第四話:灰の包囲網
奥多摩の夜空を不気味な赤に染め上げた大火災は、深夜のニュース速報を文字通り炎上させた。
原因不明の連続爆発。
警察庁のデータベースからさえ消えかけていた旧鉱山跡は、数理の黒幕の宣告通り、跡形もなく灰へと変えられた。
明朝。
T大学の法医学教室には、事件の異常性を察知した本庁の警備部によって、2人の屈強なSPが配置されることとなった。
「……目障りだわ」
宮内暦は、だらしなく袖の余った白衣のポケットに両手を突っ込み、研究室の入り口に直立不動で佇む黒スーツの男たちを、漆黒のクマを湛えた目で睨みつけた。
彼女にとって、生身の人間が自分のパーソナルスペースに侵入してくること自体、計算式を乱す最大のノイズでしかない。
「我慢しろ、宮内」
部屋の中央で、槇原玲二が新しいトレンチコートの襟を立てながら言った。
彼の奥歯の間で、イチゴ味の飴玉がガリリと激しく砕ける。
「あの『プロフェッサー』とかいう化け物は、お前の携帯に直接コンタクトを取ってきた。
奴にとって、お前の存在は自分の最高の方程式を脅かすバグだ。
いつお前の『骨』を狙ってきてもおかしくねえ」
「私の骨格密度スタッツは至って平均的よ、狙う価値もないわ」
暦はフンと鼻を鳴らすと、デスクの上のカロリーメイトのチョコレート味を掴み、銀色のフィルムを乱暴に剥ぎ取った。
「それより、槇原さん。
本当に奥多摩の現場へ行くつもり?」
「ああ。
本庁の鑑識や消防は、あの爆破で証拠はすべて消滅したと報告してやがるが、俺の勘が言ってる。
奴は完璧主義のサイコパスだ。
完璧な数式を組み立てる奴ほど、現場に『美しすぎる足跡』を残していくもんだ」
槇原は腰のホルスターの感触を確かめると、鉄のような冷たい笑みを浮かべた。
「お前はここで、護衛のサツ付きで大人しくポチの動画でも観て泣いてろ。
俺が灰の中から、奴の尻尾を引っ掴んできてやる」
「……死なないでくださいね、槇原さん」
暦はカロリーメイトを一口、ガリリと噛み砕き、無表情のまま言った。
「あなたの骨の応力線は、長年の無理な動線でボロボロです。
これ以上の衝撃荷重がかかれば、大腿骨頭が壊死スタッツへ突入しますから」
「そいつはありがたい警告だ。
イチゴ飴のカルシウムで耐えてみせるよ」
槇原はそう言い残すと、法医学教室のドアを乱暴に開けて飛び出していった。
数時間後。
黒煙の燻る奥多摩の旧・奥多摩第三鉱山跡に、槇原の乗った覆面パトカーが到着した。
立ち入り禁止の黄色いテープを潜り、槇原はまだ熱気の残るコンクリートの残骸の中へと、単身歩みを進める。
消防の残火処理班が遠くで作業する中、彼は直感に従い、最も爆破の衝撃が激しかったとされる「地下空洞への搬入口」へと向かった。
懐中電灯の細い光が、炭化した壁や、熱でひしゃげた鉄製の精密機械の残骸を照らし出す。
確かに、通常の鑑識の目であれば、すべての証拠が数1000度の高温によって炭化・消滅したと判断するだろう。
だが、槇原は壁の隅、爆発の爆風が直接届かなかったであろう、頑強な耐火金庫の残骸に目を留めた。
金庫の扉は歪み、中身は完全に焼き尽くされているように見えた。
しかし、槇原がライトの光をその内部の奥へと差し込んだとき、彼の目が鋭く細められた。
「……これか」
灰の中に、熱で半分溶け落ちた「1枚の特殊な耐熱ガラス」が残されていた。
それは、暦が指摘していた「被害者に骨の改ざんプロセスを見せつけるための鏡」の破片だった。
そして、その溶けたガラスの表面には、熱によってガラスの珪素構造と同化し、永久に定着してしまった「ある奇妙なスタッツ」が浮かび上がっていた。
人間の指紋ではない。
レーザーによって精密に刻印された、13桁の工業用シリアルナンバー。
黒幕が実験装置の管理のために使用していた、偽造不可能な量子暗号コードの残響だった。
「見つけたぜ、プロフェッサー」
槇原は手袋を嵌めた手で、その熱いガラスの破片を慎重に回収した。
その頃、大学の研究室に監禁状態の暦は、デスクの引き出しから取り出した古いノートを眺めていた。
そこには、彼女が学生時代に書き留めていた、ある人物の講義録の数式が並んでいる。
名前すら出すことが憚られる、法医学界から消えたあの天才の筆跡。
奥多摩の灰の中から槇原が持ち帰るであろうデータと、このノートの数式が交わるとき、偽りの人生を彫刻する怪物の本当の仮面が、ついに剥ぎ取られようとしていた。




