第178話「黒糖飴を知っていた人」
一枚の古い写真。
そこに残されていた、見覚えのある老人。
そして――
「黒糖飴を持った子へ」
あの日からずっと優斗の中に残っていた出来事が、少しずつ別の記憶と繋がり始めます。
けれど、まだ答えは見えません。
優斗は写真の中に残された「あの日」を、自分の目で確かめようとします。
「……これ、持っていていいんですか?」
優斗は写真を見つめたまま聞いた。
店主は少し考えてから、首を横に振った。
「いや」
「……?」
「それは、お前が持っていたほうがいいと思う」
「でも……」
「俺には、もう必要ない」
店主は静かに笑った。
「たぶん、その写真を見つけるべきだったのは俺じゃない」
優斗は何も言えなかった。
手の中にある一枚の写真。
そこには、まだ若い老人が写っている。
そして、その裏には――
『黒糖飴を持った子へ』
その言葉。
どうして。
なぜ。
そんなことを知っているのか。
優斗の頭の中を、いくつもの疑問が駆け巡っていた。
「店主さん」
「ん?」
「この写真……いつ頃のものですか?」
店主は写真を見た。
「かなり前だな。俺がまだ子供だった頃だ」
「じゃあ……」
優斗は言葉を止めた。
老人が国道にいた日より、ずっと前。
つまり。
この写真に写っている老人は、優斗が出会うより前から、この場所に来ていた。
「老人は……ここに何をしに来ていたんですか?」
店主は少し黙った。
「それが、分からないんだ」
「分からない?」
「ああ。親父は、その人のことを詳しく話さなかった」
店主は古い棚に手を置いた。
「ただ、一度だけ聞いたことがある」
「何を?」
「親父が、その人に言ったんだ」
店主は記憶を辿るように話した。
「『あんたは、何を待ってるんだ』って」
優斗の胸が、わずかに揺れた。
何を待っている。
その言葉を聞いた瞬間。
第1話の光景が蘇った。
国道。
自分。
そして、老人。
『おーい』
『おーい』
『起きてるか?』
あの日。
優斗は眠っているふりをしていた。
老人が何度も声をかけてきた。
その理由を、優斗は今まで深く考えなかった。
ただ、声をかけられた。
そう思っていた。
けれど。
「……それで?」
優斗は聞いた。
店主は小さく息を吐いた。
「親父が聞いたら、その人はこう答えたらしい」
「……」
「『待ってるんじゃない』」
優斗は顔を上げた。
店主は続けた。
「『出会うのを待ってるだけだ』って」
「……出会う?」
「そう言ったらしい」
店の中が静かになった。
外から、車の音が聞こえる。
一台。
また一台。
国道を走っていく。
優斗は写真を見た。
そこに写る老人は、何も語らない。
ただ、静かにこちらを見ている。
「それって……」
優斗は呟いた。
「誰かと出会うのを待っていたってことですか?」
「俺には分からない」
店主は答えた。
「親父も、最後まで分からなかったんじゃないかな」
優斗は視線を落とした。
だったら。
あの日。
老人は――
自分を待っていたのだろうか。
いや。
そんなはずはない。
優斗は首を振った。
そんな偶然があるわけがない。
自分はただ、人生に疲れて国道で寝ていただけだ。
老人だって、たまたまそこにいただけ。
そう思いたかった。
「……でも」
優斗は写真の裏を見る。
『黒糖飴を持った子へ』
この言葉だけは、どうしても説明できなかった。
「店主さん」
「ん?」
「この文字……本当に昔からあったんですか?」
「分からない」
「……え?」
「親父が書いたのか、その人が書いたのか。それすら知らない」
店主は写真を指差した。
「だから、俺もずっと気になってた」
優斗は黙った。
そして、ふと思った。
「……他に写真はありませんか?」
店主が顔を上げた。
「写真?」
「この人が写っている写真です」
しばらく沈黙したあと。
店主は奥の棚を見た。
「……あるかもしれない」
そう言って、倉庫へ向かった。
優斗も後を追った。
古い箱。
使われなくなった靴の箱。
昔の帳簿。
色褪せた紙。
店主が一つずつ箱を開けていく。
「これじゃない」
「……違うな」
「これも違う」
しばらくして。
店主の手が止まった。
「……あった」
小さな声だった。
優斗が近づく。
店主が取り出したのは、一枚の古い紙だった。
写真ではない。
手紙のようだった。
封筒はない。
紙だけが、一枚。
店主はそれを開いた。
そこには、短い文章が書かれていた。
『もし、あの子がもう一度ここへ来たら』
優斗の呼吸が止まった。
店主も、続きが読めずに黙っている。
紙の下には、さらに一行。
『その時は、靴を渡してやってくれ』
「……靴?」
優斗は呟いた。
店主が顔を上げる。
二人の視線が重なった。
「あの日……」
優斗は思い出した。
自分がこの店で経験したこと。
あの時、渡されなかった靴。
そして。
後になって店主から渡された、
「あの日渡せなかった靴」。
優斗は、自分の足元を見た。
今履いている靴。
その記憶が、静かに蘇る。
「……全部、繋がってるのか?」
誰に向けた言葉なのか、自分でも分からなかった。
店主は答えない。
ただ、古い手紙を見つめている。
優斗は写真と手紙を交互に見た。
老人。
靴。
黒糖飴。
国道。
そして、自分。
偶然だと思っていたものが、
一つずつ、
過去からこちらへ歩いてくる。
そのとき。
店の外から、子供の声が聞こえた。
「おじちゃん!」
優斗が振り返る。
店の入り口に、小さな男の子が立っていた。
その手には――
一つの黒糖飴。
「これ、あげる」
優斗は目を見開いた。
「……どうして?」
男の子は笑った。
「前に、お兄ちゃんにもらったから」
優斗は言葉を失った。
その瞬間。
古い写真の老人。
母の黒糖飴。
あの日の国道。
そして、今ここにいる子供。
すべてが一本の線になるわけではない。
まだ、分からない。
それでも。
優斗は初めて思った。
もしかしたら。
老人が残したものは、
答えではなかったのかもしれない。
誰かから誰かへ渡っていく、
小さな優しさそのものだったのかもしれない。
優斗は男の子から黒糖飴を受け取った。
そして、笑った。
「ありがとう」
男の子も笑った。
その笑顔を見ながら。
優斗は、もう一度だけ写真を見た。
写真の中の老人は、
何も言わない。
ただ――
どこか優しそうに笑っていた。
「あの日」の謎が、少しずつ動き始めました。
老人は何を待っていたのか。
なぜ「黒糖飴を持った子へ」と残したのか。
そして、なぜ靴だったのか。
まだ、すべては明かしません。
これまで優斗が出会ってきた人たちとの出来事も、ただの寄り道にはしない。
一つ一つの出会いが、最後に意味を持つように。
ここから、物語をさらに繋げていきます。




