7. 消えた真田石の話
パントリーには、いつの間にかお菓子が増えている。
友樹や美穂が買ってくることもあれば、忠晴や陸、まことが出先で見つけたものを置いていくこともある。
だから、誰がいつ何を置いたのか、全員が把握しているわけではない。
しかし、その日。
友樹はパントリーの棚に見慣れない箱を見つけた。
「……真田石?」
箱の正面には、そう書かれていた。
箱を手に取って、消費期限を確認する。
まだ余裕があった。
「ねえ、これって誰が買ってきたのかな?」
リビングに戻って尋ねると、ソファでくつろいでいた美穂が顔を上げた。
「んー? 何それ」
「パントリーにあった。真田石って書いてある」
「知らないなあ。忠晴、知ってる?」
キッチンでカップにコーヒーを注いでいた忠晴が振り返る。
「俺じゃないよ」
「あの、私も、違います」
美穂の横にいたまことも答える。
「えー…じゃあ陸かなあ?」
美穂は、面倒臭そうに長い髪の毛先を指で遊ばせる。
「そうだね」
まことは、うなずいた。
それで話は終わるはずだった。
しかし、美穂が箱をもう一度見て、ふと口にした。
「でもさ、誰が買ったかわからない。いつからあったのかもわからない。でも、消費期限内のお菓子がパントリーにあるってちょっとしたミステリーよね」
「ミステリーですか」
まことが、ぱちりと瞬きをした。
「なるほど……これは事件だね」
忠晴はカップを置き、ゆっくりと立ち上がった。
「名探偵・根津忠晴の出番というわけだ」
「よ!名探偵★忠晴!」
美穂に煽られて、忠晴はなんだか嬉しそうだ。
「よし、ワトソンくん。お手伝いいただけるかな?」
忠晴がまことにウインクをする。
まことは「喜んで」と笑って立ち上がった。
こうして、幸野家のお菓子をめぐる小さな事件が始まったのだった。
*
家の外に設置されている防犯カメラは、異常があれば知らせる仕組みになっている。
忠晴は記録を遡り、敷地への出入りを確認した。
怪しい人物は映っていない。
通知履歴にも異常はなかった。
「……特に何もないね」
「そうですね」
「じゃあ、やっぱり誰かが買ってきておいたってことね」
美穂は安心したように息をついた。
「その可能性が高そうだね」
忠晴は画面を閉じた。
「今の時点では陸が怪しいけど、あの子、最近出かけたりしてたかしら?」
まことは箱を見つめる。
忠晴はしばらく考えていたが、不意に口を開いた。
「……イギリスには、家に住み着く妖精の伝承がいくつもあるんだよ」
美穂が、ゆっくりと振り返った。
「……はい?」
「家の中で物がなくなったり、いつの間にか別の場所に移動していたり。そういう不思議な出来事が、妖精の仕業だと語られることがある」
まことが身を乗り出す。
「日本にも座敷わらしさんとかいますもんね!」
「そうそう。家に福をもたらす存在として知られているね」
「じゃあ、もしかしたらこのお菓子も座敷わらしさんが…!」
「あるいは、妖精がどこかから持ってきたのかもしれない」
二人は、真剣な顔で箱を見つめた。
美穂はしばらく二人を見比べていたが、やがて深いため息をついた。
「ちょっと待って。なんで二人とも、そんなに自然に妖精とか座敷わらしの話をしてるの?怖いんだけど」
「可能性のひとつだから」
忠晴が答える。
「可能性のひとつですね」
まことが頷く。
「まことも納得しないの!」
美穂が「あたし、怖いの嫌いなのよ!」と震える。
「だって、防犯カメラにも何も映ってないんだよ?」
「だからって怪奇現象!?」
「大丈夫、美穂さん。まだ決まったわけじゃないですよ」
「ただ、可能性を最初から除外する必要もないだろう?」
忠晴は落ち着いた声で言った。
「そうだけど……」
美穂は言葉に詰まった。
まことは箱の裏側をもう一度確認する。
「でも、妖精さんや座敷わらしさんが置いていったなら、どうしてこのお菓子なんでしょう?」
「それは興味深いね。妖精が和菓子を好むのかもしれない」
「日本の妖精さんだったんでしょうか?あ、日本的に考えるのなら妖精さんではなく妖怪さんでしょうか…?」
「イギリスから来た妖精が、日本の文化に馴染んだ可能性もある」
美穂は二人を見て、もう一度ため息をついた。
箱はパントリーに戻され、陸が帰ってくるのを待つことになった。
*
夕方、部活から帰ってきた陸は、リビングに入るなり美穂に呼び止められた。
「陸、ちょっと聞きたいんだけど」
「何?」
美穂が差し出した箱を見て、陸は「ああ」と声を上げた。
「それ、俺が買ったやつ」
「いつ?」
「この間の日曜」
「日曜は部活じゃなかった?」
「遠征だったんだよ」
「言ってよー」
はあ、と脱力した美穂を見て、陸は不思議そうな顔をした。
「え、だって、パントリーに置いとけば、みんな食べるだろ?」
まことは忠晴を見た。
忠晴もまことを見た。
2人で思わず笑ってしまう。
「え?なに?」
