第25話:同居生活の地獄絵図
東京湾から吹き付ける凍てつく夜風が、高層タワーマンションの強化ガラスを低く鳴らしていた。
地上四十三階、港区芝浦に聳え立つ相沢航太の居室。
広さ八十平米を超えるその部屋は、内見の際にはモデルルームのように無機質で、研ぎ澄まされた大人の都会生活を約束する空間だったはずだった。
だが――真壁莉乃がスーツケース四つを抱えて転がり込んできてから、わずか五日。
その洗練されたデザイナーズマンションは、息を吸い込むことすら躊躇われるほどの「ゴミ屋敷」へと変貌を遂げていた。
「……あーあ、だる。なんでこんなに部屋が散らかるわけ?」
午後三時過ぎ。
昼過ぎにのそのそとベッドから這い出してきた莉乃は、毛玉だらけのオーバーサイズのスウェットを引きずりながら、足の踏み場もないリビングの床を跨ぐように歩いていた。
白を基調としたイタリア製の大理石調フローリングの上には、脱ぎ捨てられたハイブランドのワンピースや下着、タイツが脱け殻のように散乱している。
ガラステーブルの上には、使いかけのファンデーションの粉が白く飛び散り、蓋の開いたリップスティック、つけまつげの抜け殻、そして何本ものエナジードリンクの空き缶が乱雑に林立していた。
空気清浄機のフィルターは埃で目詰まりを起こして異音を立て、部屋の隅には、通販サイトから届いた段ボール箱が解かれもせずに山積みになっている。
莉乃は実家にいた十八年間、一度たりとも自らの手でゴミを分別したことも、掃除機をかけたこともなかった。
脱ぎ捨てた服は翌朝には洗われてアイロンが掛けられ、使ったティッシュはいつの間にかゴミ箱へ消え、床にはチリひとつ落ちていない――それが莉乃にとっての「世界の初期設定」だったのだ。
当然だ。そのすべてを、姉である栞が、家族が寝静まっている早朝や深夜に、気配すら悟らせずに完璧に片付けていたのだから。
家事という行為に、どれほどの労力と工程が存在するのか。
自力で暮らすということが、どれほど地道な習慣の積み重ねの上に成り立っているのか。
他人の労働の上に無賃乗車し続けてきた寄生虫には、それを想像する知性すら備わっていなかった。
「航太さん、お掃除ロボットくらい買っときなさいよね。気の利かない男……」
莉乃はソファに倒れ込み、爪の先を噛みながらスマートフォンをスクロールした。
画面には、相変わらず『Pinterest』や海外クリエイターのアカウントから無断拝借した美しい朝食の写真が並んでいる。
昨夜も韓国のフードスタイリストの画像を反転させて投稿し、数万件の「いいね」を稼ぎ出したばかりだった。
ネットの世界では、彼女は今なお「丁寧な暮らしを紡ぐ可憐なカリスマ」だった。
だが、そのスマートフォンの画面から顔を上げれば、目の前に広がっているのは、異臭の漂う現実の掃き溜めだった。
特に酷かったのは、アイランドキッチンだった。
ドイツ製の高級ビルトインコンロの上には、昨夜莉乃が食べ残したデパ地下の中華惣菜のパックが、油の浮いたスープを干からびさせたまま放置されていた。
シンクの中には、航太が朝使ったコーヒーカップ、数日前にテイクアウトした高級割烹の重箱のプラスチック容器、割り箸、油でギトギトになった皿が、まるでジェンガのように高く積み上げられている。
排水口のゴミ受けには、腐敗しかけた野菜くずと茶殻がドロドロに溶け合い、温かい暖房の風に乗って、酸っぱい饐えた臭いがリビング全体に充満していた。
