかけて築き上げてきた三十万人のフォロワーという神殿は、わずか数分間の真実の光によって、跡形もなく、木っ端微塵に崩壊を始めていた。


会場の最末席。

新婦親族テーブルの端で、私は静かに冷めたシャンパンのグラスを傾けた。


暗闇の中、私の瞳には、高砂席でドレスを踏み躙りながら錯乱する妹の姿が、鮮明に映っていた。

哀れみも、躊躇も、一片のさざ波すら立たない、絶対零度の静寂。


(ぜんぶ、あげたわよ、莉乃)


胸の中で、冷やかに呟く。


(あなたが欲しがった名声も、エリートの夫も、豪華な披露宴も、何万人もの注目も……ぜんぶ、あなたが望んだ通りに譲ってあげたわ。

……だから、その重みに潰されて、堕ちていきなさい)


耳元のインカムから、佐久間湊の冷徹なカウントダウンが響いた。


《トラックワン、終了。……続いて、トラックツーへ移行する。海外クリエイターへの盗作検証、いくよ》


映像は、まだ終わらない。

料理の偽装というメッキが剥がれ落ちた今、次に暴かれるのは――彼女が犯した、国際的な犯罪の証拠。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。