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法医学 宮内暦の事件簿  作者: 泉水遊馬
CASE7 複屈折のカルテ ―― 偏光の罠

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第八話:無響の温室 ―― 二つの若さ

コンクリートの地下階段を降りきった先には、地上からは想像もつかない巨大な空間が広がっていた。

空間の壁面すべてが、音を完全に吸収する特殊な波形炭素プレートで覆われている。

足音すらもその漆黒の吸音材に吸い込まれ、自らの心臓の鼓動スタッツだけが、鼓膜の内側で暴力的に跳ね返るような完全な無響室。

その中央に、周囲の硫黄温泉水を利用した超高温の熱交換器と、冷たい電子音を立てる青い巨大サーバーラックが設置されていた。

そしてその中央のガラスケージの中には、不気味なほど青々と茂る「クローバーの温室」が構築されている。

「……偏光の、最終シミュレーターね」

暦はアタッシュケースを胸に抱え、その温室の前に立ち止まった。

温室のガラスには、3DマイクロCTと連動した「偏光板」が何重にも重ねられ、透過する光の波長をミリメートル単位で屈折させている。

その光を浴びているすべての植物は、細胞分裂のプログラムを極限まで加速され、あるいは完全に「巻き戻されて」いた。

「よく来たね、宮内くん。

お祝いを言おう、私の重水素のイニシャルから、よくぞこの座標を逆算してくれた」

無響室の奥から、白衣を着た1人の老人が歩み出てきた。

五条顕。

10年前とまったく変わらない、整えられた白い髪と、フレームのない眼鏡。

そのレンズの奥の目は、自らの研究室で最も優秀だった弟子の帰還を、まるで授業の始まりを待つかのように温かく見つめていた。

「五条先生……」

暦の瞳が、憎悪と純粋な科学的知的好奇心のパラドックスによって、激しく収縮した。

「一ノ瀬舞の網膜データを歪め、阿久津蓮の骨髄をハッキングし、老いた富豪たちを偏光の檻に閉じ込めた。

それが、あなたの作った『13桁の完全なバグ』の正体ですか」

「バグではないよ、宮内くん。

これは人類のインフラを再設計するための、最も美しい最適化のスタッツだ」

五条は細い指先で、温室のガラスを愛おしげに撫でた。

「人間は光の二面性を理解したつもりでいるが、偏光という『進む方向の偏り』の物理的干渉力を侮りすぎている。

特定の複屈折ストレスを脳と網膜のタンパク質に与え続ければ、生体の時間スタッツは人工的にリセットできるのだよ。

彼が、その完璧な証明だ」

五条が合図を送ると、サーバーラックの陰から、1人の若者が静かに姿を現した。

その姿を見た瞬間、槇原は構えていた拳銃の引き金にかけた指を、思わず硬直させた。

20代前半の、引き締まった強靭な肉体。

滑らかな皮膚と、黒々とした豊かな髪。

だが、その若者の「目」だけは、80年以上の歳月をかけてこの国の黒幕として君臨し、数え切れないほどの人間を踏みつぶしてきた名神鉄之助の、あの傲慢で冷酷な光を宿していた。

「……名神、鉄之助」

槇原の口から、噛み砕かれたイチゴ飴の赤い液が、血のように一滴、コンクリートの床へと滴り落ちた。

「信じられねえな。

本当に、肉体のすべてのスタッツを50年以上巻き戻したってわけか」

「信じる信じないは関係ない、刑事。

これが現実のデータだ」

20代の若者――名神鉄之助は、自らの引き締まった手のひらを握り締め、その感触を確かめるように冷笑した。

彼の声は、かつての濁った老人のものではなく、張りのある金属的な若者の響きを持っていた。

だが、その傲慢なスタッツは、老いた怪物のそれと完全に一致している。

「私はこの若い肉体と、無限の資産を再び手に入れた。

これからもう一度、この国の100年先のインフラを、私の都合の良いように書き換える。

五条の数式は、神の数式だ」

「神の数式、ですか」

暦はアタッシュケースから、1本の青い試薬ボトルを取り出し、冷酷にそれを掲げた。

「五条先生。

あなたは確かに美しい計算式を作った。

けれど、あなたの数式には、1つだけ致命的な『熱力学第二法則のバグ』が存在しているわ」

暦の言葉に、五条の穏やかな笑みが、初めてわずかに凍りついた。

「お前の言うバグとは何だ、宮内くん」

「複屈折によって巻き戻されたのは、生体組織の『情報スタッツ』だけよ。

エントロピーの総量は減っていない。

むしろ、急激に巻き戻された細胞の歪みは、ある特定の偏光ストレスの遮断によって、一瞬で『逆複屈折』を起こし、数十倍の速度で崩壊を始める」

暦は試薬ボトルのキャップを外し、温室の吸気口へと向けた。

「つまり、その重水素のインフラを今ここで破壊すれば、名神鉄之助の20代の肉体は、180秒以内に『80年分の崩壊』を一気に迎えて灰になるわ。

……それが、私の導き出した最終講義の回答よ、先生」

無響室の空気が、2人の天才の計算の衝突によって、一瞬で爆発寸前の臨界点スタッツへと達した。


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