「……う、臭っ。換気扇つければいいか」
莉乃は鼻をつまみ、換気扇の強ボタンを押すと、それ以上の片付けを放棄して冷蔵庫を開けた。
中からペットボトルの炭酸水を取り出し、ラッパ飲みする。
喉を潤した莉乃の視線が、ふと洗面所の奥――ドラム式洗濯乾燥機へと向いた。
「あ、そうだ。航太さんの服、洗っとかないとうるさいんだっけ」
昨夜、残業から帰ってきた航太に「僕の着替えがないんだけど、洗濯はしてくれたかい?」と嫌味っぽく眉をひそめられたのを思い出したのだ。
莉乃は仕方なく重い腰を上げ、洗面所の脱衣カゴへと向かった。
カゴの中には、航太が脱ぎ捨てたワイシャツやインナーが溜まっていた。
その中には、航太が「今週の大事な役員プレゼンで着る勝負服」として大切にしていた、英国の老舗トーマス・メイソンの最高級ブロード生地を使った、仕立て代十万円を超える特注のオーダーメイドシャツが含まれていた。
さらには、イタリア製の極細カシミア混サマーウールで編まれた、繊細な手洗いが必須のハイゲージニット。
衣類の洗濯表示タグなど、莉乃は人生で一度も確認したことがなかった。
水洗いができるのか、ドライクリーニング専用なのか、漂白剤が使えるのか。
そんな知識を持ち合わせているはずもない。
実家では、栞が素材ごとにネットを使い分け、中性洗剤で優しく手洗いし、縮みを防ぐために平干しネットで陰干ししていた。
「服なんて、洗剤入れて回せばぜんぶ同じでしょ」
莉乃は脱衣カゴの中身を、泥汚れのついた靴下も、繊細なオーダーシャツも、カシミアニットも、一切分別することなくドラム式洗濯機の中へと力任せに押し込んだ。
ジェルボールの洗剤を無造作に放り込み、適当にボタンを押す。
液晶パネルに表示されたコースは――【標準洗い・強力高温乾燥(八十度)】。
デリケートな天然繊維にとって、死の宣告に等しい熱風乾燥コース。
ガタン、と重いロック音が響き、ドラムが猛烈な勢いで回転を始めた。
「よし、完璧! 莉乃ってば、ちゃんとお嫁さんぽいことしてるじゃん!」
満足げに鼻を鳴らした莉乃は、再びソファへと戻り、テレビをつけてバラエティ番組を見ながら、ポテトチップスを貪り食い始めた。
床の上に、塩のついたポテトチップスの破片がパラパラと零れ落ちていく。
――そして、深夜零時過ぎ。
ガチャリ、と重厚な玄関ドアの鍵が開く音が、静まり返ったリビングに響いた。
入ってきたのは、黒いビジネスコートを羽織り、革のブリーフケースを提げた相沢航太だった。
連日の激務。東都広告の社内では、コスメブランド『エル・クレア』のタイアップを巡り、直属の先輩である津田貴志から「数字の推移がおかしい」「本当にこのインフルエンサーで大丈夫なのか」と厳しい追及を受け、神経をすり減らしていた。
疲れ果て、癒しを求めて帰宅した航太の鼻腔を――靴を脱いだ瞬間、強烈な悪臭が直撃した。
「……ッ!? な、なんだこの臭いは……!?」
航太は思わずハンカチで口元を押さえた。
生ゴミの腐敗臭、古い油の酸化した臭い、そして換気のされていない密室特有の湿った埃の臭い。
眉を限界まで吊り上げた航太が、リビングの扉を開けた瞬間――その場に凍りついた。
目の前に広がっていたのは、ゴミ捨て場だった。
床一面に散乱する服と靴下。
テーブルの上に散らばる化粧品の粉と空き缶。
そしてシンクから溢れかえり、コバエが数匹飛び交っている汚れた食器の山。
