表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
法医学 宮内暦の事件簿  作者: 泉水遊馬
CASE7 複屈折のカルテ ―― 偏光の罠

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
48/52

第五話:反転の方程式

『若者を老人に変形させたのなら、その逆もまた、あの方の方程式の中には当然、組み込まれているはずよ』

宮内暦の冷徹な声が、スマートフォンのスピーカーを通じて、白金の高級マンションの書斎に響き渡った。

槇原玲二は、受話器を握りしめたまま、総大理石の床を見つめて硬直していた。

彼の口の中で、砕けたイチゴ飴の鋭い破片が、歯茎にチクリと痛みを刻む。

五条顕の狙いは、50億円という資本の強奪だけに留まらない。

若きアスリート・阿久津蓮の骨から「若さのスタッツ」を絞り尽くし、それを82歳の名神鉄之助の肉体へと注入する、生命の等価交換。

それこそが、あの男が5年前に法医学界から姿を消してまで完成させようとした、禁忌の逆転方程式だったのだ。

「……宮内、そいつは確かなのか」

槇原は声を低め、カーテンの隙間から夜明け前の街を鋭く見下ろした。

『阿久津蓮の骨髄組織を、いま追加で超高速遠心分離にかけたわ。

……結果が出た。

彼の骨髄からは、通常の20代男性の1000倍以上の濃度で、骨芽細胞を異常活性化させる「未知のシグナル因子」が検出された。

それも、人為的に遺伝子を組み換えられ、外へ吸い出されるために濃縮されたスタッツよ』

暦のタイピング音が、まるでマシンガンのように激しく解剖室に響いている。

『五条先生は、阿久津蓮をこの白金のマンションに監禁している間、ただ老化させていたわけじゃない。

彼の骨髄を「若返り因子の栽培工場プラント」として使い、極限まで抽出した因子を、本物の名神鉄之助に投与し続けていたのよ。

名神を、20代の肉体へと強引に巻き戻すためにね』

「クソが、どこまで人間を材料扱いすれば気が済むんだ、あのジジイは」

槇原は手帳をポケットに叩き込み、書斎を出てリビングへと引き返した。

「本物の名神が、20代の肉体を手に入れてどこかの陰に潜んでいるとすれば、もはや外見のスタッツで追うことは不可能だ。

……ん?」

リビングの中央に差し掛かったとき、槇原の足がピタリと止まった。

先ほどまで無音だったはずの、名神が寝ていたとされる特注の介護ベッド。

その枕元に設置された、医療用モニタリング装置の液晶画面が、誰も触れていないにもかかわらず、突如として緑色の発光を開始したのだ。

奥多摩の実験室が爆破されたあの夜と、全く同じ「既視感デジャヴ」。

「宮内、通信を切るな。

奴のハッキングだ」

槇原はトレンチコートの内側から、迷わず警察拳銃を引き抜いた。

銃身の冷たい感触が、彼の掌にじっとりとした汗を滲ませる。

モニター画面に表示されたのは、心拍数や血圧のスタッツではなかった。

13桁のあの初期値コードが明滅した直後、画面いっぱいに、滑らかな幾何学のグラフが描かれ始める。

それは、偏光顕微鏡で暦が観測した「複屈折の干渉色」の波形データを、さらに複雑に暗号化したものだった。

そして、スピーカーから、調律されたあの不気味な電子音声が流れ出す。

『素晴らしい着眼点だ、宮内くん。

骨梁の破壊から、コラーゲン線維の配向解析へ至るその動線……私の講義をこれほど正しく理解している生徒が、まだ警視庁の犬の横にいることに、深い悦びを禁じ得ない』

「五条顕……!」

槇原は銃口をモニターへと向け、低く吠えた。

『槇原刑事、銃を向ける相手が違うのではないかね。

私はただの、時間の観測者だ。

名神鉄之助という老いたインフラは、阿久津くんの美しい骨の記憶を譲り受け、すでに完璧な「第2のスタッツ」へと新生を遂げた。

50億円の資本と共に、彼は世界を裏側から動かす若き神へと生まれ変わったのだよ』

「御託はいい、その本物の名神と、お前はどこに隠れてやがる!」

『お前たちが立っているその部屋が、すでに次の数式の「開始点」だ』

電子音声が冷酷に告げた瞬間、ベッドの背後にある壁のインフラから、プツリ、という不吉な機械音が響いた。

ガスの噴出音。

エアコンの通気口から、無色無臭の、しかし空気を急速に歪ませる「可燃性ガス」が室内に充満し始める。

五条顕は、白金のマンションすらも、証拠ごと槇原を巻き込んで灰に変える算段を、秒単位で組み立てていたのだ。

『さあ、180秒のカウントダウンだ。

宮内くん、君の相棒の骨髄スタッツが、熱圧力で炭化する前に、私の居場所を逆算できるかね?』

画面のタイマーが「180」からカウントダウンを開始する。

スマホの向こうで、暦が「槇原さん、今すぐそこから逃げて!」と叫ぶ声が激しく響いた。

猟犬の執念と、黒幕の圧倒的な殺意が、夜明けの白金で再び最悪の爆縮を呼び起こそうとしていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