劣化しない紙
執務室に戻ったルイナは、当時の押収品記録を改めて棚から引っ張り出した。
事件直後にまとめられたその資料には、野盗のアジトに対する捜索の詳細が、几帳面な字で記録されている。
討伐が完了した直後、現場は徹底的に捜索されていた。
武具、食料、衣類に至るまで、あらゆる押収品がひとつ残らず一覧化されている。
どれだけ目を凝らしても、手紙に関する記載はどこにも見当たらなかった。
紙をめくる指先が、次第に苛立ちを帯びていく。
あれほど徹底された捜索網の中で、手紙一枚だけが見落とされるなど、常識的に考えてあり得ることではない。
「では、再捜査官はどこで見つけたの……」
呟きながら、ルイナは再捜査の際に提出された発見報告書へと視線を移す。そこに記された一文が、彼女の目に飛び込んできた。
──ラト村近郊の洞窟にて発見。
翌日、ルイナとノアは馬を駆り、ラト村へと向かった。
村に到着すると、二人はすぐさま住人たちへの聞き込みを始める。
洞窟の場所を尋ねると、村人たちは特に警戒する素振りもなく、あっさりとその位置を教えてくれた。それどころか、返ってきた答えは予想外のものだった。
「ああ、あそこかい」
年配の女が、洗濯物を干す手を止めて振り返る。
「事件のあとも、ずっと子供らの遊び場だったよ」
その一言に、ルイナとノアは思わず顔を見合わせた。
さらに聞き込みを重ねると、別の村人からも似たような証言が続く。
「薬草採りの連中も、しょっちゅう出入りしてたぞ」
男の一人が、事もなげに答える。
洞窟の奥には薬効のある苔が自生しており、村の薬師見習いが定期的に採取に訪れていたのだという。
つまり、この洞窟は決して人の目から隔絶された場所ではなかった。
半年もの間、子供たちの遊び場として、あるいは薬草採取の場として、絶え間なく人の出入りがあった場所だ。
そんな場所に置かれた手紙が、これほど長い間、誰の目にも触れずに残り続けていたという説明には、あまりにも無理があった。
さらに詳細を確かめるため、ルイナは先ほどの女にもう一度尋ねた。
「どの辺りで見つかったの?」
女は少し考える素振りを見せたあと、洞窟の方角を指さしながら答える。
「入り口の、すぐ脇だったよ」
その一言に、ルイナの中の違和感が一段と重みを増した。
奥まった暗がりであれば、まだ人目につかない可能性も残されていただろう。
だが、入り口のすぐ近くとなれば話は別だ。
子供たちが駆け回り、薬草採りの人間が頻繁に出入りする、まさにその通り道と言っていい場所に、誰も気づかぬまま半年もの間、紙切れ一枚が転がり続けていたことになる。あまりにも不自然な話だった。
実際に洞窟の中へ足を踏み入れ、発見場所とされる地点を確認したところで、ノアがさらに新たな違和感を口にする。
「紙って半年も野ざらしで残るか?」
その指摘に、ルイナは洞窟内の空気を意識し直す。
じめりとした湿気が肌にまとわりつき、天井からは絶え間なく水滴が滴り落ちていた。
壁際には苔が青々と繁茂し、羽虫の羽音が耳元で低く唸っている。
雨風の影響を受けやすい入り口付近はもちろん、奥まった場所であっても、この湿度と虫の多さでは、紙が無傷のまま原形を保ち続けるとは到底思えない。
雨。
湿気。
虫。
風。
どれをとっても、紙にとっては過酷な環境だ。半年もの間、これらすべてに晒され続ければ、インクは滲み、紙は脆くなり、虫食いの跡が刻まれていて然るべきだった。
応接室であの手紙を目にした時の記憶を、ルイナは改めて呼び起こす。
真っ白とまではいかずとも、折り目もほとんどなく、文字の滲みも見られない、驚くほど良好な保存状態だった。
まるでつい先日、丁寧に折りたたまれたばかりであるかのような、そんな新しさすら感じられたことを、今になって思い出す。
ノアが洞窟の入り口に目をやり、腕を組んだまま呟いた。
「奥ならまだ分かる」
奥まった場所であれば、雨風の影響もいくらか和らぎ、多少の劣化を免れることもあり得るかもしれない。
「でも、入口付近だぞ」
風の通り道であり、雨の吹き込みも避けられない場所だ。しかも人の往来まで頻繁にある。
そんな場所で、紙一枚が半年もの間、無傷のまま存在し続けるというのは、都合が良すぎる話だった。
「誰かが、最近置いた方が自然ね」
ルイナが静かに結論を口にすると、ノアも異を唱えることなく頷いた。
洞窟の外に出ると、夕刻の光が木々の隙間からまだらに差し込んでいた。
冷えた洞窟内の空気から一転、外気の生ぬるさが肌を包む。
ルイナはしばらく無言のまま、洞窟の入り口を振り返っていた。
短刀は、ホン家の物ですらなかった。
証言は、誘導によって不当に肉付けされたものだった。
そして手紙は、発見の経緯そのものが不自然極まりない。
どれひとつとして、完全に否定しきれるものはない──しかし、積み重なるほどにその信用性は音を立てて崩れていく。
一撃で無実を証明する決定打こそないものの、証拠という証拠のすべてに、拭いようのない疑いの影が差し込んでいた。
夕風が木々の梢を揺らし、葉擦れの音が辺りに満ちる。馬の背に揺られながら、ルイナは唇を引き結んだ。
「王都へ、抗議に行くべきかしら」
呟きは半ば独り言だった。
再捜査官本人に直接問い質すべきかもしれない。
このまま黙って様子を窺うだけでは、事態は何ひとつ動かない。焦燥にも似た苛立ちが、胸の奥で静かに渦を巻いていた。
考えを巡らせながら騎士団の門をくぐったルイナは、その足を思わず止めた。
門前に、見慣れた紋章を掲げた馬車が停まっている。
ランカスター家の紋章だった。
その意匠を目にした瞬間、ルイナの胸の奥で、何か嫌な音が鳴った気がした。
普段であれば、父からの使者が訪れたところで、これほどの動揺を覚えることはない。
今この状況で、予告もなく現れたその馬車には、拭いきれない不吉さがまとわりついていた。
馬車の扉が開き、降り立ったのは、長年ランカスター家に仕えてきた老家令だった。
その顔は蒼白で、いつもの折り目正しい佇まいからは考えられないほど、足取りが乱れている。
老家令はルイナの前に進み出ると、深く頭を垂れた。
「お嬢様」
声が、かすかに震えている。
「旦那様が、お倒れになりました」
その一言で、ルイナの思考が完全に止まった。周囲の音が、一瞬にして遠のいていく。
「……父上が?」
掠れた声で問い返すことしかできなかった。
老家令は顔を上げ、切羽詰まった様子でなおも続けた。
「至急、王都へお戻りください」
その言葉が、夕闇の迫る空気の中に、重く響き渡った。