ソファの上では、スウェット姿の莉乃が、口を開けてだらしなくいびきをかいて眠りこけていた。
足元には、食べ散らかしたスナック菓子の袋が転がっている。
航太の額に、青筋が太く浮き上がった。
全身の血液が、一瞬で沸騰するのが自分でも分かった。
「……おい」
低く、地割れのような声が落ちた。
「おい!! 起きろ、真壁莉乃!!」
航太は持っていた重いブリーフケースを、ガラステーブルの端へ力任せに叩きつけた。
ガシャンッ!!と凄まじい破壊音が響き、テーブルの上の空き缶が床へと転がり落ちる。
「ひゃっ……!? な、なに!?」
莉乃が飛び起き、目を白黒させて航太を見上げた。
そこに立っていたのは、いつもの爽やかなエリート青年の姿ではなかった。
眼鏡の奥の目を血走らせ、顔を真っ赤に染め上げた、怒り狂う鬼の形相。
「なんだこの部屋はッ!!」
航太の怒号が、四十三階のリビングを震わせた。
「足の踏み場もないじゃないか! この悪臭は何だ!? シンクのゴミはいつから放置してるんだ!? 僕が朝出勤した時より、さらに酷くなってるじゃないか!!」
「な、何よ急に怒鳴って……!」莉乃は怯えながらも、すぐに不機嫌そうに唇を尖らせた。「ちょっと散らかってるくらいで、大げさに騒がないでよ!」
「ちょっと散らかってるだと!?」
航太は叫び、床に落ちていたポテトチップスの袋を蹴飛ばした。
そして、洗面所の方を指差した。
「それだけじゃない! おい、洗濯機の中を見たぞ!!」
航太が洗面所から引っ張り出して、リビングの床へ投げつけたもの。
それは――見るも無残な姿に成り果てた、衣類の残骸だった。
十万円を超えるトーマス・メイソンのオーダーメイドシャツは、高温乾燥の熱で繊維が極限まで縮み上がり、まるで小学生の体操着のように小さく縮小していた。上質な貝ボタンのいくつかはドラムの衝撃で真っ二つに割れ、襟元はアイロンを二度と受け付けないほど無残に波打っている。
そして、イタリア製のカシミアニットは、フェルトのようにガチガチに硬化し、元のサイズの半分以下の塊と化していた。
「俺のオーダーシャツをどうしたッ!!」
航太は喉が裂けんばかりの絶叫を上げた。
「今週の役員プレゼンで着るって、あれほど言っただろうが!! カシミアのニットを乾燥機にかけるバカがどこの世界にいるんだ!? 生地が死んでるじゃないか! 二度と着られないぞ、これ!!」
「し、知らないわよそんなの!!」
莉乃は耳を塞ぎ、甲高い声で叫び返した。
「親切で洗ってあげたんでしょ!? ボタン押しただけじゃない! ちょっと縮んだくらいで、そんなに怒鳴ることないじゃない! ケチくさい男ね!!」
「ケチくさいだと……!?」
航太の瞳から、理性の光が完全に消え去った。
彼は莉乃の胸倉を掴まんばかりの勢いで詰め寄ると、その顔面を至近距離から睨みつけた。
「お前……SNSに載せてるあの『丁寧な暮らし』は、全部ハッタリだったのか!?」
核心。
莉乃が最も触れられたくない、致命的な急所への直撃弾。
「出汁から丁寧に引いた料理? 季節の草花を飾るおうち時間? 笑わせるな!! 掃除も洗濯もゴミ出しすらできないくせに、何が『丁寧な暮らし』だ! お前、普段家で何一つやってこなかっただろ! 全部嘘だったんだな!?」
航太の口から飛び出す、容赦のない正論の礫。
外ではスマートに振る舞いながら、一度身内とみなした相手には逃げ場のない減点法で徹底的に精神的優位に立とうとする、モラハラ男の本領発揮だった。
