偽りの証
「この短刀は、ラト村近くの林で発見されました」
再捜査官が淡々と告げる。
声には抑揚がなく、まるで在庫の数でも読み上げているかのような響きだった。
鞘に彫られた紋様から目を離せないまま、ルイナは息を詰めていた。
ハオランが即座に首を振る。
「そんなもん見たことねえ。うちの物じゃない」
きっぱりとした否定だった。
武術家として鍛えられた声には、嘘をついている者特有の揺らぎなど微塵もない。
再捜査官は眉ひとつ動かさず、書類の一枚を指先で押し出した。
「紋様の鑑定は済んでいます」
その一言が、反論の余地を根こそぎ刈り取っていく。
鑑定書と称する紙には、見慣れない印章と、素人目には判読不能な専門用語が並んでいた。
信じるか信じないかという次元の話ではなく、これはもう「そう扱う」と決められた文書なのだと、ルイナは肌で理解する。
続いて出されたのは、また別の証言書だった。
「事件当夜、青髪の体格の良い男が野盗と接触していたという目撃証言もあります」
半年前の捜査時には、ひとつも上がっていなかった証言だ。ノアがすかさず身を乗り出す。
「なんで今さら出てくる」
苛立ちを隠さない声だった。半年間沈黙していた証言者が、突然この時期になって口を開く不自然さ。
誰の目にも明らかなはずのその疑問を、再捜査官はあっさりと切り捨てた。
「恐怖で黙っていたそうです」
たった一言。それ以上の説明は与えられない。
まるで、疑問を挟む余地そのものを塞ぐための言葉であるかのようだった。
ルイナの中で、これまで辛うじて保たれていた冷静さの糸が、ぷつりと音を立てて切れる。
普段はほぼ動かない眉が跳ね上がり、瞳の奥に燃えるような光が宿った。
「馬鹿げているわ」
低く、しかし芯のある声だった。
「こんなもの証拠にならない」
団長として、これまで数えきれない証拠と証言を精査してきた彼女だからこそ分かる。
この二点の証拠には、あまりにも都合の良い偶然が重なりすぎている。
しかし再捜査官は、その指摘さえも表情ひとつ動かさずに受け流した。
「私が判断することではありません」
書類を揃え直しながら、彼はゆっくりと立ち上がる。
「裁判所が判断します」
その言葉が、この場のすべてを無力化した。
ここで何を言っても、何を証明しても、最終的な判断は別の場所で下される。
ルイナの拳が、膝の上できつく握りしめられていく。爪が掌に食い込む感触さえ、今は遠い出来事のようだった。
そして、最悪の一言が告げられる。
「ハオラン・ホン。王都への同行を命じます」
空気が凍りついた、などという生易しい表現では足りなかった。時間そのものが、この一瞬だけ静止したかのような錯覚に陥る。ランプの炎の揺れさえ、やけに緩慢に見えた。
「待ちなさい!」
ルイナが立ち上がる。椅子が後ろへ倒れ、乾いた音を立てて床に転がった。
再捜査官は、その勢いに一歩も引かない。
「拒否は逃亡と見なします」
冷徹な一言が、ルイナの動きを縫い止める。
ここで下手に抵抗すれば、それこそ相手の思う壺だ。
頭では理解していても、腹の底から突き上げてくる怒りが、簡単には収まってくれない。
意外なことに、当のハオランは暴れなかった。
拳を握りしめたまま、その表情には奇妙なまでの静けさが宿っている。
両手を軽く上げ、抵抗の意思がないことを示しながら、彼は短く答えた。
「分かった」
その一言に、ルイナは息を呑む。
なぜ、と問いたくなる衝動を、彼女は必死に飲み込んだ。
答えは分かっている。
もしここで暴れれば──たとえ無実であっても──「やはり犯人だったから抵抗した」という筋書きに、勝手に塗り替えられてしまう。
ハオランはそれを見越して、あえて静かに従う道を選んだのだ。
護衛の兵に両脇を固められながら、ハオランがルイナを振り返る。
「心配すんな」
短い言葉の奥に、いつもの世話焼きな優しさが滲んでいた。
「俺はやってねえ」
それだけ言い残し、彼は前を向く。
ルイナは何かを返そうとして、しかし喉の奥で言葉が固まり、結局何も声にならなかった。ただ彼の背中を、瞬きも忘れて見つめ続けることしかできない。
再捜査官と護衛の兵たちが応接間を出ていったあと、部屋には重い沈黙だけが残された。
散らばった書類、倒れたままの椅子、そして机の上に置き去りにされた一通の手紙。
ノアがその手紙を手に取り、文面をもう一度なぞる。何度目かの読み返しの末、彼の眉間に深い皺が刻まれた。
『例の件は予定通り行え』
この言い回し──ホン家の人間なら、まず使わない表現だった。
東方の武術家一族には、命令ひとつにも独特の言葉選びの流儀がある。
「行え」ではなく「果たせ」、あるいはもっと格式張った言い回しを使うのが常だ。この文書を書いた人間は、おそらく東方の文化にまるで通じていない。
つまり、これは。
(偽物だ)
確信は、瞬く間にノアの背筋を這い上がった。
それを裏付ける術は、今の彼にはまだ何もない。
確信だけを胸に抱えたまま、彼は拳を握りしめ、手紙をきつく握りつぶした。
護送用の馬車が、砂埃を巻き上げながら騎士団の門を出ていく。
その車輪の音が遠ざかっていくのを、ルイナは表情ひとつ変えずに見送っていた。
体の脇に垂らされた両手は、痛いほど固く握られている。爪の先が掌に食い込み、薄く血が滲んでいることにさえ、彼女自身は気づいていなかった。
風が吹き抜け、彼女の髪をわずかに揺らす。土埃の匂いと、遠ざかる馬車の軋みだけが、やけに鮮明に感じられた。
(ヴァレリウス)
胸の内だけで、その名を呼ぶ。
(貴方なの?)
確たる証拠はどこにもない。ただの直感でしかない疑いを、口に出すことすら今はできなかった。
馬車の姿が、街道の彼方に小さくなっていく。土煙だけが、しばらくの間その場に漂い続けていた。




