歪んだ協力関係
砦の門前に、荷馬車の車輪が土を踏みしめる音が響いた。
積み荷を覆う布の合間から、磨き上げられた鎧の輝きが覗いている。
御者台から軽やかに降り立ったメイファは、うっすらと汗ばんだ額を扇子で扇ぎながら、待ち構えていたルイナの元へと歩み寄った。
「ご注文の品を、お届けに参りましたわ」
商人としての澄ました微笑みを浮かべながら、メイファは荷台の布を捲ってみせる。
整然と並べられた鎧一式、矢筒、消火用の道具、そして幾振りかの剣が、陽光を受けて鈍く光っていた。
約束通り、いや、それ以上とも言える質の品揃えだった。
「ありがとう、助かったわ」
ルイナは荷を一通り検分すると、満足げに頷く。その視線が、傍らで欠伸を噛み殺していたノアへと向いた。
「ノア、運ぶの手伝って」
「へいへい。了解っと」
気怠げな返事とは裏腹に、ノアは軽い足取りで荷台へと近づき、鎧の束を軽々と肩に担ぎ上げる。
「俺も手伝うぜ」
道場へ向かう前だったのか、通りがかったハオランが袖を捲りながら申し出た。だがルイナはそれを軽く手で制する。
「あなたはこれから門下生の指導でしょう。早く行った方がいいわ」
有無を言わせぬ調子ではなく、あくまで淡々とした指摘だった。ハオランは一瞬何か言いかけたが、結局は素直に頷く。
ルイナはそれ以上何も言わず、ノアと共に荷を抱えて砦の中へと戻っていった。
その場に残されたのは、ハオランとメイファの二人だけだった。
砂埃の舞う静かな空気の中、メイファは扇子をぱたりと閉じ、それをそっと帯に挟む。艶やかな笑みを湛えたまま、彼女はハオランへとにじり寄った。
「ねえ、ハオラン。暇なら、少し話しましょ」
言うが早いか、細い腕がハオランの腕に絡みつく。柔らかな感触と甘い香りが、ふわりと鼻先を掠めた。
「これから指導だっての。離れてくれ」
ハオランは眉をひそめ、腕を引こうとする。しかしメイファの指先は思いのほか強く、簡単には振り解けなかった。
「少しくらい、いいでしょう?」
甘えるような声音に、ハオランは深く息を吐いた。苛立ちを堪えるように、乱暴に頭を掻く。
「俺は結婚してるんだって、言っただろ。誤解されるようなことはしたくない」
はっきりとした拒絶だった。
メイファはそれを意に介した様子もなく、口元に薄い笑みを浮かべたまま続けた。
「政略結婚なんでしょう? 好きで結婚したわけじゃないなら、別に構わないでしょ?」
その物言いに、ハオランの表情が僅かに強張った。どこでその事情を耳にしたのか、探るような気配など既に微塵も見せない。
まるで裏を取り済ませた上での発言だと言わんばかりの、確信に満ちた口調だった。
誰かから話を聞き出したのか、それとも人を使って調べさせたのか。
いずれにせよ、その執着の深さに、ハオランは背筋が冷えるような感覚を覚える。
「関係ねーよ」
低く、けれど揺るぎない声だった。腕に絡みつく手を、今度こそ静かに、しかしはっきりと振り解く。
「ルイナが俺の嫁さんなのは変わらないし……あいつを悲しませることはしたくない」
その言葉には、義務感だけでは説明のつかない響きが滲んでいた。
ハオラン自身、自分の胸の内にある想いの輪郭をまだ完全には掴みきれていなかったが、少なくとも、彼女を裏切るような真似だけは絶対にしたくないという確信だけは、揺るぎなく胸の内に根を張っている。
一歩距離を取ると、ハオランはメイファを真っ直ぐに見据えた。
「俺のことは、もう諦めてくれ」
短く言い放ち、彼はそのまま踵を返す。振り返ることなく道場の方角へと歩き去っていくその背中に、メイファは追いすがる言葉を持たなかった。