「僕の稼ぎで、このタワーマンションに住まわせてやってるんだぞ! 家賃がいくらすると思ってるんだ! 僕が外でどれだけ頭を下げて金を稼いできてるか、少しでも考えたことがあるのか!? 家事すらまともにできない寄生虫を養うために、僕は働いてるんじゃないんだよ!!」
プライドをズタズタに引き裂かれた莉乃の顔が、怒りと屈辱で真っ赤に染まった。
言い返せない。
家事ができないのも、シャツを台無しにしたのも、紛れもない事実だったからだ。
だが――この怪物は、決して自らの非を認めるようなタマではなかった。
追い詰められた莉乃が切ったのは、最も下劣で、最も強力な、あの「無敵の免罪符」だった。
「……酷い」
莉乃は両手で顔を覆い、突然、大粒の涙をボロボロと零し始めた。
そして、大理石の床の上にへたり込み、自らの下腹部を抱きかかえるようにして、悲劇のヒロインの絶叫を上げたのだ。
「酷い、酷い、酷いッ!! 航太さん、なんて酷い人なのぉぉッ!!」
「な……何をごまかそうとしてるんだ!」
「ごまかしてない!!」
莉乃は涙と鼻水でぐしゃぐしゃになった顔を跳ね上げ、航太を睨みつけた。
「私、言ったじゃない! 妊娠初期で、つわりが酷くて立っているのも辛いって!! お腹の中に航太さんの赤ちゃんがいるのよ!? 熱っぽくて、吐き気が止まらなくて、頭が割れそうに痛いのに……航太さんのために、無理して洗濯機を回したんじゃない!!」
胸を掻きむしるような熱演。
第21話で千佳から手に入れた、あの偽装妊娠という悪魔の切り札。
「それなのに……シャツが一枚縮んだくらいで、そんなに怒鳴るなんて! 『寄生虫』ですって!? 私と、お腹の赤ちゃんのことを、航太さんはそんな風に思ってたのね!? 父親の自覚なんて、これっぽっちもないんじゃない!! 男のくせに、家事くらい自分でやってよ!!」
逆ギレ。
自らの無能と過失をすべて「妊娠の体調不良」へとすり替え、逆に相手を「妊婦をいたわらない冷酷なモラハラ男」として断罪する、完璧な責任転嫁。
航太の息が、喉の奥で詰まった。
「……っ、そ、それは……」
航太の表情に、動揺の色が走った。
いくらモラハラ気質の男であっても、「自分の子どもを身ごもっている妊婦」という記号を前にしては、強く出られない弱みがあった。
もしここで莉乃が倒れ、流産でもされたら、それこそ取り返しのつかない罪悪感と世間体の破滅を背負わされることになる。
だが――航太もまた、完全に騙されるほど愚かではなかった。
広告代理店の修羅場で培った疑り深さが、航太の脳裏に警報を鳴らしていたのだ。
航太はネクタイを乱暴に緩めると、冷たい眼差しで莉乃を見下ろした。
「……つわり、ね」
航太の声のトーンが、怒声から、低く陰湿な尋問調へと切り替わった。
「莉乃ちゃん。君、僕のマンションに来てから、一度でも産婦人科に行ったのか?」
莉乃の心臓が、ドクンと跳ねた。
「え……?」
「病院だよ」
航太は一歩、莉乃へと歩み寄った。
「妊娠が分かってからもう二週間以上経つだろ。つわりがそこまで重いなら、どうして病院で診察を受けないんだ? 母子手帳はもらったのか? 確定診断の診断書はどうした? 僕が『一緒に病院に行こう』と言っても、君はいつも断るじゃないか」
冷徹な追及。
莉乃の背筋を、本物の冷や汗が流れた。
(やばい……! 疑われてる……!?)
