姓名不明
所属不明
(かつてザートペク軍曹に話を聞いた酒場の、奥の部屋でミコラーシュ大将の仕事を片付けていたら、突然、外が騒がしくなった。また喧嘩かと思ったが、歓声と歓呼、乾杯の声が繰り返される。
ここまで騒がしいと、仕事にならない。インタビューしていたヘルヴェル少尉殿も、苦笑いしている。私も諦め半分、「続きは明日でもよろしいですか?」と切りだろうとした。
が、バタンと大きな音をたてて扉が開くと、「奥の部屋」に堂々とした偉丈夫が入ってきた。エルシュペー伯だ。なるほど、外の騒ぎはそういうことか。
彼は私の姿を認めると、大股で歩を進め、私の隣にドカリと座った)
邪魔をする。ああ、構わず、仕事を続けたまえ。
女給! ビールをもらおう!
(私は呆れながら、エルシュペー伯に声をかける)
「閣下。失礼ながら、閣下の御前で聞き取り調査を続けるというのは、不可能です。そもそもこの調査は、軍上層部には匿名で伝達されることが大前提です」
(エルシュペー伯は、つまらんとばかりに鼻で笑う)
匿名でなくては述べられぬ意見など、意見とは言わん。
仮にも国軍に身をおきながら、己の所属と階級、本名を口にできぬ兵士など、密偵とかわらんだろう。そう思わないか、ヘルヴェル少尉?
(突然、水を向けられた少尉殿は、その言葉の苛烈さに怯むのと同時に、エルシュペー伯が自分の名を知っていたという驚きに、大混乱していた。だが数秒のうちに、その混乱は、歓喜へと置き換わる)
こ、光栄です、トーレス中将閣下!
自分ごときの名を覚えて頂けているとは、身に余る――
(エルシュペー伯はニヤリと笑うと、女給が持ってきたジョッキを受け取る。
ちなみに、伯爵に給仕するというのに、女給さんにはまったくビビっている様子がない。この女給さん、相当肝が太いのだろう)
君にはシュヴァルバッハの戦いで世話になったからな。
君が指揮する小隊があの十字路を死守していなければ、我々黒騎兵隊は全滅を余儀なくされたかもしれん。
あのときは、諸君らにねぎらいの酒を届けることすらできなかった。だからというわけではないが、今、感謝の言葉を贈らせてくれ。
よく、戦った。諸君らは、我々を救ってくれた。
諸君らの奮闘と、倒れていった戦友のために、乾杯。
(エルシュペー伯がジョッキを掲げると、慌ててヘルヴェル少尉も自分のグラスを手にとった。ヘルヴェル少尉は周囲の目も憚らずに男泣きしていて、周囲の古参軍人たちもそれを暖かく見守っていた。
なんというか――私としては、実に居心地が悪い)
さて、私からは以上だ。仕事を続けてくれて構わんぞ?
(私は感動に打ち震えているヘルヴェル少尉と、おそろしく真面目な顔でジョッキを傾けるエルシュペー伯を、交互に見る。
後者を見る視線が険しくなりがちなのは、必然と言えるだろう)
「いえ。出会うべき戦友がたが、ついに再会できた夜です。
これ以上の仕事など、無粋というものでしょう」
(私の恨み言を聞いたエルシュペー伯は、軽く肩をすくめる)
そうか。お前はそういうところが、気が効いて助かる。
(そう言いつつ、伯は封筒をテーブルの上に差し出した。
こういう演出をするか! と憤慨しつつも、私は艶やかに笑って、封筒をハンドバッグに滑り込ませる)
「では、私はこれで失礼します。
戦友同志……いえ男同志、つのるお話もございましょう?
