第177話「残されていたもの」
ここから物語は、少しずつ「あの日」の核心へ近づいていきます。
これまで優斗が受け取ってきた優しさ。
そして、その始まりだった老人。
偶然だと思っていた出会いの裏側には、まだ語られていない記憶がありました。
第1話から続いてきたものが、少しずつ繋がり始めます。
国道を離れてから、しばらく歩いた。
夕方の空は、少しだけ赤かった。
優斗はロードバイクを押しながら、いつもの道を歩いていた。
第1話のあの日から、何度この道を歩いただろう。
数えたことはない。
ただ――
この道を歩くたびに、昔の自分を思い出す。
人生なんて、もう終わった。
そう思っていた自分を。
「……不思議だな」
優斗は小さく呟いた。
あの日、自分は何も持っていなかった。
いや。
正確には、一つだけ持っていた。
母からもらった黒糖飴。
それだけだった。
その黒糖飴を守ろうとして、老人と出会った。
そして、その出会いから人生が動き始めた。
「……あの人、今どこにいるんだろう」
老人。
あの日の国道にいた、裸足の老人。
優斗は何度も考えた。
老人は、自分に何かを与えた。
黒糖飴だけじゃない。
人生が終わったと思っていた自分に、
「まだ終わっていない」
そう教えてくれた。
でも――
なぜだったのか。
どうして、あの老人は自分に声をかけたのか。
どうして、黒糖飴を返してくれたのか。
そして。
どうして、その後に自分の人生に現れた大富豪と繋がっていたのか。
「……」
優斗は足を止めた。
国道の向こう側に、あの靴屋が見えた。
第1話の頃とは、少し違う店になっている。
店先には、子供用の靴が並んでいた。
必要な人に渡すための靴。
優斗は少しだけ笑って、店の扉を開けた。
「いらっしゃ――」
店主が顔を上げる。
「ああ、優斗か」
「こんにちは」
「また来たのか」
「近くまで来たので」
店主は笑った。
以前なら、こんな会話をすることもなかった。
あの日。
優斗がこの店を訪れたとき。
自分は、ただの客だった。
いや。
店主にとっては、少し困った客だったかもしれない。
けれど。
今は違う。
人と人として、言葉を交わせる。
それだけで、少し嬉しかった。
「そういえばな」
店主が突然言った。
「何ですか?」
「この前、倉庫を整理してたら、変なものが出てきたんだ」
「変なもの?」
「ああ」
店主は奥へ入っていった。
しばらくして戻ってきた店主の手には、一枚の古い写真があった。
「これなんだけどな」
優斗は写真を受け取った。
古い。
少し色褪せている。
そこには、昔の店の前が写っていた。
店主らしき若い男性。
その隣に、数人の人。
そして――
優斗の目が止まった。
「……え?」
写真の端。
店の前に立っている、一人の老人。
裸足ではない。
まだ服も綺麗だ。
けれど。
その顔は、間違いなかった。
「この人……」
店主が驚いたように優斗を見る。
「知ってるのか?」
優斗は答えられなかった。
写真の中の老人は、今よりずっと若かった。
それでも。
あの目だけは、変わっていない。
あの日。
国道で優斗を見ていた、あの目。
「……この人」
優斗の声が震えた。
「俺が……国道で会った人です」
店主はしばらく黙っていた。
そして。
写真を見つめながら、ぽつりと言った。
「やっぱり、そうだったのか」
「……やっぱり?」
優斗が顔を上げる。
店主は答えなかった。
代わりに、写真の裏側を指差した。
そこには、古い文字で一言だけ書かれていた。
――
『この店で、もう一度会うことになる』
「……何これ」
優斗は写真を裏返したまま、動けなくなった。
「俺も知らなかったんだ」
店主が言った。
「誰が書いたのかも分からない。ただ、この写真をしまったのは……昔の店主だ」
「昔の……?」
「俺の親父だよ」
優斗は写真を見つめた。
胸の奥で、何かがゆっくり動き始めていた。
老人。
靴屋。
国道。
そして――
自分。
偶然だと思っていた。
全部、偶然だと思っていた。
けれど。
もし。
あの日よりずっと前から。
この老人と、この店と、誰かの人生が繋がっていたのだとしたら。
「……あの人は、何を知ってたんだ?」
誰も答えなかった。
店の外を、車が走り抜けていく。
轟音が遠ざかる。
優斗は写真を握りしめた。
その瞬間。
写真の裏に、もう一つ小さな文字があることに気づいた。
今まで見えていなかった。
紙の端に、薄く残った文字。
優斗は目を凝らした。
――
『黒糖飴を持った子へ』
「……」
息が止まった。
黒糖飴。
その言葉を見た瞬間。
優斗の中で、あの日の国道が蘇った。
裸足。
老人。
母。
黒糖飴。
そして――
「……俺?」
優斗は、震える声で呟いた。
店主も、その文字を見つめていた。
二人の間に、長い沈黙が落ちた。
まだ、何も分からない。
ただ一つだけ。
あの日の出来事は。
優斗が思っていたよりもずっと前から、
誰かの記憶の中に残されていた。
優斗は写真を見つめたまま、静かに息を吐いた。
そして――
初めて思った。
「あの日、俺が老人に出会ったんじゃない」
もしかしたら。
「あの日……老人のほうが、俺を待っていたのかもしれない」
国道を走る車の音が、
遠くで響いていた。
今回は、これまでとは少し違う角度から「あの日」を掘り下げました。
老人は何者だったのか。
なぜ優斗に声をかけたのか。
そして、「黒糖飴を持った子へ」という言葉は何を意味するのか。
ここから、過去に散りばめてきたものを大切に拾いながら、物語を前へ進めていきます。
まだ答えは出しません。
だからこそ、続きを読んでください。




