第203話 会えたときのために
会いたい人がいる。
聞きたいことがある。
けれど、再会できる日がいつ来るのかは分からない。
それでも、いつかその日が訪れたときのために、今できることはあるのかもしれません。
翌朝、優斗は食卓で、いつもより少し長く考え込んでいた。
「優斗、どうした?」
向かいに座る拓海が、湯飲みを置いた。
「ん? ああ、ちょっと考え事」
「国道のことか?」
優斗はうなずいた。
「うん。前に声をかけてくれたおじいさんのこと」
拓海は急かさず、続きを待った。
「靴屋で、その人の昔の写真を見せてもらったんだ。裏に言葉も残っていて……」
優斗は、写真の裏に書かれていた二つの言葉を話した。
『この店で、もう一度会うことになる』
『黒糖飴を持った子へ』
話し終えても、拓海はすぐには口を開かなかった。
「不思議な言葉だな」
「うん。でも、書いた人が何を考えていたのかは、まだ分からない」
「そうだろうな」
拓海は静かにうなずいた。
「分からないことを、無理に分かったことにしなくてもいいんじゃないか」
その言葉に、優斗は顔を上げた。
「会えたら、本人に聞くつもりなんだ」
「それなら、聞けばいい。会えたときに、きちんと話せるようにしておけばいいんじゃないか」
拓海はそう言って、湯飲みに手を伸ばした。
「聞きたいことがあるのは、それだけ大切な出会いだったってことだろう?」
優斗は少し笑った。
「そうなのかもしれない」
あの日、国道で声をかけられたこと。
黒糖飴をもらったこと。
それがきっかけで、自分の人生が動き始めたこと。
どれも、今の優斗につながっている。
「ありがとう、父さん」
「何がだ?」
「いや。ちょっと、頭の中が整理できた」
優斗は食事を終えると、出かける支度をした。
*
靴屋に着くと、店主は店先で靴を手入れしていた。
「こんにちは」
「おう、優斗君。今日はどうした?」
「お願いしたいことがあるんです」
優斗は自転車を止め、店主のそばへ歩み寄った。
「もし、あのおじいさんがここに来たら……僕が会いたがっているって、伝えてもらえませんか?」
店主は手を止めた。
「君が探していることを、あの人に伝えるんだな」
「はい。いつ来るか分からないし、本当に来るかどうかも分かりません。でも、写真の裏には、この店でまた会うことになるって書いてありましたから」
優斗は少し考えてから、続けた。
「もちろん、それが必ず実現するとは限らないと思っています。ただ、もし会える機会があるなら、何も伝えずに待っているより、伝えておきたいんです」
店主は、作業台の上に靴を置いた。
「分かった。来たら、そう伝えておくよ」
「ありがとうございます」
「ただし、私にもあの人の都合は分からない。いつになるかは約束できないぞ」
「大丈夫です。お願いします」
優斗は深く頭を下げた。
これで老人に会えると決まったわけではない。
けれど、自分の気持ちを、いつか届くかもしれない場所に託すことはできた。
「優斗君」
店主が呼び止めた。
「はい?」
「君は、あの人に何を一番聞きたいんだ?」
優斗は少しだけ考えた。
写真の文字についても聞きたい。
先代との関係も知りたい。
あの靴が残されていた理由だって、気になっている。
それでも、一番初めに聞きたいことは変わらなかった。
「どうして、あの日の僕に声をかけてくれたのか。それを聞きたいです」
店主はうなずいた。
「そうか。なら、まずはそれを聞けばいい」
「はい」
「答えを聞いてから、次のことを考えればいいんだからな」
優斗は、その言葉を胸に留めた。
知りたいことを全部並べて、答えを急ぐ必要はない。
目の前にいる人の言葉を、一つずつ受け取ればいい。
それは、これまで優斗が人と出会う中で、少しずつ学んできたことでもあった。
「じゃあ、また来ます」
「ああ。気をつけてな」
優斗は店を出た。
*
自転車にまたがる前に、優斗は一度だけ店を振り返った。
あの老人が、いつかここへ来るのか。
それはまだ分からない。
写真の裏に書かれた言葉が、どんな思いから生まれたのかも分からない。
でも、分からないことがあるからといって、今できることまでなくなるわけではなかった。
自分が会いたいと思っていることを伝えた。
もし再会できたら、聞きたいことも決まっている。
それ以上の答えを、今ここで無理に求める必要はなかった。
優斗はペダルに足をかけた。
国道には、今日もたくさんの車が走っている。
それぞれの車が、どこへ向かっているのかは分からない。
その中には、誰かに会いに行く人もいるのだろう。
誰かを待っている人もいるのだろう。
そして、誰かに声をかけることで、その人の人生を変えることになる人だっているのかもしれない。
優斗は走り出した。
あの日、自分に声をかけてくれた老人のように。
いつか自分も、誰かにとって、忘れられない出会いの一人になれるだろうか。
そんなことを考えながら、優斗は国道の先へと進んでいった。
優斗は、老人に会える約束を手に入れたわけではありません。
ただ、自分が会いたいと思っていることを、店主に託しました。
あの日、何気ない一言から始まった出会い。
その意味を知る日は、まだ来ていません。
けれど、優斗はもう、答えを急いでいません。誰かの思いを知るために、まずはその人の言葉を待とうとしています。




