第5話:海老フライと、古い料理本
お昼ご飯を終えた結は、少し気が早いけれど、秋物の着物や布団を出すために奥の部屋の押し入れを整理することにした。
薄暗い押し入れの奥に手を伸ばすと、ずっしりと重い木箱が指に触れた。引っ張り出してみると、中には旦那さんが学生時代に使っていた古い教科書や、出所の分からない古い雑誌が何冊も詰まっている。
「あら、こんなところに……」
埃を払おうと、結は一番上にあった古ぼけた料理の本を手に取った。
パラパラと黄ばんだページをめくっていくと、「ライスカレー」や「コロツケー」といった、この時代にお馴染みのハイカラな料理が並んでいる。今晩のおかずにちょうどいいかもしれない、と結がページをめくる手を止めたのは、ある頁だった。
『海老のアヒージョ』
結は、その文字を声に出さずに読んだ。
「たっぷりのオリーブオイルに、にんにくと唐辛子を利かせて、海老を煮込む」と丁寧な解説がついている。
(……えびの、あひーじょ?)
結は、喉の奥が急にカラカラに乾いていくような奇妙な感覚に襲われた。
アヒージョ。そんな料理、聞いたこともない。それに、オリーブオイルなんて、今の時代に手に入るはずがない。我が家の台所にあるのは、一升瓶に入った大豆油だけだ。
(あれ? なんで私は、これが『手に入らない』って知っているの……?)
考えれば考えるほど、頭の芯がジリジリと熱くなっていく。
その時、結が持っていた本が一瞬、テレビの砂嵐のように激しくブレた。
パチリ、と強く瞬きをした瞬間。
結の視界に、おぞましいほど鮮烈な、発光する緑色の文字列が叩きつけられた。
『Sensory Synchronization Failed』
「きゃっ」
結は思わず短い悲鳴を上げて、本を落としそうになった。
ハッと息を呑んで、もう一度手元に目を落とす。
そこにあったのは、ただの古い紙の頁。
文字は蠢くこともなく、静かに『海老フライの作り方』と印刷されていた。小麦粉、卵、パン粉をつけて、大豆油でカラリと揚げる。どこにでもある、昭和の家庭料理のレシピだった。
「……気のせい、よね。少し、疲れが出たのかしら」
結は震える手で本を木箱に戻し、押し入れの襖を勢いよく閉めた。
薄暗い部屋の中に、自分の荒い呼吸の音だけが響いている。西日の差し込む部屋の片隅で、結は自分の現実が、根底から崩れ始めているような底知れぬ恐怖に怯えていた。
第5話をお読みいただきありがとうございます。
押し入れの奥で見つけた、少し埃っぽい古い料理本。そこから今晩のおかずに海老フライを選ぶ……という、どこにでもある静かな午後のひとコマでした。
それでは、また次の第6話でお会いしましょう。
[SYSTEM_LOG: WARNING]
Anomaly detected in Subject_YUI.
Sensory synchronization failure bypassed manual reset.
Subject expressed high cognitive resistance to localized reality rendering.




