10. 天体観測の話
三連休が近づいたある日の放課後。
帰り支度をしながら、由利がまことに声をかけた。
「ねえ、今度の三連休って何か予定ある?」
「今のところは、特にないかな」
「じゃあ、遊ばない?」
由利は鞄を肩にかけながら、楽しそうに続けた。
「せっかく三連休だし」
「いいね。どこかに行きたいの?」
「うーん。まだ決めてない」
二人であれこれ話してみたものの、なかなか行き先は決まらなかった。
*
その日の帰宅後、まことはリビングで美穂に相談してみることにした。
「美穂さん、今度の三連休なんですけど、由利と遊ぼうって話になって」
「あら、いいじゃない」
「でも行きたいところが思いつかなくて、どうしようかって話してて」
「それなら、由利に泊まりに来てもらえば?」
美穂は、ちょうど手にしていたカップをテーブルに置いた。
「お泊まりですか?」
「そう。せっかくの三連休なんだし、うちでゆっくり過ごすのもいいんじゃない?」
「それも楽しそうですね!」
まことは少し考えてから、スマートフォンを取り出した。
由利とのトーク画面を開き、メッセージを送る。
『今度の三連休、うちに泊まりに来ませんか?』
送信して間もなく、スマートフォンが震えた。
『えっ!! いいの!?』
続けて、いくつもメッセージが届く。
『行きたい!』『泊まりたい!』『楽しみ!!』
画面を見ていたまことは、思わず笑った。
『もちろん。美穂さんもいいよって言ってくれました』
『やったー!』
少し間が空いて、またメッセージが届いた。
『そうだ! その日って流星群が見られる日じゃなかったっけ?』
まことは画面を見直した。
そういえば、そんな話を聞いたことがある。
『せっかくだから天体観測しようよ!』
由利のメッセージが踊っている。
『いいですね。楽しそう』
『絶対やろうね!』
由利の返事は、いつもどおり勢いがよかった。
まことはスマートフォンを置くと、リビングにいた陸に声をかけた。
「陸、今度の三連休、由利が泊まりに来ることになりました」
「へえ。そうなんだ」
「その日に流星群が見られるらしくて、天体観測をしようって話になったんです」
「天体観測?」
陸が顔を上げる。
「うん。お庭から見られるかなと思って」
「へえ、楽しそうだね」
陸は窓の外に目を向けた。
「陸も一緒にやりましょうよ」
「え、いいの?」
「もちろん」
まことがそう答えると、陸は少し嬉しそうに笑った。
そのとき、ソファに座っていた忠晴が会話に加わった。
「望も誘えば、いつもの4人組で天体観測できるね」
「あ…」
まことは一瞬、言葉に詰まった。
望も、誘いたいと思っていた。
けれど、由利が泊まりに来ることになったからといって、自分から望を誘っていいものか、少し迷っていたのだ。
まことはちらりと美穂を見る。
美穂はそんなまことの様子を見て、にっこりと笑った。
「まことが良いなら良いんじゃないかしら」
そう言って、片目をつむる。
まことは少し頬を赤くした。
「……望にも、聞いてみます」
「うん。それがいいよ」
忠晴は楽しそうに頷いた。
その夜、まことは望にメッセージを送った。
由利が泊まりに来ることになったこと。
流星群が見られる日なので、陸も一緒に天体観測をしようと話していること。
そして、よかったら一緒にどうか、と。
返事はすぐに届いた。
『行きたい。誘ってくれてありがとう』
その短い言葉を読んで、まことはほっと息をついた。
こうして、三連休の予定が決まった。
*
夕暮れの中、由利は大きな鞄を抱えて、幸野家にやってきた。
「お邪魔しまーす!」
玄関に入るなり、弾んだ声が響く。
「いらっしゃい、由利」
美穂が笑顔で迎えた。
「こんにちは。お邪魔します!」
由利は靴を揃えると、まことの方を向いた。
「まこと、今日はよろしくね!」
「うん。こちらこそ」
その後、少し遅れて望も到着した。
「お邪魔します」
