ヴォイグ
元伝書使
(食料品店を出た私は、さてどうやって帰ろうかという、きわめて現実的な問題に直面していた。昼間なら人通りも多い街区だが、この時間ともなると人影はまばらだ。有り体に言えば、女の一人歩きは正気を疑われてもおかしくない状況。
当然ながら、乗合馬車も見つからない。私の身体的特徴を指して「コートの前を閉めてフードをしっかりとかぶり、うつむき気味に歩けば、男にしか見えない」とは、よく言われることではあるのだが。
そのノウハウに対する個人的な感想はともかく、今はどうやらそれに頼るしかない。そうやって覚悟を決めて、最寄りの十字路を目指して歩き始めた次の瞬間、私の意識は途切れた。
やがて猛烈な頭痛に苦しみながら意識を取り戻した私は、素早くパニックに陥った。視界が完全に塞がれている。体を動かそうとしても、身動きひとつとれない。落ち着こうとして深呼吸を試みたが、犬のように浅い呼吸を繰り返すばかり)
意識を取り戻したようです。
わかった。俺が尋問する。
(けれど、そんなやりとりを聞いた私は、自分でも可笑しくなるくらい、素早く落ち着きを取り戻していた。
少なくとも、尋問の時間は設定されている。このまま街外れのプレツェン湖にドボンということには、ならないようだ。時間の問題かもしれないが)
あなたに、聞きたいことがある。
非協力的な態度を示す場合、こちらにはその態度を改めさせる手段と知識、そして経験を豊富に有しているということを、理解頂きたい。
あなたが生きてここを出られるかどうかは、あなたがどれくらい協力的であるかどうかで、決まる。度を超えて非協力的であった場合、あなたは穏やかな死を求めて我々に情報を提供することになるだろう。
ここまでが、あなたの置かれた現状だ。把握できただろうか?
(実に理路整然とした説明だ。私は小さく頷く)
よろしい。では最初の、そして最も重要な質問だ。
君が追う、伝説の女伝書使……つまりアーシェのことだが、彼女はいま、どこにいる? 教えてもらおう。
(さて、ひとつ目から厄介な質問だ。
だが状況的に、素直に答えるしかないだろう)
「伝書使アーシェの行方は、私も掴めていません。
ですが、絞り込むことはできました。
すべての調査が予想通りに進めば、3ヶ月以内に確定させられると踏んでいます」
(「嘘をつくな!」という罵声があがったが、尋問役の男はそれを素早く遮った)
随分と具体的な予測だな。
では、あなたの予想を聞こう。アーシェは、どこにいる?
(完全に奪われた視界――おそらくは麻袋か何かを被せられている――の中で、私は固く目を閉じ、深呼吸する。
ここを、譲ることは、できない)
「お答えできません。
答えても、私の予測が正しければ、あなた方には意味のない情報だからです。
そしてまた、その予測をこの場で口にすれば、結局のところ、私は死にます。
それも、皆様が用意しているであろう苦痛と、同等の苦痛の末に」
(周囲に怒りの気が満ちた。
私は奥歯を噛み締め、来たるべく苦痛を待ち受ける。
尋問役が十分に賢明であれば、私がきちんと「要望に答えた」ことが分かってもらえる筈だが……)
そうか。では次の質問だ。
(怒りに満ちていた空気が、一瞬で困惑へと置き換わったのを感じる。
私は、己の幸運を深く感謝した。この尋問役は、頭が切れる。
そしてそれだけに、油断はできない。絶対に)
おい、ヴォイグ! なぜこの女にちゃんと吐かせない?
(――と、意識を集中させていたところに、実にマヌケな合いの手が入った。
わたしは内心で「しめた」と喝采を叫ぶ。
案の定、尋問係は大きなため息をついた)
……お嬢さん。
申し訳ないが、あなたを生かして外に出す選択肢が、なくなりつつある。
だが俺の身内のミスが原因で、あなたが死ぬというのは、アンフェアだろう。
そこで、だ。
さっきのあなたの証言を、もう少しだけ噛み砕いて、繰り返してくれないか。
取引としては、悪くないと思うが?
(……なるほど。ヴォイグ氏も、なかなかしたたかだ。そして実に、ありがたい提案だ。
私はわざとらしくため息をついてから、説明をする)
「伝説の女伝書使は、一般にはアーシュと伝わっています。
そのほうが、レインラント語として発音しやすいからです。
ここでわざわざ発音しにくい〈アーシェ〉を選ぶのは、学者か戸籍役人くらいでしょう。ですが皆様はもちろん、そのどちらでもないですよね?
となると答えはひとつ、流浪民の言葉で〈アーシェ〉を発音した。
ゆえに、皆様は元伝書使であると考えられる」
「つまりヴォイグさんは私に、これが元伝書使からの尋問であることを、暗に示してくださっていました。だから正直に喋れ、と。
ここまで、よろしいですか?」
(周囲の空気が、また何とも言えない雰囲気に染まる。
ヴォイグ氏は苦笑しながら、次を促す)
「アーシェがどこにいると、私が予測しているのか。
この予測を具体的に明言してしまえば、私はおしまいです。
皆様の拷問の腕前を侮りたいわけではないですが、私が取引する相手には、〈革命軍の怪物〉を呼び出す権力を持っている人物が、複数人います」
(「ああ」という誰かの呟きが、聞こえた。
〈怪物〉の名は、元伝書使の間でも、十分に嫌悪と畏怖をもって通用するらしい)
「ですが、皆様が元伝書使であるならば、具体的でない形で、答える方法もある。
つまり、元伝書使では辿りつけない場所だ、という言い方です。そういう言い方でしたら、ご想像頂けますか?」
(周囲に軽い困惑と、それから理解の空気が流れ始めた。
万能と言って差し支えない伝書使だが、現状の彼ら――より正確に言えば「二等市民」には、辿りつけない場所がある。それは、レインラント国外だ。
二等市民に対しては、現状、国外旅行用の旅券が発行されない。
ゆえに彼らが国外に出たければ、彼らのスポンサーを頼るしかない。
そして、詳しい理論構造は省略するが、彼らのスポンサーがそれを許すことは、まず考えられない)
我ら〈黒狼〉を甘く見るなよ、女!
