第12話:救世主コンプレックスを刺激する
柔らかな弦楽四重奏の調べが、高いドーム状の天井に溶けていく。
大手町に位置する五つ星ホテル『パレス・グランド東京』のメインラウンジ。
磨き抜かれた大理石の床には毛足の長い絨毯が敷き詰められ、皇居の緑を見渡す広大なガラス窓の向こうには、冬の夕暮れに染まりゆく都心のスカイラインが広がっていた。
平日の夕刻、アフタヌーンティーを楽しむ富裕層のマダムや、静かに商談を進めるエグゼクティブたちで満たされたその空間は、安っぽいファミレスやチェーン系カフェの喧騒とは隔絶された、選ばれた者たちだけの特権的な静寂に満ちていた。
「お待たせしてしまいましたか、相沢様」
案内された窓際のボックス席の前で、私はコートを脱ぎ、静かに一礼した。
本日の私の装いは、この空間の格を落とさず、かつ「妹の陰に隠れた慎ましい姉」という偶像を完璧に補強するよう、緻密に計算されていた。
濃紺の膝丈フレアスカートに、アイボリーの上質なハイネックニット。どちらも『Noir』のオーナーである黒木蓮から「店の経費だ、面接時のスーツ以外も揃えておけ」と渡されていた、無名だが仕立ての極めて美しい国内工房の仕立て品だ。
派手な装飾品は一切身につけず、耳元に小さなパールのピアスをひとつだけ。髪は後ろでハーフアップにまとめ、伏せた目元にわずかな陰影を残している。
席に座っていた相沢航太が、パッと顔を輝かせて立ち上がった。
「いいえ、僕も今着いたところですよ。……どうぞ、奥の席へ。コートをお預かりしましょう」
航太は手慣れた仕草で私のコートを受け取ると、丁寧な手つきで椅子の背に掛け、私が座りやすいよう椅子を引いてくれた。
スマートなエスコート。完璧な笑顔。
大手広告代理店で鍛え上げられた、女性を心地よく錯覚させるためのマナーの数々。
一周目の私なら、そのスマートさに胸を高鳴らせ、「なんて素敵な人なんだろう」と頬を染めていただろう。
だが、二周目の私の瞳は、その洗練された所作の裏側にへばりつく「醜い本質」を、冷徹な顕微鏡のように見透かしていた。
(指先が、ほんの少し雑ね)
コートを受け取る際、航太の視線はコートの襟裏にあるブランドタグを一瞬だけ確認しようと彷徨った。無名のタグだと分かった瞬間、わずかに口元が緩んだのを私は見逃さなかった。
『金のかかっていない、素朴な娘』というラベルを私に貼り、安心したのだ。
「こちらのラウンジのオリジナルブレンドティーが素晴らしいんです。ダージリンのファーストフラッシュに、微かにベルガモットと白桃の香りを乗せていてね。栞さんの雰囲気にぴったりだと思って、勝手ながら注文しておきましたよ」
「まあ……お心遣い、ありがとうございます」
私は両手を膝の上で揃え、少し気後れしたように視線を彷徨わせて見せた。
「場慣れしていない純朴な女性」の仕草。
その時、銀のトレイを持った若い男性ウェイターが、湯気を立てる純銀のティーポットを運んできた。
カップに琥珀色の液体が滑らかに注がれる。
その際、ポットの底から落ちた一滴の雫が、テーブルのナプキンの端をわずかに濡らした。
「失礼いたしました」
ウェイターが即座に頭を下げ、小さな布で拭き取ろうとした瞬間――。
航太の眉が、ピクリと不快そうに跳ね上がった。
彼は言葉こそ発しなかったが、顎をわずかに引き、冷たい見下すような視線をウェイターの手元へと浴びせ、指先でトントンと無言でテーブルを叩いたのだ。
『一流ホテルのスタッフのくせに、僕の連れの前で粗相をするな』と言わんばかりの、陰湿な威圧。
ウェイターが青ざめて立ち去ると、航太は何事もなかったかのように爽やかな笑みを取り戻し、カップを私の方へと滑らせてきた。
