始まりの手紙
「うん…。実に、不味い。」
鈴ノ木はるひは眠気覚ましに入れた、ただ苦みが強いだけのコーヒーを口に含んで呟く。
時刻は深夜二時を少し過ぎたところだ。マンションの一室から見下ろす町の灯りはまばらで、ぽつん、ぽつんと仲間を集うようだった。
まだ冷房を利かせるには早い気温とはいえ、生温い空気を扇風機でかき混ぜる。夕方に降った雨の所為で、湿度が高い。
はるひは長い髪の毛をポニーテールに結い、首筋の湿気を払った。
仕事用のデスクの上にはノートパソコンと資料用の書籍やメモ帳。取材をまとめたノートなどが乱雑に置かれていた。はるひの職業は、ルポライター。今、とある事件を追っているところだ。
「…。」
今日、届いたばかりの郵便物の中から、目当ての封筒を取り出す。封筒にはとある場所の刑務所の名称が、仰々しく書かれている。はるひは刑務所にいる囚人と手紙のやり取りをしていた。
囚人の名前は、瀬尾大和。
彼の罪は殺人。その手段は猟奇的と言われ、日本中を震撼させた。
手紙のやり取りで見えてきた大和の本人像がある。
丁寧に書かれた文字は、時間をかけて文章を考えてくれているのがわかる。内容も格子越しの窓から見える季節の移り変わりや、好きな食事の献立。自由時間に読んだ小説の感想など、穏やかで何気ない日常を綴っていた。
几帳面で、感受性の強い場面があるような、彼は至って『普通』の青年だった。
だからこそ、はるひは興味があった。大和が犯した罪の真相が知りたい。事件に至った心情、背景、理由を知りたいと思った。
銀色のペーパーナイフで、サクサクと音を立てながら手紙の封を切る。便せんは白い、シンプルなものだった。
いつも通り他愛もない話題が二つ三つと続き、二枚目の便せんに視線が移る。唐突に大和の書く文章の雰囲気が変わった。
【―…ところで、はるさんは事件のことを聞きたかったんだよね。今まで、僕のつまらない話を聞いてくれてありがとう。はるさんになら、僕のことを話してもいいと思える気持ちになりました。】
はるひの心臓が一度、大きく脈打つ。内容を急かすように視線を泳がせると文字が逃げるから、彼女は一度便せんを伏せて大きく深呼吸を繰り返した。
「よし。」
気を落ち着かせて、はるひは再び便せんに目を通した。
【僕が人を殺めた理由は、あいつが爪を捨てたからです。】