「誰が置いたものかわからなくて、ミステリーだねって、防犯カメラまで確認したんです」
まことが笑いながら言うと、陸は目を丸くした。
「はあ!?まじ!?……なんか、ごめん」
陸は少し申し訳なさそうに頭を掻いた。
こうして、お菓子は誰が買ってきたものか判明した。
侵入者はいなかった。
全員がほっと胸を撫で下ろし、ようやく箱を開けようという話になった。
ところが。
「……あれ?」
箱の中を覗いたまことが、首を傾げた。
「どうしたの?」
美穂が隣から覗き込む。
「一個、足りないです」
全員の視線が箱に集まった。
陸が、慌てて箱を受け取る。
「えっ、嘘だろ。俺、全員分買ったよ?」
「何個買ったの?」
忠晴が尋ねた。
「五個。ちゃんと全員分」
「五個?」
まことが数え直す。
やっぱり、一個足りない。
「買ったときの履歴は?」
忠晴が尋ねると、陸はスマートフォンを取り出した。
「買った時の履歴、残ってる」
購入履歴を確認する。
確かに、五個分の金額が支払われていた。
忠晴は画面と箱を見比べた。
「購入数は五個。今あるのは四個」
「うん」
「陸が買ってきたことは確認できた。防犯カメラにも異常はない」
「うん」
「それなのに、一個足りない」
まことは真剣な顔でうなずいた。
「……ミステリーですね!」
「ミステリーだね!」
忠晴も真剣な顔でうなずき返した。
美穂が、二人を見た。
「待って。さっきの妖精の話、まだ続いてる?」
「可能性は残っているよ」
「残さなくていいの!」
陸は困り果てた顔で頭を抱えた。
「いや、俺、本当に五個買ったからな?」
まことは笑った。
「陸を疑ってるわけじゃないんです。ただ、不思議だなあって」
「消えた真田石、だね」
「…なんか急に壮大な話だな」
結局、その日も答えは出なかった。
お菓子は四個しかなかったが、ひとまずみんなで分けて食べた。
誰が一個食べたのか。
いつ食べたのか。
その謎だけが、残された。
*
翌日。
まことは望と学校のベンチに座って話をしていた。
授業が終わり、部活が始まる時刻。
校舎は明かりがまばらで、放課後の独特な雰囲気がある。
陸は部活に向かい、由利は寮へ戻っている。
望は部活に行く前に、家人の迎えを待つまことのそばに残っていた。
まことは、ふと思い出したように話し始めた。
「そういえば、この前、お家で不思議なことがあったんです」
「不思議なこと?」
「そう。パントリーに、誰が買ってきたかわからないお菓子があったんです」
まことは、真田石と書かれた箱をめぐる一連の騒動を説明した。
誰も買った覚えがなくて不思議だということで防犯カメラまで確認したこと。
陸が遠征のお土産として買ってきたものだと判明したこと。
そして、五個買ったはずなのに、一個足りなかったこと。
忠晴がホームズ、まことがワトソンで、探偵みたいで楽しかったこと。
話を聞いた望が、プッと噴き出す。
「えっ、何?」
「消えた真田石の行方、知ってる」
「ええっ!?」
まことは思わず身を乗り出した。
「望も、その場にいたの?」
まことの顔が近くに来て、望はドキッとする。
耳が熱くなるのを感じて、顔を逸らす。
「陸が、由利にあげてたよ」
「……え?」
「遠征から帰ってきた日、由利がお腹空きすぎて倒れそう、って言ってて」
望はそのときのことを思い出すように笑った。
「陸が持ってたお菓子を一個あげてたんだ。由利、すごく喜んでたよ」
まことはしばらく黙っていた。
それから、ゆっくりと顔を上げた。
「……それだ!」
「うん」
「陸が由利にあげたことを忘れてたんですね」
「そうみたいだね」
まことは楽しそうに笑った。
家に帰ったら、みんなに教えてあげよう。
防犯カメラにも映らない、謎のお菓子消失事件。
その犯人は、空腹で限界を迎えた由利と、親切にもお菓子を分けてあげた陸だった。
*
その夜。
夕食後、まことはリビングでくつろぐみんなに、事件の真相を報告した。
「消えた真田石の謎が、解けました」
忠晴が顔を上げた。
「おや。解決したの?」
「はい。陸が由利に一個あげてたのを、望が目撃していました」
「なるほど」
忠晴はしばらく黙っていた。
「つまり、由利が妖精ってことか…?」
「そんなわけあるかーい!」
美穂の声が響いた。
「俺たちは家の中ばかり調べていたけど、答えは家の外にあったんだね。由利、という可能性を我々は完全に見落としていたわけだな」
「家の外っていうか、陸が由利にあげたときに、望くんがそこにいただけでしょ」
美穂が呆れたように言った。
「そうとも言うね」
忠晴は、楽しそうに笑った。
「あんたはもう迷探偵よ!迷惑な迷探偵!」
忠晴と美穂のやりとりを聞きながら、陸は深いため息をついた。
「俺のお土産で、なんでこんな大騒ぎになってるんだよ……」
「でも、楽しかったでしょ?」
まことが笑いながら尋ねる。
「……まあ、ちょっとは」
陸は小さく笑った。