「望、いらっしゃい」
美穂に迎えられ、望は軽く頭を下げる。
「よろしくお願いします」
「うん。楽しんでいってね」
陸もリビングから顔を出した。
「お、望。いらっしゃい」
「お邪魔するよ」
その時、由利の高い声が響いた。
「すごい!キャンプみたい!」
リビングから続くウッドデッキには、テントが張られている。
友樹が、夜になると冷え込むこともあるからと準備をしてくれていた。
「外にいるよりは暖かいでしょ」
由利が目を輝かせる。
「ありがとう、友樹さん!」
「どういたしまして。さあ、天体観測の準備しないと、暗くなっちゃうよ」
流星群が見られる時間までは、望遠鏡で星や月を観察しようということになった。
陸は蔵から持ってきた天体望遠鏡を、望と一緒に調整していた。
使い方を確認しながら、少しずつ向きを合わせていく。
由利はリュックを置くと、星座早見盤とノートを取り出した。
「そういえば、蔵にこんなものもあったよ」
まことが持ってきたのは、古びたアストロラーベだった。
「え、なにこれ」
4人は一旦手を止めて、アストロラーベを眺めた。
けれど、使い方は誰にもわからない。
顔を見合わせ、誰からともなく吹き出した。
*
夕食を食べ終わってウッドデッキに再び出てくる頃には、空の暗さが深まっていた。
リビングの明かりを消すと、庭の景色は夜の中に沈んでいった。
しばらく目を慣らしていると、空に星が見え始める。
「わあ……」
由利が小さく声を上げた。
「思ったより見えるね」
望が空を見上げる。
「うん。あそこにもある」
まことが指さした先に、小さな光がいくつも浮かんでいた。
陸はテントの入り口に腰を下ろし、空を眺めた。
由利は抑えきれない様子で、星座の話を始めた。
「あれが夏の大三角でしょ。それから、あっちが……」
星の名前や星座の形、星にまつわる物語。
由利は知っていることを次々と話していく。
望が質問をすると、由利は嬉しそうに答えた。
陸も時々話に加わり、まことも思いついたことを口にする。
星の話をしているうちに、話題はいつの間にか学校のことに移っていた。
「そういえば、みんなはどうしてこの学校にしたの?」
由利が尋ねた。
「急にどうしたの?」
陸が笑う。
「なんとなく。みんな理由が違いそうだなって。陸はどうして?」
「俺は…好きな建築家がこの学校の設計に関わってたから」
「それが理由だったんだ」
「うん。学校の建物を見てみたかったんだよね。実際に通えるなら、なおさらいいなと思って」
「陸らしいね」
まことが言うと、陸は少し照れたように笑った。
「望は?」
由利が望に話を振る。
「俺は剣道部に誘われたから。道場の先生から話をもらって、見学に行ったら雰囲気もよかったしね」
「じゃあ、剣道がきっかけだったんだね」
「うん」
望はそう言って、空を見上げた。
「由利は寮生活に憧れてたんだよね」
まことが言うと、由利は大きく頷いた。
「そう! 物語に出てくる魔法学校みたいなところに憧れてたの。みんなで寮に住んで、食堂でご飯を食べて、夜までおしゃべりして……。楽しそうじゃない?」
「魔法学校と普通の学校は違うと思うけど」
陸が言う。
「わかってるよ。雰囲気の話!」
由利は少し頬を膨らませた。
「おーい。差し入れ持ってきたよ」
声に振り向くと、友樹と忠晴だった。
友樹の手にはトレーがあり、その上にはカップが並んでいる。
忠晴も小さなテーブルとかごを持っていた。
「わあ、何ですか?」
由利がさっそく近づいていく。
「ココア。夜は冷えるからね」
忠晴がテーブルを置くと、その上に友樹がトレーを置いた。
カップからはあたたかいココアの甘い香りが漂ってくる。
「おやつもあるよ。好きなだけ食べていいぞ」
「やった!」
忠晴が持ってきたかごの中に溢れんばかりに入っているお菓子を見て、由利は嬉しそうに声を上げた。
四人はそれぞれカップを受け取り、あたたかいココアを手にした。
