紳士の檻
扉が閉ざされたあと、ルイナはまず部屋そのものを検分することから始めた。
扉は外側から施錠され、内側にはそれらしき取っ手すら見当たらない。
押しても引いても、びくともしない重厚な造りだった。
窓に歩み寄れば、硝子の向こうに等間隔で並ぶ鉄格子が、月明かりを縞状に切り取っている。
荷物を検められた際、腰の鞭は当然のように取り上げられていた。
廊下の気配にも神経を研ぎ澄ませたが、絶え間なく行き交う足音と、時折交わされる兵士同士の短い言葉が、常に見張りが立っていることを物語っている。
脱出できそうな隙は、どこにも見当たらなかった。
窓辺に立ち尽くしたまま、ルイナは奥歯を強く噛みしめる。
焦りだけを募らせても、状況は何ひとつ好転しない。
冷静さを失えば、それこそ相手の思う壺だ。深く息を吸い込み、彼女は自分自身にそう言い聞かせた。
その夜、扉の外に人の気配が近づいてきた。
鍵の外れる音に続き、静かに扉が開かれる。
姿を現したのは、昼間と変わらぬ優雅な佇まいのヴァレリウスだった。
予想に反して、その物腰はどこまでも紳士的だった。
「寛いでいただけていますか」
穏やかな声で問いかけながら、彼は部屋の中を一瞥する。
確かに、この部屋は監禁のために用意されたとは思えないほど豪奢だった。
天蓋付きの寝台、上質な絨毯、そして食卓の上には、香り立つほど上等な料理が並んでいる。
控えていた使用人が一礼し、静かに給仕の仕草を見せた。
そのどれもが、ルイナの怒りを和らげる材料にはなり得なかった。
「これを監禁と言うのよ」
低く突き放すような声に、ヴァレリウスは眉ひとつ動かさなかった。
「保護です」
お決まりの押し問答が、二人の間で幾度も繰り返される。言葉を交わすほどに、埋まることのない溝の深さだけが、はっきりと浮き彫りになっていく。
ルイナはこれ以上の議論に意味を見出せず、口を閉ざした。
その沈黙を待っていたかのように、ヴァレリウスがゆっくりと口を開く。
「ハオラン・ホンは、有罪になるでしょう」
平坦な声で放たれたその一言に、ルイナの中で何かが弾けた。
「何を根拠に……!」
声を荒らげ、彼女は一歩前に踏み出す。
ヴァレリウスは動じることなく、むしろ憐れむような眼差しをこちらへ向けるだけだった。
「証拠は既に十分揃っています。裁判の場で、それが覆ることはないでしょう」
淡々とした口調が、かえって不気味だった。
これまで積み上げてきた証拠の綻びを知る由もない──いや、あるいは知っていてなお、彼はこうも平然と言い切っているのかもしれない。
どちらであっても、その冷徹さに変わりはなかった。
「あなたは、疲れているのです」
穏やかな声だった。まるで本気で相手の身を案じているかのような、慈しみさえ滲んだ響きに、ルイナはかえって強い悪寒を覚える。
「だから、誤った方向へ進んでしまっている」
ヴァレリウスは一歩、静かに距離を詰めた。その瞳には、こちらを見下す色も、勝ち誇る色もない。
ただ純粋な、憐れみにも似た光だけが宿っていた。
「私が、正しい場所へ導きましょう」
その一言に、ルイナは背筋の凍る思いがした。
彼は嘘をついているのではない。
おそらく、心の底からそう信じ切っている。自分こそが彼女を救う者であり、この監禁さえも善行の一環なのだと、微塵の疑いもなく思い込んでいる。
悪意を持って人を陥れる者よりも、善意を確信して疑わない者の方が、時にどれほど恐ろしいか──ルイナは今、身をもってそれを思い知らされていた。
ルイナは何も答えず、ただ強い眼差しでヴァレリウスを見据え続けた。屈することも、頷くことも、彼女には到底できない相談だった。
同じ頃、辺境の執務室では、ノアが一人、机に向かっていた。
ルイナが残していった資料の山を、彼は苦い顔をしながらも一枚ずつ確認していく。
書類仕事は性に合わないとぼやきながらも、託された責任の重さだけは十分に理解していた。
手紙の発見報告書に目を通していたとき、ふと彼の指が止まる。
発見者の欄に記された、再捜査官の名前。
何気なく目を滑らせただけのはずが、その文字列が妙に引っかかった。
「待てよ……こいつ、どっかで聞いたな」
呟きながら、ノアは記憶の糸をたぐり寄せる。
はっきりとした形にはならない。もどかしさに顔をしかめながら、彼は机の引き出しから、過去に集めた資料の束を引っ張り出した。
蝋燭の灯りだけを頼りに、紙をめくる指の動きが徐々に速まっていく。
埃を被った古い任命記録、異動履歴、そういった地味な書類の山を漁り続けた末、ようやく目当ての一文にたどり着いた。
『当該再捜査官、かつてクロイツ侯爵家当主付きの秘書官として勤務』
さらに次の頁をめくると、任命書の写しに目が留まる。末尾に添えられた一文に、ノアの指がぴたりと止まった。
『本任命に際し、クロイツ侯爵家よりの推薦状を添付』
その二つの記述を、ノアは食い入るように見つめる。
単なる過去の赴任地というだけなら、貴族社会ではさして珍しい話でもない。
当主付きの秘書官という立場、そして異動の際にわざわざ添えられた推薦状。
積み重なるこれらの符合が、偶然という言葉では到底片付けられない重みを持ち始めていた。
頭の中で、これまでのばらばらだった断片が、音を立てて繋がっていくのが分かった。
「繋がった」
低く呟いた声には、確信と焦りが同時に滲んでいた。
証拠の捏造、誘導された証言、不自然な発見経緯──そのすべての糸を辿った先に、クロイツ家という名が浮かび上がってくる。
そして今、その手が伸びた先には、王都へと向かったルイナがいる。
弾かれたように、ノアは椅子から立ち上がった。
資料をひとまとめに抱え込み、部屋を飛び出す。夜更けの廊下を駆け抜ける足音が、静まり返った屋敷に大きく響き渡った。
ホン家の門を、ノアは息を切らしながら叩いた。
「大変だ」
戸を開けたジンロンが、その只事ではない様子に目を見開く。ノアは呼吸を整える間も惜しむように、声を絞り出した。
「ルイナが、王都で消えた」
その一言に、ジンロンの表情が一変する。腕を組んだまま黙って話を聞いていたリンナも、弾かれたように立ち上がった。
「お義姉ちゃんが……!」
震える声が、夜の静寂に響く。ジンロンは険しい面持ちのまま、大股で戸口へと歩み寄った。
「詳しく話せ」
低く重い声が、部屋の空気を張り詰めさせる。
ノアは抱えていた資料を差し出しながら、これまでの経緯を一気に語り始めた。
灯りの下、三人の影が、緊迫した空気の中で長く揺れていた。




