始計(1)
続く叫び声。
そこでようやく、俺は我に返った。
これは、夢でも二日酔いでもない。
流れて流れて、乾いてしまった涙の跡を
袖でこすりながら、停滞していた理性を呼び戻す。
見えるのは、緑色の奇妙な月。
水たまりの羽虫——蛍のように光っている。
茂みにたわわに実った果実からは、肉の匂いがする。
扇風機のように長く伸びたその果実に、俺は違和感を覚えた。
「……」
俺はいったい、何をすればいいんだ?
細くなった呼吸を抑えられない。
素数でも数えようか、素数を数えて落ち着こうか。
いや、そうだ、『北極星』!
昔の人は北極星で方角を見つけたと言っていたな。
どんな辺境に落ちたとしても、北極星さえ見つけられればOK——
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見えない。
東西南北、どこを見ても見えない。
飛行機も、電気の痕跡も、工場の煤煙も。
心なしか月がさらに大きくなった気がする。
観測の成果といえば、時折赤い曲線を描く流れ星だけ。
流れ星が弧を描くたびに、俺の心も切り裂かれる。
異界の地に一人取り残された俺。
「はぁぁぁ——」
整理しよう。
異国情緒あふれる空、奇怪な植生。
——すべてのパズルが、たった一つの答えを指している。
ここは、
おそらく『異世界』らしい。
「くそ、そうか!」
ここに転生してしまったのだ。この少年の体に。
そうでなければとても理解できない。
そして俺はどういうわけか、この子の体に転生したようだ。
それが俺の結論、頼りないが最善の答えだ。
それにしてもこの声は何だろう。
動物か? いや、人間か?
気を取り直して、また警戒に集中しなければ——
やがて草をかき分ける音が続き、
現れたのは人の形だった。安堵のため息。
「大丈夫? やっと見つけた」
日本語ではなかったが、なぜか理解できる言語。
幸い、この少年に内在する言語能力が共有されているらしい。
森から出てきたのは——あの叫び声の正体は少女だった。
あちこちが細かく裂けた跡のある古びた衣服、
けれど繊細に見える布地で作られている。
ギリシャの石膏像のようにそれを纏った彼女は、両側に長く、まるでエルフのように菱形に尖った耳をしていた。
少女が近づいてくる。
美しい容姿に思わず唾を飲み込む。
見晴らしを強調する緑の光は、
彼女の長い脚と、柔らかな顔立ちを引き立てるのに申し分なかった。
やはりエルフがいるのか、この世界には?
沈黙をあっさりと拒んだ彼女は、
俺の目をまっすぐ見つめて言った。
彼女の顔は微妙な自信を漂わせている。
その勢いに俺は萎縮してしまった——捨てきれなかったニートの習性。
「あの、俺を呼んだんですか?」
口が勝手に動いて発話する。
なぜか彼女の言語で喋れてしまうことは、決しておかしくはない。俺は今、この子の体に憑りついているようなものだから。
喉仏の震え、これは失敗だ。
酔いはもう覚めているはずなのに、
地震でも起きたかのようなぎこちない返事、情けない選択肢。
そう、俺は人と正面から会話を交わしたことがほとんどなかったせいで、無意識に頭を下げて話してしまった。
失礼だったかもしれない。最初に良い印象を与えたほうが良かったのに。
「何言ってるの、オルテ。らしくないよ——」
「まさかさっきのことでまだ怒ってるの?」
『オルテ』——それが、俺の名前らしい。
知り合いか? 西洋風の名前、いや、もしかしたら愛称かもしれないし、とりあえずあらゆる可能性に耳を傾けておこう。
遠慮なく話しかけてくるところを見ると、少なくとも友達以上の関係のようだ——いや、この世界の文化はまた違うかもしれない。
ああ、めまいがする——
そうだ、ここは異世界。何があっても不思議ではない。
信じがたいことが、そのすべてがどっと起こるのだから。
豪華な城も、魔法も、ドラゴンもあるだろう。
新しい体をうまく鍛えれば、イケメン生活ができるかもしれない。
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無意識のうちに敵意をにじませてしまったのか、
腹の底を見透かされてしまったのかはわからないが、
彼女の表情が不機嫌そうになった。
チッ——という、愛情の混じった不満げな音。
まだ幼い年齢——どうやら十代くらいの年頃らしい。
彼女の左手には木で作ったおもちゃが握られており、
反対の手には革か何かで作った袋が握られていた。
また笑みを浮かべる彼女。
青春だな。俺の十代は戦国時代と三国志まみれだったのに。
彼女の外見から察するに、俺はそれよりもさらに幼い子供らしい。
「オルテ、早く帰ろう」
すぐに近寄ってきて——俺の手を引いた彼女は、俺を草むらへと引っ張っていった。
柔らかい、女の子の手はこんなに温かくて心地いいものなのか?