「晴れて良かったね」
「うん!」
由利が元気よく返事をした。
「なんか魔法学校に憧れて学校を選んだって聞こえたけど、天体観測はどうしたの?」
「小休憩、かな?」
忠晴が尋ねる。
「由利が好きなお話って、イギリスが舞台の?」
「うん、イギリスも憧れる〜」
由利が話していると、忠晴が何でもないことのように言った。
「イギリスはいいところだよ」
「え、忠晴さん、行ったことあるの?」
「行ったことがある、というより住んでいたんだよ」
一瞬、その場の空気が止まった。
「……え?」
「なんで!?」
陸と由利の声が重なる。
望も目を丸くしている。
忠晴は三人の反応を眺め、満足そうに頷いた。
「ふっふっふ。どうやら、まだ君たちに話していないことがたくさんありそうだね」
「何それ!聞きたい!」
由利が身を乗り出す。
「そうだろうとも。俺の英国時代には、まだまだ語るべきエピソードが……」
「はいはい。その話はまた今度ね」
友樹が忠晴の肩を軽く叩いた。
「ほら、今日は天体観測でしょ。大人はここで退散します」
「えーっ!」
由利が残念そうな声を上げる。
「おや、残念。せっかく俺の冒険のお話が始まるところだったのに」
忠晴は大げさに肩を落とした。
「続きはまた今度。せっかくの夜なんだから、今日はみんなで楽しんで」
そう言って、友樹と一緒に家の中へ戻っていった。
その姿が見えなくなるまで、由利は二人の背中を見送っていた。
「……忠晴さん、イギリスの高校に通ってたんだ」
「そこが一番気になるんだな」
陸が笑う。
「だって、知らなかったんだもん」
由利はココアを一口飲んだ。
「寮生活の話、聞きたいなあ」
「今度聞けばいいじゃない」
「うん。絶対聞く」
由利は真剣な顔で頷いた。
まことはカップを両手で包み込んだ。
あたたかいココアが、冷えてきた指先に心地よい。
大人たちが戻っていくと、ウッドデッキにはまた四人だけの時間が戻ってきた。
「そろそろ、流れ星見えるかな」
望が空を見上げる。
「見えるといいね」
まことも顔を上げた。
由利はお菓子をひとつ手に取りながら、空を見つめている。
誰かが話し始めると、誰かが答える。
星の話になったり、学校の話になったり、いつの間にか別の話になったりする。
「そういえば、私とまことって、中学一年生のときも同じクラスだったんだよね」
「うん。二年生では別々だったけど、三年生でもまた一緒になったね」
「そうそう。だから、けっこう長い付き合いなんだよ」
由利が得意げに言うと、望が小さく笑った。
「俺は二年生のときだな。まこととクラス委員を一緒にやったんだ」
「あのときは、望にずいぶん助けてもらいました」
「そんなことないよ。まこともよく動いてくれてたし」
「俺と望は道場だな」
陸がそう言うと、望が頷いた。
「陸がこっちに引っ越してきて、道場で知り合ったんだよな」
「そう。まさか同じ学校に通うことになるとは思わなかったけど」
「それで、いつの間にか四人でいることが増えたんだよね」
由利は三人を見回した。
まことの隣には望がいて、その向かいには陸が座っている。
由利も、いつからかこの輪の中にいるのが当たり前になっていた。
それぞれ違うきっかけで知り合ったのに、今ではこうして一緒に過ごしている。
「なんだか不思議だね」
由利が呟くと、まことも小さく頷いた。
そんなことを繰り返しながら、夜はゆっくりと過ぎていった。
空には、まだまだたくさんの星が残っている。
由利が何かを見つけたように、声を上げた。
「あっ!」
三人が一斉に空を見上げる。
けれど、そこにはもう何もなかった。
「今の、流れ星だった?」
「どこ?」
「えー、見逃した!」
由利が残念そうに頬を膨らませる。
陸が笑った。
「また見えるよ。まだ時間はあるんだから」
「そうだね!」
由利は気を取り直して、もう一度空を見上げた。
四人の頭上には、静かな夜空が広がっていた。




