第1話:眠気も醒める熱いお茶
昭和三十九年十月十日、午後一時四十五分。
秋晴れの高い空から差し込む陽射しが、畳の上にきれいな四角い影を作っている。
「はい、熱いから気をつけてね」
結は長い黒髪を後ろで一つにまとめ、ずり落ちてきそうなメガネのブリッジを人差し指で押し上げながら、湯呑みを差し出した。小柄な体を少し丸めるようにしてちゃぶ台の前に座ると、彼女の旦那さんは嬉しそうにそれを受け取る。
ちゃぶ台の真ん中には、結が用意した甘いおはぎがふたつ。
湯呑みから立ち上る熱い湯気が、二人の顔を優しく包み込んでいく。
「ふう……生き返る。本当に眠気も醒める熱いお茶だね」
「ふふ、お昼ご飯のあとって、どうしても少しぽかぽかして眠くなっちゃうから」
結は目を細めて微笑んだ。熱い緑茶を一口すすると、心地よい渋みと温かさが身体の隅々にまで染み渡り、五感がはっきりと冴え渡っていく。
まるで、世界全体の解像度が一段階上がったかのような、不思議な目醒めの感覚。
「あ、そろそろ始まるよ」
旦那さんが、部屋の隅に置かれた真新しいテレビのツマミを回した。
ブラウン管がじじじ……と微かな電子音を立て、ゆっくりと光を宿していく。
午後二時。
スピーカーから、地響きのようなファンファーレが鳴り響いた。
画面に映し出されたのは、青空の下で行進する世界各国の選手たちと、歓声に沸く巨大なスタジアム。白黒の画面であるはずなのに、不思議とその向こうにある熱気や、見たこともない鮮やかな色彩までが伝わってくるようだった。
「すごいね……」
「ええ、本当に……初めて見る景色だわ」
テレビの向こうで新しく生まれ変わろうとしている世界。
そして、熱いお茶を囲む、この平穏で温かいふたりの日常。
結は隣に座る旦那さんの横顔をそっと見つめながら、これから始まる新しい暮らしの予感に、静かに胸を弾ませるのだった。
第1話をお読みいただきありがとうございます。
昭和三十九年十月十日、午後二時。日本中が初めて見る景色に沸いた特別な日から、結たちの物語が始まります。
お昼下がりの眠気が醒めるような熱いお茶と、甘いおやつ。そんな温かい家族の日常を、これから皆さまと一緒にのんびり見守っていければ幸いです。
それでは、また次のお話でお会いしましょう