「どうぞ、冷めないうちに。とても繊細な茶葉ですから」
(減点、マイナス二十点)
私の心の中で、冷徹な採点簿が音を立てて更新される。
格下の人間、反論できない立場にあるサービススタッフに対して見せる、無意識の傲慢と横柄さ。
自分を大きく見せたい見栄っ張りの男が、最も隠しきれない急所。
一周目では「仕事ができるエリートの厳しさ」だと自分を騙して見過ごしていた欠陥が、今やただただ滑稽な喜劇に見えていた。
「美味しい……とても豊かな香りですね。こんなに素晴らしい場所に連れてきていただいて、私なんかが場違いではないかと緊張してしまいます」
私はカップを両手で包み込み、恥ずかしそうに目を伏せた。
その瞬間、航太の瞳の奥に、獲物を完全に捕らえたという確信の光が宿った。
男としての優越感。
こんな高級ホテルに慣れていない無垢な小鳥を、自分の甲斐性で贅沢な世界へ導いてやっているという、底なしの自己満足。
「場違いだなんて、とんでもない。君のように慎ましく、本物の品性を持った女性こそ、こういう場所に相応しいんですよ」
航太は身を乗り出し、甘く低く囁きかけるような声で、核心へと踏み込んできた。
「……先日の打ち合わせの後、ずっと君のことが頭から離れなくてね。あの完璧なデータ分析、そして何より、妹さんを立てるために一歩引いて控えていた君の姿。……栞さん、単刀直入にお聞きしてもいいですか?」
「は、はい……何でしょうか」
「君はどうして、自分の力で表舞台に立とうとしないんですか? 失礼ながら、妹さんのあの華やかさの裏で、実務のすべてを君が背負っているように見えました。君ほどの頭脳とセンスがあれば、大手企業のマーケティング部門や企画職で、いくらでも引く手あまたのはずだ」
航太の目が、怜悧な光を帯びる。
それは、純粋な称賛ではない。
『こんなに有能な女が、なぜ安売りされているのか』という理由を探り、その弱みにつけ入って自らの支配下に置くための、打算的な詮索だった。
私は待っていましたとばかりに、心の中で冷たい笑みを深めた。
ここからが、私の仕掛けた「設定」の開帳だ。
私はカップをソーサーに戻し、カチャリと小さな音を立てた。
そして、困ったように視線を落とし、指先をもじもじと絡ませて見せる。
「……私には、そんな資格はありませんから」
「資格がない? どうしてです」
「私……高卒なんです」
私の口から零れ落ちた「高卒」という単語に、航太の瞳が一瞬、かすかに見開かれた。
名門私立大学を出て大手広告代理店に入社した航太にとって、学歴というフィルターは絶対的なものだ。
だが、その後に続く私の言葉が、その学歴格差を「哀しい美談」へと昇華させる。
「本当は……都内の私立大学へ進学する道もありました。指定校推薦をいただいて、合格も決まっていたのです」
「それなのに、なぜ進学しなかったんですか?」
「妹の……莉乃のためです」
私は声を少しだけ震わせ、潤んだ瞳で窓の外の薄暮を見つめた。
「真壁家の家計は、決して裕福ではありません。私立大学の学費を二人分払う余裕など、最初からありませんでした。……莉乃は、昔から体が弱くて、繊細な子なんです。人一倍傷つきやすくて、誰かが守ってあげなければ生きていけない……。そんな莉乃が名門の女子大を強く望んでいた時、長女である私が自分の夢を主張して、妹の道を塞ぐことなんて、どうしてもできませんでした」
嘘は一つも言っていない。
学費の枠を莉乃に譲り、進学を辞退したのは事実だ。
ただし、その裏にある毒親からの虐待や、莉乃の暴力的な強欲さについては、一切口にしなかった。
愚痴を言わない。親や妹を悪く言わない。
