二人きり 2
沈黙が落ちた。
客間の中には、竹林を抜けてくる風の音だけが静かに流れている。
開け放たれた窓の向こうで葉が揺れ、そのたびに柔らかな擦れ音が耳に届いた。
夕陽はすでに山の向こうへ傾き始めており、室内には茜色の光が長く差し込んでいる。
向かい合って座る二人の間には、まだぎこちなさが残っていた。
ルイナは平然としている。
少なくとも外から見ればそう見えた。
だが内心では、目の前の男を静かに観察していた。
落ち着きがない。
視線が泳ぐ。
何か話そうとしているのは分かるが、話題が見つからないらしい。
武人としての風格はある。
身体つきも良い。
でも、女性に慣れている様子はまるでない。
それが不思議だった。
父の話では真面目で責任感が強い男。
ならば縁談の一つや二つあってもおかしくない。
それなのに今の様子を見る限り、本当に女性経験が少ないのだろう。
やがてハオランが意を決したように口を開いた。
「……その」
すぐに言葉が止まる。
ルイナは急かさなかった。
待つ。
それだけで十分だった。
「本当に聞いてなかったんだ」
「何を?」
「縁談」
ルイナの問いに、ハオランは大きく頷いた。
「今日初めて知った」
真剣な声だった。
言い訳ではない。
本当に知らなかったのだろう。
ルイナは小さく息を吐く。
予想はしていた。
あの反応は演技ではない。
あれほど見事に取り乱せる人間はそういない。
「そう」
「信じてないか?」
「信じているわ」
即答だった。
その答えに、今度はハオランが驚く。
もっと疑われると思っていたが、ルイナの表情は変わらない。
「嘘を吐いているようには見えなかったもの」
その言葉にハオランは少しだけ目を見開いた。
まっすぐだった。
何の打算もない。
思ったことをそのまま口にしている。
そんな印象を受ける。
「……そうか」
妙にむず痒い。
褒められたわけでもないが、信用されたことが、なぜだか嬉しかった。
再び沈黙が訪れる。
今度の沈黙は先ほどより少しだけ柔らかかった。
ハオランは膝の上に置いた手を見つめる。
そしてふと思った。
聞いておきたいことがある。
「お前は」
言葉を探しながら続ける。
「いいのかよ」
ルイナが顔を上げた。
「何が?」
「こんな話」
ハオランは視線を逸らした。
真正面から聞くのは少し勇気がいる。
「親父たちが勝手に決めた話だろ」
窓の外で竹が揺れる。
風の音が一瞬だけ大きくなった。
「嫌なら断ってもいいんじゃないか」
その言葉に嘘はなかった。
自分は構わない。
無理に結婚しても意味がない。
相手の意思を無視した夫婦など長続きしない。
そう思っている。
ルイナは少しだけ目を細めた。
予想外だった。
もっと自分本位な人間かもしれないと思っていた。
だが、違う。
まず相手の意思を気にしている。
そこに好感を抱いた。
「父が決めたことだから」
静かに答える。
「私は信頼しているわ」
暖炉のある書斎。
あの日の会話を思い出す。
厳格で不器用な父。
決して甘やかしたりはしない。
でも、いつも自分のことを見ていてくれた。
左遷を告げた時もそうだった。
怒りもしなかった。
慰めもしなかった。
ただ娘の未来を考えた。
だから信じられる。
「それに」
ルイナは続けた。
「貴方は誠実な人だと思う」
ハオランが固まった。
「……え?」
「違う?」
「いや」
違わないと思う。
しかし、真正面からそう言われるとは思わなかった。
「分からん」
結局そんな返事しか出てこない。
ルイナはしばらく彼を見つめていた。
それから、ほんの少しだけ肩の力を抜く。
「少なくとも」
静かな声だった。
「悪い人には見えないわ」
ハオランは困ったように頭を掻いた。
褒められている。
間違いなく褒められている。
……だけど、どう返せばいいのか分からない。
その様子が妙におかしかった。
ルイナは無意識に口元へ手を添える。
真面目。
素直。
……そして少し不器用。
第一印象よりずっと話しやすい。
気付けば、最初に感じていた警戒心はほとんど消えていた。
「……何だよ」
視線に気付いたハオランが尋ねる。
ルイナは答えなかった。
代わりに、ほんの僅かだけ口角を上げる。それは一瞬だったが、確かに笑っていた。
夕陽に照らされたその微笑みを見た瞬間、ハオランは言葉を失った。
胸の奥が大きく跳ねる。
綺麗だった。
それ以外の感想が出てこない。
ルイナはそんな彼を見て、さらに少しだけ目を細める。
そして、
「可愛らしい人ね」
ぽつりと言った。
その瞬間、ハオランの顔が真っ赤になった。