部外者は早々に退散いたします」
すまんな。では、また後で。
(席を立った私は、迅速に奥部屋を後にする。
いつの間にか私には、エルシュペー伯の最新の愛人だという噂がつきまとっている。出処は明らかだ。
私は後手に回った迂闊さを呪いながら、同業者に噂の真偽を確認されるたびに全否定している。エルシュペー伯も、噂をはっきりと肯定することはないそうだ。
だが伯本人が「コイツは俺の女だ」という態度を公衆の面前で取り続ける限り、言葉で何を言ってもどうにもならない。いや、もしかしたら伯なりに、私を守ろうとしているのかもしれないが……。
ともあれ、伯の配慮には、乗っておくべきだ。
私は店を出たところで、安全そうな裏路地に入り、もらった封筒の中身を確認する。案の定、そこには住所と時間、そして合言葉が記載されていた。
内容を確認した私は、封筒ごと書面を焼き捨て、指定された場所へと急ぐ。
20分ほどで指定の場所に到着した私は、御者にいくばくか握らせて30分ほど周辺を流してもらった後、再び指定の場所にたどり着いた。いやその、別に尾行を恐れたとか、そういう上等な理由ではない。ただ単に、指定の場所が食料品店前(しかも当然のように閉店)だったため、他にどうしようもなかっただけだ。
食料品店前で待つこと5分ほどで、花売りの少女が近づいてきた。小銭を与えて追い払おうかと思ったが、彼女が手に持つ花束に使われている花の名前の頭文字を組み替えると指定された合言葉になることに気づいた私は、花束ごと買い取る。少女は「嬉しそうな顔」で礼を言うと、食料品店のドアを開け、店の中に入っていった。
一瞬、悩んだが、私もその後を追った。明かりの消えた店内に入ると、地下に続く階段の奥にランプの光が揺らめいているのが見えたので、覚悟を決めて階段を降りる。
階段を降りた先、少し廊下を歩くと、分厚い木のドアがあり、その上でランプが不安げな光を放っていた。私はひとつ深呼吸してから、そのドアを開ける。地下室の中は真っ暗だったが、確かにそこには人の気配があった)
……なるほど。エルシュペー伯がお認めになられるだけのことはある。
あなたは、ただのブンヤというわけでは、なさそうだ。
そのあたりに、椅子があるはずだ。良ければ、使ってほしい。
(私は軽く頷くと、漆黒の闇を手探りする。椅子の背もたれらしきものを見つけたので、方向を確認してから、席についた。座り心地はとても良く、かなり高級な椅子であろうと思われた)
さて、ほかならぬエルシュペー伯の頼みだ。
2つだけ、質問にお答えしよう。何が聞きたいかな?
(闇の奥から響いてくる声は、老年の男性を思わせた。
――そこまで思って、私は頭を振る。今、確実に言えるのは、闇の奥の声の主が、エルシュペー伯に借りがあるということ、それだけだ。
だから質問するとすれば、そのこと以外を前提にしてはならない。
いくつかの問いが、脳裏によぎった。
だが私は、エルシュペー伯の誘導に乗ることにする)
「では最初に、あなたの所属と階級を教えて下さい。
ご本名は、伺えないようであれば、結構です」
(闇の奥で、苦笑いする声が聞こえた。
どうやら、正解だ)
悪いが、それには答えられない。
なるほど――エルシュペー伯は相変わらず、変人を見つけてくるものだ。変人で、勇敢で、頭が切れるが、本質的に言えば馬鹿者。実に、伯らしい人選だ。
いいだろう。私も一歩、譲歩しよう。
君は、何が目的だ? それに応じて、私に提供できる情報を、提供しよう。
(これはまた、あまり性質の良くない取引だ。
闇の中の人物が誠実かつ有能な人間でない限り、私は情報の渡し損になる――つまり、私が何を求めているのかという情報だけを、渡すことになる。
だが、誠実かどうかはともかく、有能であることは、疑う必要はなさそうだ。なにしろ、あのエルシュペー伯が推薦する人物なのだから)
「私は、ある伝書使の行方を追っています。
革命戦争と、革命継承戦争において幾多の武勲を打ち立てた、伝説の女伝書使の、行方です」
(闇の中の人物は、驚いたと言わんばかりに、しばし沈黙した。
この反応には、慣れっこだ。かの女伝書使の行方という話題は、一般的に言えば、先帝陛下の隠し財産伝説とワンセットになった、下世話な話題にすぎない)
……ふむ。君は――いや、失礼。質問に答えてもらったのだ。
今度は私が、君に情報を提供する番だな。
では、件の伝書使の話をしよう。
彼女は類まれな才能を持った人物だった。超人としか言いようがないほどに。
君は、彼女の伝説の、何に惹かれたのかね?
革命軍によって包囲されたウルム要塞への侵入? 「不死の死神」を手玉に取った「ヘデガルド村の幽霊」の一件? それとも「革命軍の怪物」を精神的に崩壊させた伝説か? まさか、先帝陛下の隠し財産などといったゴシップではあるまい?