ただ「家族が大切だから、自分が泥を被った」という、完璧な自己犠牲の物語。
「ですから、私は自分の意志で進学を辞退いたしました。高卒として実家に残り、妹が大学生活に集中できるよう、家事のすべてを引き受け、身の回りのサポートに専念しようと決めたのです」
「そんな……」
航太の喉から、掠れた息が漏れた。
「妹のSNSのアカウントも、最初はお料理の苦手な莉乃が、大学で少しでも自信を持てるようにと、私が裏方でお手伝いを始めたのがきっかけでした。料理の仕込みも、スタイリングも、コメントのお返事も……妹の笑顔が見られるなら、私は影で構わないのです。真壁家の長女として、妹の引き立て役に徹することが、私の果たすべき役目ですから」
私はふっと、諦めと慈愛に満ちた、聖女のような微笑みを浮かべて航太を見つめ返した。
「ごめんなさい、相沢様。お仕事の話でお呼びいただいたのに、こんな身の上話をしてしまって……。でも、私は自分の境遇を恨んでなどいません。家族が幸せでいてくれるなら、私は今のままで十分幸せなのです」
一分の隙もない、完璧な脚本。
私は自らを「搾取されている哀れな被害者」として提示しながら、自らの口からは一言も被害者ぶる言葉を吐かなかった。
悪口を言わず、健気に耐え、家族を愛する美しい長女。
そして――この演出こそが、相沢航太という男の最も醜悪な急所を、正確無比に貫いていた。
「……っ、そんなの、間違っている!!」
航太が感情を昂らせ、テーブルの上に身を乗り出した。
その整った顔立ちは、義憤に燃え上がっていた。
だが、その瞳の奥でギラギラと輝いていたのは、正義感などではない。
自分の手でこの哀れな女を救い出し、自分の庇護下に置き、一生頭の上がらない感謝と崇拝を捧げさせたいという――底なしの救世主コンプレックスだった。
「栞さん、君は……君は優しすぎる! 優しすぎて、自分を粗末にしすぎているんだ!」
航太の手がテーブルを越えて伸びてきて、私のカップの横に置かれていた私の左手を、上から強く包み込んだ。
汗ばんだ、独善的な体温。
吐き気がするほど不快な感触を、私は身じろぎひとつせずに受け止めた。
「妹さんのために自分の人生を捨てるなんて、そんなの家族愛じゃない、ただの搾取だ! あんな我儘で何もできない妹の引き立て役になんて、君のような才能ある女性が甘んじていいはずがない!」
航太の声は熱を帯び、まるで自分が悲劇のヒロインを救い出す白馬の騎士であるかのように陶酔していた。
「僕が……僕が君の力になりたい。君を、その暗い日陰から救い出してあげたいんだ。君のような女性こそ、誰よりも大切にされ、光の当たる場所で幸せになるべきなんだよ!」
(釣れた)
私の心の中で、冷たい鐘がカランと鳴り響いた。
大漁だ。
航太は今、自分が「妹の影に隠れた可哀想な有能美女」を発見し、彼女を救い出す唯一のヒーローになれるという万能感に、全身を震わせて酔いしれている。
自分を神のように崇めてくれる、都合のいい、手のかからない、完璧なトロフィーワイフ。
航太が心の底から求めていた「理想の獲物」として、私は完璧にその網に掛かって見せたのだ。
「相沢様……そんな、私なんかに、そこまで温かいお言葉を……」
私は瞳にうっすらと涙を浮かべ、震える声で囁いた。
「生まれて初めてです。私の努力を……私の存在を、そんな風に認めてくださった方は……」
「航太、と呼んでください」
航太は優しく、慈愛に満ちた男の顔を作って微笑んだ。
「これからは、僕が君の味方です。仕事のことも、プライベートのことも、何でも僕に相談してほしい。君のその素晴らしい才能を、僕が必ず正当に評価される場所へ連れて行きますから」