我々の同志には、自由に国外へと出られる者もいる!
(先ほど尋問役の名前を教えてくれた声が、またしても素晴らしい情報をプレゼントしてくれた。
だがこれ以上は、さすがに私の命に関わる。
やむなく、私はヴォイグ氏に「おねがい」をすることにした)
「ヴォイグさん。あなたが必要とする情報を1つ、包み隠さず、的確にお伝えします。駆け引きも、暗示もなしに。
ですので、申し訳ないのですが――」
(ヴォイグ氏はため息をつきながら、立ち上がったようだ)
ヤノーシュ。今すぐこの部屋を出ろ。
出ないなら、今夜はもう絶対に口を開かないと誓え。
お前は、このお嬢さんに情報を渡しすぎている。
俺の名前を明らかにしたと思えば、次は〈黒狼〉の名を、挙句の果てに正式な市民権を持った伝書使が俺たちの仲間にいることを暴露するとは!
お前は、この尋問を難しくし続けている。それが理解できたら、部屋を出るか、沈黙の誓いを立てろ。さあ、どちらだ!
――沈黙を、誓う。
わかった。これでいいか?
(私は深々と頷く。
とりあえずこれで、互いに交渉がしやすくなった。
しかるに、場が整ったところで、先制の一撃をぶちかます。何事も先手必勝だ)
「アレンカ・マーショヴァー女史は、皆様の仲間だったんですね」
(ほとんど、ハッタリに近い。
元伝書使の全員が、二等市民なわけではない。
だが二等市民でない元伝書使は、数えるほどしかいない。
アレンカは、そのレアケースだ。賭ける価値はある)
……君とアレンカの関係は?
(ヴォイグ氏の声が、わずかに動揺している。
我、奇襲に成功せり)
「アレンカ女史は――そうですね、友人? でしょうか。
女史とお会いしたことがあるのですが、私のファンだそうです」
(ヴォイグ氏は、しばらく黙りこんだ。
おそらくは、作戦に大幅な変更を求められている。
私を殺したり、あるいは大怪我をさせただけでも、アレンカが彼らの「同志」から離脱する可能性がある……とでも、考えているのだろう。私から得られる情報と、アレンカの存在。ヴォイグ氏の中で、その2つの価値が天秤のように揺れているのを、感じる)
やれやれ……やれやれ、としか言えんな。
あなたはまったくもって、恐れ知らずで、尊大で、油断ならない人間だ。
あなたと長く関われば関わるほど、俺は不利へと追い込まれていく。
だから、君のお慈悲にすがるとしよう。
先ほどの約束通り、質問を1つする。正確に、答えてほしい。
(どうも私はあちこちで「尊大だ」と言われるのだが、そこまで尊大だろうか?
……などと思いつつ、麻袋の中で私は頷く)
君は、誰のためにこんなことをしている?
オシェナーチェク老か? オンドルフ参謀本部長か? それともクリムコヴァ大統領なのか?
あるいはやはり、軍上層部の指示なのか?
(――実に、良い質問だ。ヴォイグ氏は、とても鋭い。
その問いは、〈わたし〉のすべてを、貫く問いだ。
感動のあまり、私は思わず賞賛の言葉を口にしていた)
「素晴らしい問いです、ヴォイグさん。
私は人に話しを聞き、それを文書にするのが生業ですが、今の問いかけほど見事な質問ができたことは、一度もありません」
(ヴォイグ氏が、軽く笑う声が聞こえる。
が、その笑いは、私の言葉と同時に凍りついた)
「私は、伝書使アーシェのために、動いています。
それ以外の利害など、知ったことではありません」
(長い沈黙が落ちた。
ヴォイグ氏は、何度も口を開きかけ、そのたびに口を閉じているようだ。
彼の不規則な息遣いが、静かな室内に響いている。
やがて、腸の奥からひねり出すような声が、彼の口から漏れた)
それが真実であることを、君は誓えるか?
(私はクスリと笑って、彼の勇み足を咎める)
「誓えますが、手が縛られたままでは無理です」
(ヴォイグ氏は深く息をつくと、立ち上がったようだ。
すぐに、私を縛っていた縄が、切り裂かれる。
私は、自由になった両手を軽く振って、血行を確かめた)
両手は自由にした。誓ってみせろ。
(緊迫感を孕んだ声で、ヴォイグ氏がせかす。
私はその声に対して正面を向けながら、誓った)
「我らの名誉に賭けて、誓います」
(伝書使のみが知る言語に、伝書使のみが知るハンドサインを添えた、誓いの儀式。
再び、長い沈黙が落ちた。
私にとってこれは、最後の賭けだ。
大きく賭けたぶん、大きく負ける可能性もある。
最悪、この誓いがゆえに、私は死ぬだろう。
だがそれでも、ここで退くことだけは、できない)
(その沈黙は、10分ほど続いただろうか。
それとも、実際には数秒だっただろうか。
突然、頭から麻袋が取り去られた。
薄暗い室内に、剣呑な雰囲気を漂わせた、数人の男たちが並んでいる。
やがて、中央に立っていた男――ヴォイグ氏が、口を開いた)
誓いを受け取った。
無事の帰還おめでとう、伝書使リュシール。