(少し長めの沈黙が落ちた。
正直な解答が期待されていると悟った私は、なるべく無難な言葉を選ぶ。
無難な言葉で――この問題の、核心を突く。
きらびやかな伝説や、隠し財産といった欲望のベールを剥ぎとった、おそろしくシンプルな核心を)
「任務達成回数です。
彼女の任務達成回数は、100回を越えています。
かの戦争が7年間であったことを考えると、100回という数字は、純粋に異常です。1年あたり14件ということは、1ヶ月に1件以上、こなしている計算ですから」
(闇の中の声は、虚を突かれたと言わんばかりに、押し黙った。
少しして、うろたえたかのような声が、地下室に響く)
では君は、かの女伝書使は、実在しなかった――ないし記録に偽造があった、とでも言いたいのかね?
「いいえ。そのどちらも、疑っていません。
様々な証言から、かの伝書使が規格外に優秀であったというのは、事実と考えるべきです。また、伝書使の軍務記録のような、最高級の軍機密に属しうる情報を、そう簡単に偽造できるとは思えません。
とすれば、彼女であれば短期間で確実に達成できる任務が、頻繁に発生していたという状況が、かの記録には必須です。例えばですが、敵陣深くに侵入するような伝令任務や、長距離の偵察任務といった、危険度も高ければ時間もかかる任務よりも、比較的安全な、ほぼメッセンジャーとでも言うべき任務が多かったのではないか、と。
ですがこれは、現状、彼女に関して語られる華やかな伝説に比べると、いささか地味と言わざるを得ません」
(ひとつ、深呼吸する。
慌てないように。焦らないように)
「そしてこれこそが、私の興味の中心です。
真実の彼女は、どちらにあったのか?」
(闇の中の声は、またしてもしばし沈黙した)
……驚いたな。そして、見事だ。
なるほど、エルシュペー伯が送り込んでくるだけのことはある。
これは、敗北を認めざるを得んな。
彼女の任務回数が異常に多いのは、君が推測する通り、メッセンジャー任務が原因だ。比較的短距離のメッセンジャーを何度も務めたことで、彼女の任務達成回数は跳ね上がった。
普通はその手のメッセンジャー任務は、伝書使内部でローテーションさせるのだが、彼女は先帝陛下のお気に入りでね。陛下自ら、個人的な手紙を、彼女に託していたのだ。
私は、先帝陛下がしたためた個人的な手紙を、彼女に渡すのが仕事だった。
それだけの、はずだった。
だが先帝陛下自ら、「任務達成100回を賞して特別褒章を出す」と言い出した段階で、これはマズいという話になった。こんな目立つ褒章を出せば、彼女は当然、嫉妬される。そうすれば、彼女が何をしてきたのかを、事細かに探る連中も出てくる。
そのときになって、「皇帝が私用の手紙を出す、その郵便配達人として、当代最高の伝書使を使っていました」などという事実が発覚しては、目も当てられない。特に、貴族系の軍人たちが誇りとしていた王室に対する敬意と忠誠など、粉微塵になってしまうだろう。
革命継承戦争が、かろうじてレインラントの辛勝か、痛み分けかというラインで決着しようとしているときのことだ。この段階で、苦しい戦争の最後を支えた貴族系軍人たちにそっぽを向かれたら、レインラント共和国における「先帝」の地位は、最悪、犯罪者と変わらなくなる。
だから私は、彼女の打ち立ててきた武勲を誇張し、生ける伝説とすることを提案した。
彼女は、特に誇張するまでもなく、超人的な活躍をしてきた。とはいえ、伝書使という仕事の性質上、その成果は、素人目には地味に見える。
そこを、あたかも御伽話のように、派手に演出することにした。そして、そのような超人であればこそ、任務達成100回という偉大な記録に到達した――そういう物語を、提案したのだ。
私の提案は受け入れられ、私を中心として、彼女の偉業を「つくり上げる」作業が始まった。
幸い、私が作った物語は、上手く機能した。もちろん彼女は嫉妬の目で見られ、その手の暇な貴族どもによって任務実績を調査されたが、連中が調べたのは「巷に新たに流布した伝説の真偽」ばかりだった。
