8. 庭の稽古の話
庭の木々が、赤く染まっている。
日差しはまだ暖かいものの、吹き抜ける風には、夏とは違う涼しさが混じっている。
陸は庭の一角で、竹刀を手に素振りをしていた。
秋に行われる団体戦に向けて、道場での稽古だけでなく、こうして時間を見つけては自主練習をしている。
少し離れた縁側では、まことが庭を眺めていた。
そばには、忠晴もいる。
陸は何度か素振りを繰り返したあと、竹刀を止めた。
「……あれ?」
構え直して、もう一度振る。
「うーん……」
どうもしっくりこないらしい。
陸は竹刀を下ろし、自分の足元を見た。
それを見ていた忠晴が声をかけた。
「陸、少し重心が前に寄りすぎてるんじゃない?」
「そうかな?」
「もう少し腰を落として、足の裏全体で地面を捉える感じ。そうすると、次の動きにも移りやすいと思うよ」
陸は言われたとおりに構え直した。
「こう?」
「うん。さっきよりいいと思う」
「なるほどなあ」
陸は何度か足の位置を変えながら、動きを確かめている。
「忠晴って、剣道もやってたの?」
「うん。それ以外にも、いろいろね」
「いろいろ?」
「まことの護衛をしているからね。必要に応じて、いろんな武道や格闘技を身につけているんだ」
「へえ、そうなんだ」
陸は少し感心したように忠晴を見た。
「まあ、お仕事柄ってやつだね」
忠晴はどこか得意げにそう言って、陸の構えに目を戻した。
陸は再び素振りを始めたが、何度か振ったところでまた手を止めた。
「うーん。なんか、まだ違う気がする」
「どのあたりが気になる?」
「うまく言えないんだけど、こう……」
陸は自分の動きを確かめるように、竹刀を持ったまま身体を動かした。
それを眺めていたまことが、ふと思い出したように口を開いた。
「こうするといいと、聞いたことがあります」
「え、どんなふうに?」
「ええと……。こう、すっと動いて、それから、ぱっと……」
まことは手を動かしながら説明しようとしたが、どうもうまく伝わらない。
「すっと動いて、ぱっと?」
陸が首を傾げる。
「はい。そんな感じです」
「いや、全然わからないんだけど」
まことは困ったように笑った。
「すみません。言葉で説明するのは難しいですね」
「ちょっとやってみてよ」
「私がですか?」
「うん。どんな動きなのか見てみたい」
まことは、忠晴の方を見た。
「いいんでしょうか」
「いいんじゃない? 陸も見たいみたいだし」
「そうですか……」
まことは少し迷ったあと、縁側から立ち上がった。
竹刀は手に取らず、陸の前に立つ。
「では、少しだけ」
そう言って、まことはゆっくりと身体を動かした。
足を運び、重心を移し、相手の動きに合わせるように身体の向きを変える。
大きな動きではない。
けれど、ひとつひとつの所作は滑らかで、無駄がなかった。
陸は目を丸くした。
「え、まことって、何か武道やってたの?」
「武道はやってないです。日本舞踊は習っていました」
「日本舞踊!」
陸が驚いた声を上げる。
忠晴が、横から付け加えた。
「それとは別に、護身術もね」
「護身術?」
まことは、少し不思議そうに忠晴を見た。
「そうだよ。お祖父様に教わっていたでしょ」
「あれは護身術だったんですね」
「いや、なんでまことがびっくりしてるの」
「祖父が教えてくれていただけで、護身術だとは思っていませんでした」
陸は二人を交互に見た。
「情報過多すぎるんだけど」
その言葉に、忠晴が笑う。
まことは何事もなかったように、縁側へ戻ろうとした。
「ちょっと待って。まこと、護身術ってどうして習ってたの?」
陸の問いに、まことは足を止めた。
「小さい頃に、誘拐されたことがあるんです」
陸の表情が固まった。
「……誘拐?」
「はい。ずいぶん前のことですけど」
まことは落ち着いた声で続けた。
「それで祖父が心配して、身を守る方法を教えてくれるようになったんです」
「そんなことがあったんだ……」
陸は思いがけない話に、すぐには言葉を返せなかった。
まことは特別なことを話しているつもりはないようだった。
少し視線を庭に向けてから、また陸を見る。
「それから、たまに稽古をしているんです。今は根津さんに見ていただいてます」
「そう、俺が先生。なかなか優秀な生徒なんだよ」
忠晴は、少し得意げに胸を張った。
「そんなこと」
まことが小さく声をあげる。
「あれ、違ったかな?」
「…そうだと嬉しい、ですけど…」
「優秀な生徒ですよ」
陸は忠晴の方を見る。
「大丈夫。まことがちゃんと続けられるように、無理のない範囲でやってるよ」
忠晴が穏やかに答えると、まことは小さく笑った。
陸は改めて、さっきのまことの動きを思い返していた。
普段のまことからは、あんなふうに身体を動かす姿は想像しにくい。
日本舞踊を習っていたことも、護身術を身につけていたことも、今まで知らなかった。
「一緒に住んでるのに、知らないことってあるんだな」
「そうですね」
まことはあっさりと答えた。
「でも、今の動きはちょっと参考になった。もう一回やってみる」
陸は竹刀を構え直した。
忠晴は陸の様子を見ながら、少しだけ立ち位置を変える。
まことは再び縁側に腰を下ろした。
庭には、竹刀を振る音が響き始める。
秋の風が、木々の葉を揺らしていた。




