デニス・ミコラーシュ/エルシュペー伯トーレス
(アレンカと名乗る女性に試されたその週末、私はミコラーシュ大将へのレポート提出にかこつけて、エルシュペー伯への面会を取り持ってもらえないかと相談してみた。
私のただならぬ様子に、何かが起こったことを察した大将閣下は、薄笑いしながら「後で連絡しよう」と約束してくれた。
そしてその翌日、大将閣下に例のレストランに呼び出された私は、エルシュペー伯とミコラーシュ大将が並んで酒を酌み交わす席に招かれることになった。一瞬怯んだが、この程度でビビっていられる状況ではない。
私は席に座ると、まずはお決まりの挨拶をしようとする。それをエルシュペー伯が遮った)
面倒な社交辞令は抜きだ。
君とは執務室で一夜を共にした仲ではないか?
(ミコラーシュ大将が少し目を見開き、私と伯を交互に見た。
意図的な誤解というか、軽いジョークだが、面倒なので適当に笑って流すことにする)
まあ、いい。どうやらケツに火がついたようだが、私に何が聞きたい?
知っているとは思うが、諸君らのような情報戦は、苦手だ。
話を聞くなら、大将閣下のほうが適任ではなかったのかね?
(私は小さく頭を振って、エルシュペー伯に向き直る)
「マーショヴァー家について、いくつか確認したいことがございます」
(そう言っただけで、大将閣下も伯も、小さく「ああ」と呟いた。
やはり、マーショヴァー家には何かある。
アレンカ・マーショヴァーの来訪を受けて、マーショヴァー家について急いで調べてみたはいいが、いち市民が調べても、肝心の点については何も出てこなかったのだ)
「マーショヴァー卿は、エルシュペー伯の部下であられた。
これは間違いないですね?」
ああ。デトレフは勇敢な戦士だった。
騎兵を指揮するセンスで言えば、私より上だったろう。
「マーショヴァー卿はアルツェイの戦いで戦死なされ、奥方もその直後に亡くなられた。
マーショヴァー家には嫡男がいなかった。革命継承戦争のゴタゴタもあって、いくつかの分家に分かれたマーショヴァー家は、事実上、断絶した状態にある。
ここまでも、間違いないですね?」
よく調べたものだ。
マーショヴァー家の分裂は、それはもう、醜いものだった。
デトレフは高潔、その奥方はガラス細工のように可憐で清楚だったが、その親族にはゴロツキどもしかいなかったよ。相続を巡って、少なからぬ血も流れた。
最後は私が直接相続会議に出向いて、これ以上ゴタゴタを続けるなら、この場に参謀本部長をお呼びすることになるぞと脅したよ。
そこまで言って、ようやく話がまとまった。連中のやっていることは、恐喝、傷害、誘拐、殺人と、目立ったところだけを数えても一発で絞首刑だ。参謀本部長は喜んで全員を収監して、家財のすべてを差し押さえただろうからな。
だが、ちょっとばかり脅しすぎた。おかげでこの件については沈黙すべしというのが、社交界での常識になってしまった。
もともと、醜聞としか言いようのないゴタゴタだ。元貴族としても、自分たちの身内にあんな連中がいるなどとは、公言したくない。
そして揉め事を起こしていた張本人どもは、これ以上話が外に漏れたら、警察が一個大隊飛んできて、みんなで仲良く縄にぶら下がることになるということを、強く意識した。それはもう、とても強く、な。
(「伯が参謀本部長まで持ちだして脅したら、誰だってそうなるさ」とはミコラーシュ大将。私も激しく同感だ)
ハン、脅されて頭を下げるくらいなら、最初から争わねばいい。
争うなら、最後まで戦えというのだ。
その程度の気概もなく、権力と暴力を玩具がわりに振り回すような輩が、勇猛をもって鳴るマーショヴァー家の継承権を主張するとは! あの世でデトレフがさぞ嘆いているだろうよ。
(私はグラスに注がれた赤ワイン――例の赤だ――を一口飲んでから、本丸に突入する)
「ですがマーショヴァー家には、正式な継承権を持つ方がおられたのでは?
長女であるアレンカ・マーショヴァー嬢は、いまもご存命なはずです」
(そう。書類を調べた範囲で言えば、アレンカ・マーショヴァーという女性がマーショヴァー家にいたことは、間違いない。その婚約者がリーニェ会戦で戦死したのも、事実だ。
だがもし私がカフェで会ったあの“アレンカ・マーショヴァー”がアレンカ・マーショヴァー本人であれば、あの能力と心胆を兼ね備えた人物が、相続争いにおいてその名前をまったく見せていないという現状は、不自然きわまる――というかあの“アレンカ・マーショヴァー”なら、ゴロツキ同然の親族など、エルシュペー伯に頼るまでもなく精神的ないし物理的に駆逐できただろう。
しかるに、「アレンカ・マーショヴァー」の名前を聞いた二人は、示し合わせたかのように顔を見合わせると、露骨に眉をひそめた)
おやおや――いったいどこからそんな話を引きずり出してくるのやら、だな。
(エルシュペー伯はちびちびとグラスを傾けながら、しばらく黙りんだ)
……私からは、その件については、何も言えん。
だがこのお嬢さんの活動にその情報がどうしても必要だと大将閣下が判断するなら、大将閣下から話してくれまいか。
アレンカについては、私も片棒を担いだ側だ。証言するには当事者性が高過ぎる。
(片棒を担ぐ? 証言?