砂埃の舞う道の真ん中に、一人取り残されたメイファは、しばらくの間立ち尽くしていた。握りしめた拳の中で、扇子の骨が微かに軋む。
「何よ、それ……」
震える声が、誰もいない空間に零れ落ちる。
「私が先に好きになったのに……なんで、あんな無愛想な女なんかを……」
瞳の縁に涙が滲み、視界が滲んで歪んでいく。長年抱き続けてきた想いを、たった数分の会話であっさりと突き放された屈辱と悲しみが、胸の奥から込み上げてきた。
奥歯を噛みしめ、涙を堪えながら、メイファは踵を返して馬車の方へと戻ろうとする。
その時だった。
ガシャン、という乾いた破砕音が、路地の奥から響いてきた。
驚いて足を止めたメイファは、涙の滲む目元を拭いながら音のした方角へと視線をやる。
物陰から覗くと、そこには苛立ちを隠そうともせずに何かに当たり散らしている、大柄な男の姿があった。
無精髭の生えた顎、乱雑に着崩された騎士団の制服。地面には、割れた酒瓶の破片が散らばっている。
「くそっ……! 小娘のくせに、俺に命令しやがって!!」
吐き捨てるように叫びながら、男は手にしていた空のワイン瓶を、再び勢いよく壁へと投げつけた。乾いた炸裂音と共に、ガラスの破片が四方に飛び散る。
「だ、大丈夫? そんなの投げたら危ないわよ」
反射的に声をかけてしまう。悲しみに沈んでいた思考が、目の前の乱暴な光景に一瞬引き戻された。男はぎろりとこちらを睨みつけ、苛立たしげに舌打ちをする。
「なんだ、嬢ちゃん。用がないなら帰んな」
低く唸るような声だった。だがメイファは、その言葉の端に引っかかりを覚える。
「小娘って……ルイナさんのこと?」
尋ねると、男の目に一層の怒りが灯った。
「他に誰がいるってんだ! 女のくせに、男の上に立ちやがって!!」
拳を握りしめ、男は吐き捨てるように続ける。
「あいつさえ来なきゃ、次期団長は俺だったのによ! 二十年以上勤めてきたってのに……!」
声には、長年積み重ねてきた鬱屈が滲んでいた。理不尽への怒りと、報われなかった自負心。
それらが混ざり合い、この男の胸の内で腐り落ちていく様が、なんとなく想像できた。
「そう……それは、お辛かったでしょうね」
呟くメイファの声には、先ほどまでの涙の名残がまだ僅かに滲んでいたが、瞳の奥には既に冷静な色が戻り始めていた。悲しみに濡れていたはずのその瞳が、すっと計算高い光を帯びていく。
ふふっ、と艶やかな笑みを浮かべながら、メイファは男へとゆっくり歩み寄った。乱れた裾を気にする素振りも見せず、その足取りには先ほどまでとは違う、しなやかな余裕が戻っている。
「私は、メイファ・シャオ。お名前を伺っても?」
問いかける声には、蜜のような甘さが含まれていた。男は警戒するように眉根を寄せながらも、ぶっきらぼうに答える。
「……ガレス・ウォン」
「ガレスさん」
その名を確かめるように口にしながら、メイファは扇子を開き、口元をそっと隠す。扇の陰から覗く瞳には、先ほどまでの涙などどこにも見当たらなかった。
「ふふ……貴方とは、良い協力関係が結べそうだわ」
ガレスは眉をひそめた。
初めて会ったはずなのに、この女はまるで昔から自分のことを知っているような口ぶりだった。
囁くようなその一言が、夕暮れの迫る路地裏に静かに溶けていった。割れたガラスの破片が、傾き始めた陽射しを受けて、鈍く赤い光を反射している。
それはまるで、これから始まろうとしている歪んだ企みの、最初の予兆であるかのようだった。