俺は黙ってついていくことにした。
疑問はひとまず胸の中にしまっておこう。
影に包まれた草むらは、見た目より長くはなかった。
だいたい3分ほど歩くと森を抜けることができ、
その外には広い野原が広がっていた。
野原はすべて農地になっていて、その果実は親指のような形をしていて、しわが寄っており、ぶどうやブルーベリーを連想させる。
野原を横切る石造りの道には、まばらに雑草が生えていたが、とても平坦で———森とは違って歩きやすかった。
「ところで、どこに行くんですか?」
勇気を出して彼女に尋ねた。
「ん? もうすぐ『ゴランセ』があるから、早く家に帰らなきゃ」
ゴランセ——?
どう聞けばいいだろうか、あまりにとぼけすぎると誤解を招くかもしれない。近くに手がかりになりそうなものが何もないせいで、ひどく困ってしまった。
「その、」
「ん? 何?」
「ゴランセって、どういう?」
正攻法を使うしかないか。
「えっ? ええと——」
考え込む彼女。
手を顎に当てて、独り言で何かをつぶやく。
「ねえ、前に話したこと覚えてる?」
彼女は前を見つめながら尋ねた。
「前に、って?」
「うん、前に空から赤いドラゴンたちが降りてきた話をしてあげたじゃない? ゴランセは、彼らが降りてきた日から10日目を記念するお祭りなの」
なるほど、祭りか。
この世界の人たちはドラゴンを崇めているのだろうか。それにしても特殊だな、
東洋の龍とは違って、西洋のドラゴンはほとんどが怪物の姿をしているのに——
「あ、そうだったんですね〜」
しれっと答えてみる。ああああ、気まずい。
「それで、俺たちはお祭りが開かれる場所に行くんですか?」
楽しみだな、これ。異世界の祭りってどんな感じなんだろう?
とうもろこしやたこ焼き——があるはずもないよな(笑)
もしかしたらパレードがあるかも! 綺麗な踊り子がたくさんいたらいいな——
久しぶりに胸が熱くなる。オタクの心が高揚する!
俺は高校以来、祭りの経験が皆無だから……
——悲しい過去は忘れておこう。
それにしても祭りか。
日本の祭りもそうだが、世界の祭りは大抵豊穣を祈願する行事だ。
アメリカには感謝祭があり、中国には中秋節がある。
それもそのはず、農耕社会において最も重要な要素は『天気』だからだ。どれだけ良い畑を耕し、良い種を植えても、雨が降らなかったり、逆に降りすぎたりすれば、すべてが無駄になってしまうから——
しかし天災に人間が立ち向かうことはできない。
あらゆることに因果律を求めたがる我々人間は、
それぞれの神経症を天気に『投影』し始めた。
——そうして『伝説』や『幽霊』の類が世界中に現れ始めた。現代では祭りのように楽しく喜ばしいものになったが、昔はそれがかなり残酷で、『カニバリズム』や『殉葬』のような悪習がはびこっていたという。
そしてそれを打ち破ったのが『普遍宗教』、すなわちキリスト教、仏教、イスラム教などだ。しかも宗教は一種の『法』として機能し、社会の安定を維持する重要な要素でもあった。
異世界の宗教についてはよくわからないが、はるか昔でなければ宗教が重要な位置にあるはずだ。知識や軍事も宗教と密接だろうし、それなら——
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「オルテ、遅い!!!」
彼女の雷——
あああっ!! もうこんなに離れてしまった!
はぁぁぁ(ため息)、俺はいつも興奮すると一人取り残されるんだよな……だから友達がいなかったんだ。つらい、人生。
「ついていきます! 綺麗なお姉さん!」
俺は拍車をかけて彼女に追いつこうとする。
息が切れる。しかし俺を支配しているのは、
新しい世界、新しい人生への高揚感。
二度と、二度と過去の痛切な過ちを繰り返さないという、
あの日光に飲み込まれた、遠い昔に交わした誓いを俺は再び思い出す。
「綺麗なお姉さんって? ぷっ、そんな言葉どこで覚えたのよ」
「プルネお姉ちゃんでいいから、家族同士で変な雰囲気作らないで」
やはり血縁か。実の姉か。よかった。無駄な心配をしたな。
「くくく、わかったよ姉さん」
精神的には30を超えたおっさんが十代のガキに「姉さん」と馴れ馴れしく呼ぶのは悪趣味だが、仕方ない。
前世では一人っ子だったが、今は兄弟がいて嬉しいものだな——
必ず仲良くなって、姉のことを、この世界のことを全部知ってやろう。
叶わなかった夢。
いや、叶えられなかった夢のために——
今のこの感覚を俺は絶対に忘れない。
新しい肉体に宿ったこの感覚を。
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