二人きり 3
ハオランの顔が真っ赤になった。
耳まで染まっている。
まるで熱でも出したような反応だった。
「なっ……」
言葉が続かない。
何か言い返そうとするたびに喉の奥で詰まってしまう。
可愛らしい。
二十五年生きてきて、そんな評価を受けたのは初めてだった。
武人としてなら言われたことがある。
真面目だとか、頼りになるだとか。
可愛らしいなどという言葉とは無縁の人生だった。
しかも相手は女性だ。
それもとびきりの美人。
頭が追いつかない。
ルイナはそんな様子を静かに眺めていた。
面白い。
そう思った。
思えば王都にいた頃、自分に近づいてくる男たちは二種類しかいなかった。
地位や家柄に惹かれる者。
あるいは容姿だけを見て寄ってくる者。
どちらも本心が見えにくかった。
──目の前の男は違う。
良くも悪くも分かりやすい。
感情が顔に出る。
隠し事も苦手そうだ。
(本当に嘘が下手そうね)
そう思うと少しだけ頬が緩んだ。
ハオランはまだ赤くなったまま視線を逸らしている。
窓の外へ。
床へ。
天井へ。
落ち着きなく彷徨っている。
そして、ふと何かに気付いたように顔を上げた。
「……いや」
ぽつりと呟く。
「お前だって十分反則だろ」
「反則?」
「その顔で笑うの」
今度はルイナが僅かに目を瞬かせた。
予想外の返答だった。
ハオランは頭を掻きながら続ける。
「最初はもっと怖い人かと思ってたんだ」
正直な感想だった。
王都から来た女騎士。
しかも隊長。
噂だけ聞けば近寄り難い人物像しか思い浮かばない。
しかし実際は違った。
厳しそうではある。
真面目でもある。
けれど冷たいわけではない。
むしろ思った以上に人を見る。
そして、笑うと綺麗だった。
その言葉を口にする勇気はなかったが、ルイナは少しだけ視線を伏せた。
褒められ慣れていないわけではない。
容姿を褒める者ならいた。
だが、今の言葉は少し違う。
笑顔を褒められた。
それは外見ではなく、自分自身を見て言われたような気がした。
妙な感覚だった。
胸の奥が少しだけくすぐったい。
その沈黙を破ったのはハオランだった。
「そういや」
ようやく普段の調子が戻り始めている。
「騎士なんだよな」
「ええ」
「しかも隊長だったとか」
「そうね」
ルイナは頷く。
その瞬間、部屋の空気が少し変わった。
先ほどまでの柔らかな雰囲気が僅かに引き締まる。
ハオランもそれを感じた。
騎士。
それは彼女にとって誇りなのだろう。
自然と背筋が伸びる。
「辺境へ来るのは嫌じゃなかったのか」
その問いに、ルイナはしばらく答えなかった。
夕陽が竹林を赤く染めている。
葉の隙間から差し込む光が畳の上へ模様を描いていた。
やがて、彼女は静かに口を開く。
「後悔はしていないわ」
その声には迷いがなかった。
「私が選んだ結果だから」
取り残された民間人。
泣き叫ぶ子供。
脳裏に鮮明に蘇る。
もしもう一度同じ状況になったとしても、きっと同じことをする。
それだけは断言できた。
ハオランは何も言わなかったが、その言葉だけで十分だった。
ああ。
この人は本物だ。
そう思った。
自分の損得ではなく、守るべきものを優先した。
だから左遷された。
理不尽だとは思うが、そういう人間だからこそ信頼できる。
しばらく二人は言葉を交わさなかった。
沈黙は不思議と苦にならない。
むしろ心地よかった。
やがて、ルイナが静かに口を開く。
「一つだけ」
「ん?」
「先に言っておくわ」
その声にハオランは何故か嫌な予感を覚えた。
つい先ほどまで穏やかだった空気が変わる。
騎士隊長の顔。
それが戻ってきていた。
ルイナは腰に下げた鞭へ手を伸ばす。
革で編まれた愛用の武器。
長年使い込まれた柄を指先でなぞる。
「規律を守ること」
静かな声だったが、重みがある。
「約束は守ること」
ハオランは思わず姿勢を正した。
「そして」
ルイナの視線がまっすぐ向けられる。
「非常識なことをしないこと」
「お、おう」
何故か返事をしてしまう。
ルイナは小さく頷いた。
そして、ほんの少しだけ口元に笑みを浮かべる。
「もし破ったら──」
指先が鞭の柄を軽く叩く。
乾いた音が小さく響いた。
「容赦なくおしおきするわ」
その宣告は妙に真剣だった。
冗談には聞こえない。
ハオランの背筋に冷たいものが走る。
「……ちなみに」
恐る恐る尋ねる。
「その、おしおきって」
「鞭打ちよ」
即答だった。
一片の迷いもない。
ハオランは顔を引きつらせた。
ルイナは平然としている。
どうやら本気らしい。
そのやり取りを見ているうちに、不思議と笑いが込み上げてきた。
こんな女性は初めてだ。
厳しくて。
真面目で。
少し怖くて。
だけど優しい。
気付けば、ハオランは小さく笑っていた。
ルイナもまた、その様子を見て目を細める。
夕陽はすでに沈みかけていた。
長かった一日も終わろうとしている。
けれど。
二人の物語は、ようやく始まったばかりだった。
──その頃。
客間の外では、襖に耳を押し付けたリンナが
「全然聞こえない……!」
と真剣な顔で呟いており、その後ろでジンロンに首根っこを掴まれることになるのだが……。
それはまた別の話である。