だが、莉乃は千佳から吹き込まれていた「言い逃れのシナリオ」を、必死に脳内から引っ張り出した。
唇を小刻みに震わせ、怯えた小鳥のように身をすくめて見せる。
「……だ、だって……怖いんだもん……!」
「怖い?」
「うん……! 産婦人科の、あの独特の冷たい機械の音とか、内診台の雰囲気が……私、どうしても怖くて、パニックになっちゃうの……! それに、この前一人で近所のクリニックに行った時、お医者様から言われたのよ! 『今は着床したばかりで母体が極めて不安定だから、絶対に安静にしていなさい。無理に動いたり、電車に乗ったりしてはいけません』って!」
莉乃は涙を拭いながら、早口で嘘をまくし立てた。
「母子手帳だって、心拍が完全に確認できる妊娠八週目か九週目以降じゃないと、区役所に行っても発行してもらえないのよ! 航太さんは男だから、そういう初期のデリケートな仕組みなんて何も知らないんでしょう!? 知らないくせに、嘘つき扱いしないでよ!!」
医学的な知識を適当にネットで齧っただけの、出任せの防壁。
だが、「産婦人科が怖い」「初期だから母子手帳はまだ出ない」「絶対安静」という言葉の羅列は、独身男性である航太を言いくるめるには十分な煙幕だった。
航太は舌打ちをし、頭をガシガシと掻きむしった。
「……チッ。分かったよ。もういい」
航太は床に散らばったオーダーシャツを乱暴に拾い上げると、ゴミ箱へと叩き込んだ。
十万円のシャツを、未練を断ち切るように捨てる。
その横顔には、妊婦への愛情など微塵もなく、ただ「厄介な爆弾を抱え込んでしまった」という、救いようのない苦々しさと後悔だけが張り付いていた。
「今夜は寝る。……明日の朝までに、そのシンクのゴミくらいは袋にまとめておけよ。臭くて眠れやしない」
バタンッッ!!
寝室のドアが、蝶番が壊れんばかりの凄まじい音を立てて閉ざされた。
内側から、カチャリと鍵が掛けられる冷たい音が響く。
リビングに残されたのは、足の踏み場もないゴミの海と、大理石の床の上に座り込んだままの莉乃だけだった。
「……っ、ふざけんな……!」
莉乃は立ち上がり、寝室のドアに向かってクッションを投げつけた。
「ふざけんな、モラハラ男!! なんなのあいつ! エリートだか何だか知らないけど、器の小さいちっぽけな男じゃない!! お姉ちゃん、あんな奴のどこが良かったのよ!!」
怒りと悔しさで、莉乃の呼吸は荒く乱れていた。
タワーマンションでの優雅なセレブ同棲生活。
そんな甘い幻想は、完全に打ち砕かれていた。
ここにあるのは、互いの短所を減点法で罵倒し合い、嘘と保身で縛り付け合う、逃げ場のない共依存の泥沼だけだった。
「あー、喉乾いた……」
莉乃はフラフラとキッチンへ向かい、冷蔵庫から冷たい水を飲んだ。
時刻は、深夜一時を回ろうとしていた。
静まり返った室内。換気扇の回る重い低音だけが響く中、莉乃はリビングの電気を消し、ソファの上で丸まって毛布を被ろうとした。
――その、瞬間だった。
ピンポーン。
静まり返った部屋の中に、甲高く、耳を劈くような電子音が鳴り響いた。
莉乃の身体が、ビクッと跳ね上がった。
「……え?」
ピンポーン、ピンポーン。
執拗に、間髪を入れずに繰り返されるチャイム。
このタワーマンションの各戸のインターホンではない。
一階のエントランスホールにある、総合オートロックコンシェルジュからの呼び出し音。
深夜一時過ぎ。
こんな時間に、来客などあるはずがなかった。
航太の友人か? それとも、深夜の宅配便か?
莉乃は不審に思いながら、壁に設置されたカラー液晶モニターの前へと歩み寄った。
通話ボタンの横にある、モニター起動ボタンを押す。
パッ、と液晶画面が点灯した。
暗いエントランスの監視カメラが捉えていた、来訪者の姿。
その画面を見た瞬間――。
莉乃の喉から、ヒュッと息が引き攣る音が漏れた。
画面に映っていたのは――。
真冬の漆黒のウールコートを寸分の乱れもなく身に纏い、革の手袋を嵌めた手を胸の前で揃えて、冷酷無比な眼差しでレンズを真っ直ぐに見据えている、一人の女性。
相沢静代。
航太の母であり、相沢家の絶対君主である、あの苛烈な姑の姿だった。
その顔には、笑みの一欠片もなかった。
夜叉のように冷え切った、獲物の息の根を止めるためだけに夜闇を裂いてやってきた、本物の怪物の表情。
ピンポーン、ピンポーン――。
深夜のタワーマンションに、破滅の鉄槌を告げるチャイムが、無慈悲に鳴り響き続けていた。




