3. 雨宿りの話
その日も、雨が降っていた。
まだ梅雨の名残があった、六月のこと。
窓の外を見ていたまことは、山の方に目を向ける。
さっきまで見えていた稜線が、いつの間にか雨に霞んでいた。
校庭では、細かかった雨粒が地面を叩くほどの強さになっている。
雨音は、教室の中まで聞こえていた。
大雨の影響で、学校は対応を協議するために緊急会議を開いていた。
生徒たちは教室で自習するよう指示されているが、雨の様子に少しソワソワと浮き足立った雰囲気だ。
「すっごい雨だね」
まことの隣の席に移動してきていた由利が、窓の外を見て言った。
「これ、帰るころには止むかな」
「まだ降るんじゃないかなと思います」
まことは山の方を見たまま答えた。
望も、近くにやってきた。
「そんなに?」
「うん。山の方、まだ雨が続きそうです」
はっきりとした根拠を説明できるわけではない。
ただ、雲のかかり方も、山の輪郭が消えていく様子も、気になった。
望は窓の外を見てから、まことに視線を戻した。
「でも、歩いて帰れるとは思うよ」
「今はね」
まことが答えたところで、校内放送が流れた。
大雨の予報を受け、学校は通常より早く生徒を下校させることを決めたらしい。
部活動も中止になり、教室は帰り支度をする生徒たちで慌ただしくなった。
「急に帰れって言われてもなあ」
陸が立ち上がって、鞄を肩に掛ける。
「せっかく早く終わって部活もないのに、遊びに行けないなんて!」
由利は不満そうに唇を尖らせている。
まことは鞄を手に取ると、スマートフォンを取り出した。
「ちょっと、お家に連絡します」
望がうなずく。
電話に出たのは、忠晴だった。
『もしもーし?』
「根津さん、大雨の影響で一斉下校になったのですが、山の方の天気が良くなさそうなんです」
『うん。こっちも雨が強くなってきた』
「望は歩いて帰れるって言ってるんですが、このあと山の方の雨が強くなりそうなので、うちに来てもらおうかなと思って」
電話の向こうで、少し間があった。
「え?!」
まことの言葉に望は驚くが、声を出して驚いたのは由利だった。
由利は陸から「電話中は静かに」と窘められてシュンとしている。
『なるほど。まことは望くんの帰り道が心配なんだね』
「はい。これからもっと降りそうなので」
『わかった。ちょっと待ってね。今、雨雲レーダーと道路の情報を確認するよ』
忠晴が情報を確認している間、まことは窓の外を見た。
雨は弱まる気配がない。
『山の方は、まだしばらく降りそうだね。道路の状況も確認したけれど、今のところ、通学路に差し迫った問題があるという情報はない。ただ、この先は雨脚が強まる予報だよ』
「そうですか」
『友樹は買い物に出ているし、美穂も外出中なんだ。今から迎えに来てもらうと、少し時間がかかると思う』
まことは考えた。
迎えを待っている間に雨が強くなるかもしれない。
陸も一緒にいる。
三人で今のうちに帰ることができるなら、その方がいい。
「じゃあ、今のうちに三人で歩いて帰ります」
『そうだね。道路の様子に注意して、無理はしないこと。少しでも危険を感じたら、安全な場所に避難して連絡してね』
「わかりました」
『それから、友樹たちにも連絡しておくよ。二人にも早めに帰るように伝えておく』
「ありがとうございます」
電話を切ると、まことは陸と望に向き直った。
「今のうちに帰りましょう」
「了解」
陸が鞄を肩に掛ける。
「……本当に、お邪魔していいのか?」
望が、まことに聞く。
「うん、お家にも連絡したし。大丈夫だよ」
「そうか。ありがとう、まこと」
望はどこか緊張したような、真剣な顔で言う。
いつにないその表情に、まことはどうしたのかなと思うが、横から由利に抱きつかれて遮られた。
「あたしもまことの家、行きたいよー!!!」
「寮生は速やかに帰寮、って言われちゃってたもんね。また遊ぼうね」
残念そうにする由利に、まことは笑う。
*
三人は雨具を用意し、学校を出た。
