第207話:聞きたいことの先に
知りたいことがあるからといって、相手の答えまで決めてしまってはいけない。
聞くことと、受け取ること。
その二つの間には、思っているより大きな距離があるのかもしれません。
翌日。
悠斗は、靴屋へ向かっていた。
ポケットの中には、スマートフォン。
そこには、あの写真の表と裏が残っている。
何度見返しても、写真に写っているものは変わらない。
写っている老人。
裏側に残された文字。
「この店で、もう一度会うことになる」
「黒糖飴を持った子へ」
意味を考えようとすれば、いくつもの想像が浮かんでくる。
けれど、今はそのどれも答えではない。
答えを知っているのは、書いた人か。
あるいは、その言葉を残した人のそばにいた誰かなのか。
悠斗には、まだ分からなかった。
店の前に着くと、扉の向こうで店主が作業をしていた。
「こんにちは」
声をかけると、店主が顔を上げた。
「おう。来たか」
「少し、お話ししてもいいですか」
「もちろんだ」
店主は手を止め、作業台のそばに椅子を出した。
悠斗は腰を下ろした。
「この前、父と話したんです」
「お父さんと?」
「はい。あの人に会えたとき、聞いたことをそのまま伝えたいと思っているんです。でも、自分がどう感じたかと、相手が実際に話したことは、分けておいたほうがいいって」
店主は黙って聞いていた。
「だから、会えたらまず、あの日どうして僕に声をかけてくれたのか。それを聞こうと思っています」
「そうか」
短い返事だった。
店主は、作業台に置いてあった布を静かに畳んだ。
「俺も、聞きたいことはある」
その言葉に、悠斗は顔を上げた。
「先代のことですか?」
「ああ。親父が、あの人と何を話していたのか。どういう付き合いだったのか。今でも分からないことがある」
店主は少し間を置いた。
「ただな。あの人に会えたとしても、親父のことを全部聞き出せるとは思っていない」
「……はい」
「話したくないこともあるだろうし、覚えていないことだってある。俺が知りたいからといって、無理に答えてもらうものでもない」
悠斗は、その言葉を聞きながら、写真の裏側に書かれた文字を思い出していた。
知りたいことがある。
確かめたいことがある。
それでも、相手には相手の時間がある。
「それでも、聞いてみたいんですよね」
「ああ。聞いてみたい」
店主は、今度は迷わず答えた。
「知らないままにしておくことと、知ろうとしないことは違うからな」
悠斗は小さく頷いた。
自分も、あの日のことを知らないままにしたくなかった。
国道で声をかけられた理由。
あの老人が、自分に何を見ていたのか。
それを知れば、何かが変わるのかもしれない。
けれど、変わらなかったとしてもいい。
あのとき声をかけてもらったことは、もう自分の中に残っている。
「会えたら、聞いてきます」
悠斗がそう言うと、店主は静かに頷いた。
「頼む。ただし、焦らなくていい」
「はい」
店の外では、商店街を歩く人の声が聞こえていた。
誰かが店の前を通り過ぎる。
自転車のベルが鳴る。
遠くで、店の戸が開く音がした。
いつもと変わらない町の音だった。
悠斗は立ち上がり、店主に頭を下げた。
「また来ます」
「おう」
店を出たあと、悠斗はスマートフォンを取り出した。
写真を開く。
今度は、文字の意味を想像しなかった。
ただ、そこに残されている言葉を見つめた。
聞きたいことはある。
けれど、答えを決めてから会いに行くわけではない。
相手の言葉を受け取るために、まず自分の中の答えを空けておく。
悠斗はスマートフォンをしまい、歩き出した。
会うためにできることは、まだ多くない。
それでも、何を聞きたいのかは、少しだけはっきりしてきた。
悠斗が老人に聞きたいこと。そして、靴屋の店主が先代について知りたいこと。
二人には、それぞれ確かめたい過去があります。
けれど、過去を知ることは、誰かの記憶に無理やり答えを求めることではありません。
悠斗は、会えたときに何を聞くのかを少しずつ整理し始めました。
次の一歩は、まだ見えない相手に向けたものです。