「航太さん……」
完璧な調教。
男のプライドを天井知らずに肥大化させ、自らが仕掛けた罠の深みへと、一歩一歩自発的に踏み込ませていく。
二時間ほど続いた逢瀬の間、航太は饒舌に自慢話を繰り広げた。
自分が担当してきた過去の大型キャンペーンの実績、社内での出世レースの優位性、名門・相沢家がいかに格式高い家柄であるか。
私はそのすべてに、「まあ、素晴らしいですね」「航太さんは本当に頼もしい方なのですね」と相槌を打ち、男の自尊心をこれ以上ないほど甘やかして膨らませ続けた。
そして、ラウンジを出る際。
航太はエポスカードのプラチナカードでスマートに会計を済ませると、クロークから預けていた自分の紙袋を受け取った。
ホテルの車寄せへ続くエントランスロビー。
冷たい夜風が吹き抜ける大理石の柱の陰で、航太は立ち止まり、その紙袋からひとつの小箱を取り出した。
「栞さん。……これを受け取ってくれませんか」
差し出されたのは、落ち着いたグレージュの包装紙で包まれ、深紅の細いシルクリボンが結ばれた、四角い薄型のギフトボックスだった。
「これは……?」
「妹さんの影に隠れがちで、いつも地味な服ばかり選んでしまう君へ……僕からの、ささやかな贈り物です」
航太は誇らしげに胸を張り、プレゼントの意図を語った。
「君のその凛とした佇まいに、どうしても似合うと思ってね。昨日の打ち合わせの後、銀座のメゾンへ寄って選んできたんだ」
私は箱を受け取り、リボンの結び目の隙間から、包装紙に空押しされた控えめなロゴを一瞥した。
フランスの最高峰メゾン――『デルヴォー』。
派手なモノグラムや分かりやすいロゴプリントで大衆受けを狙うブランドではない。
真の富裕層や目の肥えた上流階級だけが愛用する、最高品質のシルクツイルで織り上げられた、幾何学文様の大判カレスカーフ。
定価にして、十万円を優に超える逸品。
(……なるほどね)
私は心の中で、冷ややかな感嘆の息を漏らした。
航太の見栄っ張りな計算が、このプレゼントの選定に如実に表れていた。
莉乃のような「分かりやすい記号」を好む軽薄な女なら、ヴィトンのロゴやディオールのバッグに飛びつくだろう。
だが航太は、私という「地味で知的な控えめな女」を落とすために、あえてロゴを主張しない、けれど本物の一流品と分かるシックなスカーフを選んできたのだ。
『僕は君の内面的な品性を理解している』という、これまた独善的なメッセージを込めて。
そして何より――このスカーフは、次の罠の引き金として、これ以上ないほど完璧な劇薬だった。
莉乃は、ブランド物の知識だけは異常に貪欲だ。
雑誌やSNSで「本物のセレブが身につける隠れた名品」として紹介されているこのメゾンの価値を、知らないはずがない。
自分には手に入らない、大人の品格を湛えた十万円超えの最高級スカーフ。
それを、自分が一番見下している「地味な高卒の姉」が、自分が狙っているハイスペックなエリート男からプレゼントされたと知ったら――どうなるか。
「こんなに高価なもの……私、受け取れません……!」
私は怯えたように箱を押し戻そうとした。
航太はその私の手ごと箱を押し包み、満足げに微笑んだ。
「いいんです。君にこそ、使ってほしいんだから。……君が自分の価値に気づくための、第一歩だと思って受け取ってください」
「……ありがとうございます、航太さん。大切に……本当に大切にいたします」
私は胸元に箱を抱きしめ、深く頭を下げた。
車寄せに横付けされたタクシーに乗り込む航太を、私は完璧な淑女の礼で見送った。
タクシーのテールランプが夜の闇に消えていくまで、ずっと手を振って。
そして――車影が完全に視界から消えた瞬間。