外に出ると、傘を叩く雨音が一段と大きくなった。
道の端には水が流れ始めている。
三人は水の溜まった場所を避けながら、足元に注意して歩いた。
「これ、もうちょっと遅かったら大変だったな…」
陸が言った。
「そうだね」
まことはうなずいた。
望が、まことの方を見る。
「心配してくれて、ありがとう」
「ううん。わがまま聞いてくれて、ありがとう」
まことはそう答えて、前を向いた。
三人は寄り道をせず、家へと急いだ。
*
家に着くころには、雨はさらに強くなっていた。
玄関の扉を開けると、友樹と美穂が出迎えてくれた。
「おかえり!すごい雨だったでしょう?」
「ただいま。二人とも、もう帰ってたんだ」
「忠晴から連絡があったのよ。これからもっとひどくなりそうだっていうから、早めに切り上げてきたの」
友樹がタオルを持ってくる。
「みんな、まずはこれで拭いて。風邪をひいたら大変だからね」
「ありがとう」
まことがタオルを受け取り、望にも渡した。
「ありがとうございます。突然お邪魔してしまって、申し訳ありません」
「いいんだよ。望くんも、遠慮しないでね」
友樹は穏やかに笑った。
望は濡れた髪を拭き、改めて姿勢を正した。
「本日は突然お邪魔して申し訳ありません。まことさんとお付き合いさせていただいております、直井望と申します」
一瞬、玄関が静まり返った。
美穂が瞬きをする。
「……えっ?」
友樹も、手にしていたタオルを持ったまま止まった。
「まことと……お付き合い?」
「はい」
望は真面目な顔でうなずいた。
美穂は、まことと望を交互に見た。
「ええええっ!? 聞いてないんだけど!?」
まことはそんな美穂を見て、くすっと笑った。
「うん。言ってないですもん」
「そういうことじゃなーい!!」
居間の方から様子を見ていた忠晴が、ゆっくりと腕を組んだ。
「…なるほど?」
ゆっくりと望に視線を向ける。
「これはこれは。ずいぶん大事なご報告をいただいてしまったね」
「た、忠晴……?」
いつになく低い忠晴の声に、美穂が驚く。
「最近、二人はずいぶん仲がいいなと思っていたけど……まさか、そういうことだったとは」
忠晴は胸に手を当て、わざとらしく息をついた。
「とはいえ、お父さんは許しません!」
「あんたはお父さんじゃないでしょっ!!」
美穂が盛大に突っ込んだ。
そのやり取りを呆然と聞いていた陸が、ハッとしてまことと望を交互に見る。
「……は?」
そして、望に向き直る。
「お前ら、いつから!?」
「ゴールデンウィークごろ」
「俺、毎朝一緒に登校してたんだけど!?」
「うん。楽しかったね」
「そういう話じゃねえ!!」
陸の声が玄関に響いた。
望は困ったように笑いながら、陸に向かって頭を下げた。
「ごめん、陸。言うタイミングがなくて」
「いや、タイミングなんていくらでもあっただろ! 毎朝あっただろ!!」
「毎朝あったね」
まことがうなずく。
「まことはちょっと黙ってて!」
「あらら」
「あらら、じゃねえ!」
美穂はとうとう笑い出してしまった。
友樹は苦笑しながら、言う。
「まあまあ。とりあえず、みんな着替えておいで。話はお茶を飲みながら聞こうか」
「陸、望くんに服貸してあげなね。望くんも、風邪をひいたら大変だからちゃんと着替えてね」
美穂が、望に笑いかける。
「ありがとうございます」
望はほっとしたように微笑んだ。
その横で、陸はまだ納得のいかない顔をしていた。
「……ゴールデンウィークって。俺、全然知らなかったんだけど」
「うん」
「うん、じゃねえ!」
陸は、深いため息をついた。
「……俺、明日からどんな顔して二人と登校すればいいんだ」
「いつもどおりでいいんじゃない?」
まことが言う。
「お前はそうだろうよ!」
望は困ったように笑った。
「陸、これからもよろしく」
「……お前まで」
陸は望を見て大きくため息をついて、顔を覆った。
その様子を見て、由利がいれば絶対に大笑いしただろうな、とまことは思った。