まるで想像しなかった言葉を聞いた私は、軽く混乱する。
だがそんな私をおいて、ミコラーシュ大将は静かに語り始めた)
アレンカ・マーショヴァーという女性は、確かに存在した。
だが、生まれて数時間で、息を引き取った。未熟児だったのだ。
マーショヴァー卿の奥方であるマリンカ夫人は、体の弱い人だった。出産の苦痛と疲労で意識を失っていた彼女は、初めての子が事実上の死産だったことを、知らずにいた。あの夜の段階では、まだ。
(エルシュペー伯の視線が、天井に向かった。
おそらくは「あの夜」のことを、思い出しているのだろう)
だが、あれほどまでに我が子との対面を楽しみにしてきたマリンカ夫人が、死産であることを知ったら、どうなるか。出産直後で消耗しきっていた夫人が、その事実に耐えられるとは、とても思えなかった。
だからマーショヴァー卿はエルシュペー伯を頼り、可及的速やかに女児の赤子を得るべく、動き始めた。
その努力は、3日後に実を結んだ。エルシュペー伯が教会にまで手を回したところ、帝都の教会付き孤児院に、生まれたばかりの赤子がいることが分かったのだ。
幸い瞳の色がマーショヴァー卿に似ていたし、一度泣き始めると火が着いたように泣き続ける様子には、マーショヴァー卿も大いに気に入ったようだった。
かくして未だに名も与えられていなかったその赤子は、アレンカ・マーショヴァーとして、マーショヴァー家に迎えられた。
(淡々と話し続けるミコラーシュ大将の言葉を聞きながら、私は言葉にできない嫌悪感を抱いていた。
孤児院にいる、生まれたばかりの赤子。もちろん誰かが生まれたばかりの子供を孤児院に捨てたということも考えられるが、首都の教会に併設された孤児院に「こっそり」捨てられる状況など、ほぼ考えられない。
つまり、答えはひとつ。その赤子は、孤児院にいる子が産んだ子供だ)
私がアレンカについて知っているのは、このあたりまでだ。
アレンカが生まれた翌年、政争に敗れた私は爵位も何もかも剥奪されて、野に下ったからね。
(「ボラス伯を甘く見過ぎたお前が悪かった部分もあると思うがね」と口を挟んだのは、それまで瞑想するかのように静かだったエルシュペー伯だ。
お前呼ばわりされたミコラーシュ閣下は怒る素振りも見せず、「あのキンキン声のガマガエル野郎、最期はフィッツ伯の足までひっかけていったと思うと、意外と傑物だったのかもしれんな」と嬉しそうに語った。
エルシュペー伯は、「ボラス伯を吊るしたのは、参謀本部長閣下が人類に対して成した唯一にして最高の貢献だ」と苦々しげなコメント。
なんとも、仲の良い2人だ……などと思っていると、エルシュペー伯が私に向き直り、口を開いた)
アレンカは、すくすくと育った。デトレフはアレンカを我が子のように可愛がり、マリンカはアレンカを自分が産んだ子供だと信じきっていた。
デトレフは、勇猛なだけの戦士ではなかった。あいつは、やがて帝国が尋常ならざる国難を迎えるだろうことを、明確に意識していた。だからデトレフは、アレンカに武芸も教えた。最低限の自衛ができるようにな。
アレンカは、驚くほど筋が良かった。デトレフの教えをみるみる吸収すると、侍女たちを振りきって――文字通り「振り切って」――日々基礎トレーニングと剣術、射撃、乗馬の訓練に明け暮れた。
12歳の誕生パーティに出席したときには、誕生プレゼントがわりに手合わせを所望されたよ。ちょっと手を抜いたら、煮えたぎったヤカンのように怒ったから、仕方なく本気で相手した。
アレンカは、それなりに自信もあったんだろうな。自分の技が私にまったく通じないことを悟ると、しまいには大泣きを始めた。デトレフは苦笑い、奥方はオロオロするばかりだ。
仕方ないから、「貴婦人になるための勉強を欠かさない」ことを条件に、週に1度、稽古をつけてやることを約束した。そうしたら急に泣き止んで、飛び跳ねんばかりに喜んでいたよ。
そんな調子だから、革命戦争が始まったとき、アレンカも戦場に出たがった。
婚約者が戦死してからは、なおさらだ。
もちろん、デトレフも私も、そんな要望は聞けないと、つっぱねたが。
だからある日、最前線でアレンカに会ったときには、心底驚愕した。
(大将閣下には初耳だったのか、「ほう」と小さな感嘆の声が漏れた。
私としては、これは想像の範囲だ。あの“アレンカ”からは、戦場を渡ってきた人間独特の迫力を感じた。
だが、その次にエルシュペー伯の口から放たれた言葉には、私も、大将閣下も、思わず硬直してしまった)
戦場で会ったアレンカは、伝書使の印章を持っていた。
彼女はすべてを捨て、伝書使になったのだ。