私の顔から、すべての温度が綺麗さっぱり抜け落ちた。
「……ふぅ」
冷たい夜気の中に、白い息がひと筋、溶けていく。
私は抱きしめていたギフトボックスを小脇に抱え直すと、冷え切った指先でスマートフォンの画面をタップした。
『Noir』の蓮へ、短いメッセージを送る。
《接触完了。標的の救世主コンプレックスの掌握に成功しました。撒き餌を持ち帰ります》
わずか十秒で、蓮からの返信が届いた。
《了解。あの軽薄野郎の面を見て吐き気はしなかったか? 帰りに胃薬でも飲んでおけ。……夜、冷えるから早く帰れよ》
画面を見つめる私の口元に、自然と本物の笑みが零れた。
あの男の薄っぺらな甘言を二時間浴び続けた後の、蓮の不器用で真っ直ぐな言葉。
それがどれほど私の精神の解毒剤になるか、彼本人は毛頭気づいていないのだろうけれど。
私はコートの襟を立て、駅へと向かった。
午後八時過ぎ。
静まり返った真壁家の玄関を開けると、居間からはテレビのバラエティ番組の笑い声と、母・恵津子の機嫌の良さそうな鼻歌が漏れ聞こえていた。
莉乃はまだ、大学の取り巻きたちとのディナーから帰宅していないようだった。
絶好のタイミング。
私は靴を脱ぎ、足音を忍ばせてリビングへと足を踏み入れた。
「あら、栞。ずいぶん遅かったじゃないの」
恵津子がソファから振り返り、通販カタログから目を上げて私を見下ろした。
「申し訳ありません、お母さん。アンティークサロンでの修繕のお仕事が長引いてしまいまして」
「ふん、安月給のくせに拘束時間だけは一人前ね。早く着替えて、明日の莉乃ちゃんの朝食の仕込みをしなさいよ」
「はい、すぐに取り掛かります」
私は深々と頭を下げ、リビングのガラステーブルの脇を通り抜けた。
その際――。
私は抱えていたバッグから、先ほど航太から受け取ったスカーフの箱を、滑り込ませるように取り出した。
鞄の中に隠して自室へ持ち帰るのではない。
リビングの中央、誰もが必ず目にするガラステーブルの端。
リモコンやティッシュケースのすぐ隣という、あまりにも無防備な一角。
そこに、置いた。
それも、ただ置いたのではない。
深紅のシルクリボンを、まるで不注意で何かに引っかかったかのように、わざと少し緩めて解けかけの状態にして。
そして、グレージュの包装紙の隙間から、箱の表面に刻まれた『デルヴォー』の金色のブランドロゴが、覗き込む者へ自然と露わになるように。
極めつけに――。
箱の脇に、航太が別れ際に「僕の気持ちです」と言って添えてくれた、ホテルラウンジのレターセットのメッセージカード。
そのカードを、封筒から半分だけ引き出した状態で、滑り込ませておいたのだ。
航太の流麗で神経質な筆跡が、リビングの蛍光灯の下で、鮮明に浮かび上がっている。
『栞さんへ。
君の秘められた美しさと、その優しい心に心からの敬意を。
今夜はとても楽しかったです。また二人きりで会いましょう。
――航太』
罠は、完璧にセットされた。
私は誰にも気づかれない足取りで、自分の六畳間の部屋へと階段を上がった。
部屋の明かりはつけず、暗闇の中に佇み、襖の隙間から階下の気配へと耳を澄ませる。
冬の夜風が、窓ガラスをカタカタと揺らしていた。
(さあ……お帰りなさい、莉乃)
暗闇の中、私の唇の端が、三日月のように吊り上がった。
(あなたが世界で一番愛してやまない「他人の幸せ」が、そこに置いてあるわよ。
存分に嫉妬し、存分に狂い咲きなさい。
……あなたがその男を奪おうと手を伸ばしたその瞬間が、あなたの破滅の幕開けなのだから)
ガチャリ、と。
一階の玄関ドアが乱暴に開く音が、静まり返った夜の家に響き渡った。




