第四話:錆びついたプロデューサー
西条署の年季が入った捜査車両の助手席で、暦はカロリーメイトの袋を丁寧に裂いていた。
車内には、槇原がさっきまで吸っていた煙草の残臭と、彼が口に放り込んだイチゴ飴の人工的な甘い香りが充満している。
「宮内、お前本当に車内でそれ食う気か。
ただでさえ口の中の水分全部持っていかれそうな顔してんのに」
槇原はハンドルを握ったまま、呆れたように横目で暦を見た。
「合理的だからです。
移動時間という空白を、栄養摂取という明確なタスクで埋める。
これ以上の時間短縮はありません」
暦はパサパサとした塊を口に放り込み、咀嚼しながら、膝の上のタブレットに目を落とした。
画面に映っているのは、これから向かう男、御子柴徹の十年前の写真だ。
当時は「クラシック界の若き巨匠を育てた名プロデューサー」として高級スーツをまとい、メディアの前で自信に満ちた笑みを浮かべていた。
しかし、現在の彼が所属しているのは、地方の地下アイドルや売れないタレントが数名籍を置くのみの、雑居ビルの一室にある零細芸能事務所だった。
「到着だ。
生きてる人間の、腐った言い訳を聞きに行こうじゃねえか」
槇原は車を停め、ガリッと口の中の飴を噛み砕いた。
ビルの一室、色褪せたラワン材のドアを開けると、タバコの煙と古い紙の匂いが漂ってきた。
デスクの奥で、ひどく白髪の混じった男が、競馬新聞を片手に固定電話で怒鳴り散らしている。
彼が、かつての敏腕プロデューサー、御子柴徹だった。
「……ああ、だからさ!
そのギャラじゃうちのタレントは出せないって言ってるだろ!
あ?
お前、俺を誰だと思って――」
ガチャン、と乱暴に受話器を叩きつけた御子柴は、入ってきた槇原と白衣姿の暦を一瞥し、不機嫌そうに眉をひそめた。
「何だお前らは。
アポなしの取材ならお断りだぞ。
今の俺は、過去の遺産で食ってるわけじゃないんでね」
「西条署の槇原だ。
それと、こちらは同行の法医学者。
……御子柴さん、十年前、あんたが捜査令状の取り下げを願い出た、あの『失踪事件』の件でな」
槇原が警察手帳を提示すると、御子柴の顔から一瞬にして血の気が引いた。
しかし、彼はすぐに鼻で笑い、仕立ての古びたスーツの襟元を直してみせる。
「十年前?
逢坂絢斗のことか。
今更何だよ。
あいつなら、コンクールのプレッシャーに耐えかねて、自分で勝手に消えたろ。
警察もそう結論づけたはずだ。
遺書だってあった」
「ええ、ありましたね。
『探さないでください』という、端正な直筆の手紙と、あんたが提出した綺麗な履歴書が」
槇原は御子柴のデスクに歩み寄り、両手を突いて顔を近づけた。
「だがな、御子柴さん。
その逢坂くんの『骨』が、つい最近、山林の土の中から見つかったんだよ。
土砂崩れでな」
「な……ッ!?」
御子柴の目が泳いだ。
デスクの上のペン立てに当たった彼の右手が、カタカタと微かに震えている。
「ば、馬鹿馬鹿しい。
あいつは海外に高飛びしたんだ。
別の山の中で死体が見つかった?
人違いだろ。
そんな骨、あいつのものだという証拠がどこにある!」
「あります」
一歩前に出た暦の言葉は、氷のように冷たく、そして絶対的だった。
「遺体の左腕には、特注のチタン製プレートが固定されていました。
シリアルナンバーから、逢坂絢斗さん本人の骨格に合わせて鋳造されたものであると完全に一致しています。
生きている人間は自分の都合でどこへでも逃げ隠れできますが、骨はその場所に留まり続け、己の身元を証明するんです」
御子柴は額に汗を浮かべ、声を荒らげた。
「プレートが一致したからって何だ!
失踪した後に、どっかの山奥で勝手に自殺したんだろ!
あいつの精神状態は限界だったんだ。
ジストニアとかいう病気で指も動かなくなって、まともな遺書だって書けないくらい狂ってた!」
「おや、今、何と言いました?」
暦の鋭い眼光が、御子柴の動揺を真っ向から射抜いた。
「まともな遺書だって書けないくらい、狂っていた?
……おかしいですね。
あなたが十年前、警察に提出した彼の置き手紙と履歴書は、一切のブレがない、完璧な筆圧の美しい文字で書かれていました。
ジストニアの末期症状と、手の骨の疲労骨折で、箸を持つことすら不可能だったはずの逢坂さんが、です」
「それは……あいつが最後の力を振り絞って、意地で書いたんだよ!」
御子柴は机を叩いて立ち上がった。
(この男は、何かを隠している。
逢坂さんの死そのものか、あるいは、その死を利用して得た巨額の利益か)
槇原は、ポケットの中で新しいイチゴ飴の袋をカサリと鳴らし、冷酷な笑みを浮かべた。
「苦しいねえ、御子柴さん。
あんた、あいつが失踪した直後、生前最後に録音されたっていう『未発表音源』をCD化して、莫大な遺産ビジネスで大儲けしたよな。
事務所の借金も、それで一括返済したはずだ」
「それは、ビジネスとして当然の――」
「動けないはずの手で書かれた、完璧な遺書。
そして、タイミングよく遺された、巨額の利益を生む音源。
……あんたがその『嘘』をいつから仕込んでいたのか、じっくり署で聞かせてもらおうか」
御子柴は言葉を失い、へたり込むように椅子に座り直した。
十年の歳月を経て、錆びついたプロデューサーの嘘が、白い骨の真実によって一枚ずつ剥がされようとしていた。