だが一番目立つ伝説群は、どれもこれも、真実だ。ゆえに、彼女の任務の大半を占める、「皇帝陛下の郵便配達人」は、注目されなかった。「こんな非常識な任務を成し遂げる人物が、皇帝陛下から直接メッセンジャーとしての任務を託されるのだから、同じくらいに重要かつ危険な任務に違いない」という仕組みだ。
つまり私は、「皇帝がその地位を濫用して、有能な人物を私用で酷使した」という事実を、「歴史的なレベルの超人に、皇帝自らが危険な任務を託し続けた」という物語で、覆い隠すことに成功したのだ。
だが君は、私の偽装を見破った。
改めて言わせてもらおう。見事だ。
君に対しては、包み隠さず真実を話そう。
いや、恐縮する必要はない。敗者にとって、これは当然のことだ。
(闇の中の声は、ここで再び口を閉ざしたようだった。
喉が渇いたのか、水を飲む音がする。
しばらくして、声は先を続けた)
かの女伝書使が、ビューラー先帝陛下の手紙を運んだ先は、ヴージェ皇国だ。
皇国には、先帝陛下と恋仲であったと噂される人物、すなわちアグノー侯ミレーユがいる。ヴージェ皇国と戦争をしていたにも関わらず、先帝陛下はアグノー侯と私的な手紙のやりとりをしていたのだ。
私も、手紙の内容までは知らない。
だが、男が、惚れた女に出す手紙だ。内容の想像は、簡単にできる。
無論、その内容の如何に関わらず、かの女伝書使が偉業を成し遂げ続けたというのは、間違いない。
なにしろレインラントからヴージェまで、無数の偵察隊が走り回る前線をくぐり抜け、敵国内部を浸透し、監視もいれば護衛もついているヴージェ貴族のもとを訪れ、返信を受け取るまで待機するのだ。
帰り道は、もっと危険だ。ヴージェの貴族が書いた手紙を持ってレインラント国内を移動することになるのだからな。レインラント革命軍に荷物を改められたら、学のない彼らは、スパイとして彼女をその場で処刑しただろう。
そんな危険な任務の果てに行われていたのが恋文の往復とは、滑稽にもほどがある。
戦時中もそうだったが、この先帝陛下の企みの一翼を担わされた身としては、未だに恥ずかしさと怒りがこみ上げる。
だが、これが王権なのだよ。
これが、王制というものだ。
共和制でレインラントが良くなったとは、決して思わない。だが少なくとも、国家の至宝ともいえる異能を、恋人たちの文通に使うような、そんな不合理は起こらない――そう、信じたいものだ。
(それから少し、沈黙があった。
だがこれで話が終わりだという気配も、なかった。
案の定、闇の向こうからの声は、続いた)
……私は、嫌だったんだ。
恋人との文通に伝書使を使う先帝陛下に、疑問を抱いた。
これでは王権を損ねかねないと、本気で危惧もした。
だがそれより――彼女が成し遂げた偉業のことを「恋文の配達人でしかなかった」などと、軽んじられたくなかった。
だからこそ、言わねばならないことがある。
先帝陛下の隠し財産など、ありはしない。
絶対に、だ。
なぜなら、その噂を世にばらまいたのも、この私なのだから。
帝国が共和国になり、これまでの締め付けが緩めば、彼女が実質的に求められた任務の正体が明るみにでる可能性も高まる。
それを避けるためには、彼女が先帝陛下に託された任務が、帝室の行く末に関わるような、重大なものであったことにすればいい。
大きな物語を前にした人間は、その大きな物語が、小さな物語すべてに通底すると信じるのだ。
むしろ、私のほうが知りたいのだよ。
結果的に最後の出撃となったときも、私はいつものように、彼女に伝書筒を渡した。
今までと何も変わらない、ただの伝書筒だ。
ヴージェとの戦争は終わっていて、西方国境に危険はなかった。
無論、野盗の類に遅れを取る彼女ではない。
にも関わらず、彼女は帰らなかった。
いったい、彼女に何があったのか?
彼女は、どこに行ってしまったんだ?
(闇の中の声は、いつしか奇妙な熱を帯びていた。
そしてようやく私は、彼――ほぼ間違いなく男性――が、ここまで壮大かつ緻密な虚構を作り上げた理由を、理解した。
だが、それを彼に指摘するのは、私の仕事ではない。
私は静かに席を立つと、闇の向こうに一礼し、地下室を離れた)




