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法医学 宮内暦の事件簿  作者: 泉水遊馬
CASE6 虚構の軌跡 ―― 骨梁の幾何学

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第三話:実験室の座標

「骨の破壊と再生の周期、そしてコルチゾールの分泌による代謝加速のスタッツ……」

宮内暦は白衣の長い袖で、まだ少し赤みの残る目元を乱暴に拭った。

彼女の脳細胞は、ポチの悲劇から、今や完全に「悪魔の数式」の解読へとシフトしている。

キーボードを叩く彼女の指先は、恐怖ではなく、純粋な数理的嫌悪によって微かに震えていた。

「槇原さん、この生体ハッキングを行うためには、環境条件が極めて限定されます。

超音波振動装置(LIPUS)の連続稼働、骨密度の24時間体制での遠隔モニタリング、そして……何よりも、犠牲者の絶叫を完全に遮断できる『絶対的な防音環境』が必要です」

「絶対的な防音、か……」

槇原はトレンチコートのポケットから手を引き抜き、解剖台の上の白い大腿骨を睨みつけた。

彼の口の中で、砕けたイチゴ飴の破片がジャリリと音を立てる。

「榊原一馬が拉致されたのは都心のホテルだ。

だが、そこから車で数時間圏内で、そんな大掛かりな医療実験装置と防音設備を備えた場所なんて、そうそう転がっちゃいねえぞ」

「いいえ、場所のヒントも、この骨梁の幾何学の中に刻まれています」

暦はモニターの画面を、骨の結晶格子を構成する「微量元素の分布図マッピング」へと切り替えた。

画面には、大腿骨の断面に沿って、緑や青のグラデーションが美しく、しかし歪に表示されている。

「見てください。

3ヶ月前から急造された海綿骨の網目組織からだけ、通常の都内の水道水には含まれない、高濃度の『ラドン』と『フッ素イオン』が検出されています。

これは、被害者が監禁中に飲まされていた、あるいは骨形成の触媒として投与されていた『水』のスタッツです」

「ラドンにフッ素……温泉地か?」

「それも、ただの温泉地ではありません」

暦は引き出しから、食べかけのカロリーメイトの袋を取り出し、その粉末を机の上にトントンと落としながら言った。

「地質学的なデータと照合しました。

関東近郊で、これほど高いラドン濃度とフッ素含有量を同時に持つ地下水が湧き出るのは、特定の酸性花崗岩地帯――奥多摩のさらに奥、かつて昭和の時代に放棄された『旧・奥多摩第三鉱山』の周辺の、極めて狭いエリアだけです」

「死体が捨てられていた崖の、すぐ近くだな」

槇原の目が、一瞬にして老練な猟犬のそれに変わった。

「ええ。

犯人は、わざわざ遠くから死体を運んできたのではないわ。

その鉱山跡の地下に、私設の『生体実験室』を構築し、そこで3ヶ月間、榊原一馬の骨を削り、鏡を見せて精神を破壊し、完璧な浮浪者の骨へと仕立て上げていたのよ」

「灯台下暗し、か。

いや、奴にとっては、実験が終わったらすぐに横の崖から検体を廃棄できる、最高の効率的キャパシティだったわけだ」

槇原は手帳を激しく閉じると、胸のポケットから警察無線を取り出した。

彼の顔には、犯人のサイコパスな知性に対する、ドス黒いまでの敵意が満ちていた。

「西条署の動かせる連中を全員集める。

奥多摩署にも連絡を入れて、その廃鉱山周辺の建造物を完全に包囲するぞ。

宮内、お前の弾き出した座標が正しければ、そこにはまだ、奴の実験の残骸が残っているはずだ」

「待って、槇原さん」

暦は立ち上がり、だらしなく余った白衣の裾をきゅっと握りしめた。

「その実験室には、近づかない方がいいかもしれない。

……あの黒幕プロフェッサーは、自分の数式が完成した瞬間、検体だけでなく、実験室そのもののスタッツをどう処理するか、計算していないはずがないわ」

「何が言いたい」

「星野征一郎のときもそうだった。

奴は、自分の存在に近づく者が現れることすら、あらかじめ数式の中に織り込んでいる。

もし、その実験室に警察が踏み込んだら……」

暦の言葉が途切れたそのとき、教室の固定電話が、深夜の静寂を引き裂くようにけたたましく鳴り響いた。

2人の視線が、同時に電話機へと注がれる。

ナンバーディスプレイに表示されたのは、発信元不明の、奇妙な暗号のような数字の羅列だった。

「……出ろ、宮内」

槇原が低く囁く。

暦は細い指を伸ばし、受話器を耳に当てた。

スピーカーから聞こえてきたのは、人間の声ではなかった。

電子的に合成された、ひどく無機質で、しかし完璧に調律されたノイズのような音声。

『宮内暦先生。

3DマイクロCTによる、134ミクロン単位での骨梁応力解析……実に素晴らしい解答スタッツです。

私の仕掛けた歪みを、これほど早く見破る者が現代の法医学界に存在したことに、深い歓喜を覚えます』

「あなた、誰……?」

暦の声が、かすかに震えた。

『私はただの、数理の観測者。

あなたが大腿骨に見出したその座標は、すでに用済みの数式です。

……生者の肉体は儚く、しかし、炎によって炭化する瞬間の熱量スタッツだけは、極めて美しい』

その言葉が終わると同時に、電話はプツリと切れた。

直後、槇原の警察無線から、ノイズ混じりの悲鳴のような怒号が飛び込んできた。

『――西条署から各局!

奥多摩の旧鉱山跡で、原因不明の連続爆発が発生!

火の手が上がっています!

繰り返す、山林一帯が炎上中、近づけません――!』

見えない黒幕は、警察が真実にたどり着く瞬間すらも秒単位で計算し、自らの実験室を、証拠ごと灰へと変えるスイッチを押したのだ。

受話器を握りしめたまま立ち尽くす暦の瞳に、遠い奥多摩の山々を焼き尽くす、冷酷な方程式の炎が映り込んでいるようだった。


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