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法医学 宮内暦の事件簿  作者: 泉水遊馬
CASE5 時の檻

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第五話:数理の黒幕

星野征一郎の逮捕は、翌朝の新聞各紙の一面を激しく飾った。

昭和の過激派のカリスマが、現代の殺人を隠蔽するために51年もの時間トリックを仕組んでいたというセンセーショナルな事実は、生者の社会を大いに震撼させた。

西条署の槇原玲二は、本庁からの執拗な抗議と手柄の横取りをすべてイチゴ飴の味で押し潰し、藤井蓮の遺骨を正式に「事件の被害者」として法的に確定させた。

だが、すべてのノイズが去った深夜の法医学教室で、宮内暦だけは未だに椅子の背にもたれかかり、天井を睨みつけていた。

彼のデスクの上には、消費し尽くされたカロリーメイトの空箱が、不自然なほど完璧な直線で並べられている。

「……解せない」

暦の口から漏れた呟きは、ひどく冷たく、そして鋭かった。

彼の視線の先にあるモニターには、星野が骨の表面に施した、炭素14の吸着シミュレーションデータが映し出されている。

大気圏核実験の放物線グラフを利用し、1972年の上昇期と2023年の下降期の数値を完全に合致させるという発想。

さらに、産業用高圧滅菌器オートクレーブの温度を、骨のハイドロキシアパタイトの結晶格子の崩壊を防ぎつつ、コラーゲン外層のイオン交換だけを最大化させる「134度」に精密に設定していたというスタッツ。

それは、単なる過激派崩れの不動産王が、思いつきで実行できるほど生易しい領域のものではなかった。

「おい、宮内。

まだそんなツラをして骨を睨んでるのか」

部屋のドアを乱暴に開けて、槇原が入ってきた。

西条署での徹夜の取り調べを終えた彼のトレンチコートからは、ひどく疲弊した生者の泥臭さが漂っている。

槇原はいつものように、奥歯でイチゴ飴をガリリと噛み砕いた。

「星野のジジイは完全に落ちたよ。

3年前に藤井蓮をオフィスに呼び出し、背後から大理石の文鎮で殴り殺したことを認めた。

滅菌器を使った時間の偽装も、すべて自分がやったと自供している」

「彼は、嘘を吐いている」

暦は視線すら上げずに、冷淡に言い放った。

「何だと?」

「星野征一郎の脳のスペックでは、この数理モデルは構築できません」

暦は白衣のポケットから新しいカロリーメイトを取り出し、銀色のフィルムを静かに剥ぎ取った。

「星野の経歴を精査しました。

彼は昭和40年代の経済学部出身であり、その後の実業界でのキャリアも、すべて泥臭い土地転がしと政治家への裏工作です。

彼には、ハイドロキシアパタイトの耐熱限界値や、炭素14のボンブ・ピークにおける同位体比勾配の微分方程式を理解するだけの、科学的バックボーン《スタッツ》が根本的に欠落している」

暦はカロリーメイトを一口、ガリリと噛み砕き、その無機質な甘みの中で思考を尖らせた。

「76歳の高齢者が、殺人の直後に、これほど完璧な科学的術式を単独で発案し、実行したと考えるのは、確率論的にゼロに等しい。

星野は、誰かに入れ知恵をされたのです。

法医学の盲点を完全に熟知し、物質の記憶を自在に操ろうとした『本物の狂気』が、あの老人の背後に隠れている」

槇原の動きが、ピタリと止まった。

彼のポケットの中で、新しい飴玉の袋がカサリと不気味な音を立てる。

「入れ知恵、だと……?

星野のバックに、法医学のプロがいたって言うのか」

「プロ、などという安っぽい記号では括れません」

暦はモニターの画面を切り替えた。

そこには、星野のオフィスから押収された滅菌器の制御プログラムの、改ざんコードが羅列されていた。

「このプログラムを書き換えた人物は、骨組織の代謝速度を数式化し、日本の警察の鑑識レベルを完全に『無能』と見切ってこの罠を配置した。

私が骨髄腔の深部までスキャンしなければ、この事件は永遠に昭和の闇に沈んでいた。

……これは、星野を助けるためのアドバイスではない」

「じゃあ、何だ」

「実験ですよ」

暦の漆黒のクマに縁取られた瞳が、凍りつくような歓喜と怒りで細められた。

「その黒幕は、星野征一郎という絶好の検体サンプルを使って、自分の構築した『時間の偽装トリック』が、現代の法医学をどこまで欺けるか、実験したのです。

星野が逮捕されることすら、その計算式の中に入っていたのかもしれない」

法医学教室の冷たい空気の中に、星野征一郎という巨悪すらも単なる「駒」として扱っていた、真の深淵の影が浮かび上がってきた。

生者の欲望や政治の闇のさらに奥底。

科学のスタッツを弄び、死者の骨を自らの最高のアートとして書き換えようとする、恐るべき猟犬の存在。

「面白くなってきました、槇原さん」

暦は粉砕されたカロリーメイトの袋をゴミ箱へと捨て、妖しく微笑んだ。

「その黒幕は、物質の法則を理解している。

ならば、必ず次の足跡を骨の中に残すはずです。

どちらの数理モデルが優れているか、次の骸で証明して見せましょう」

新たなる見えない敵の気配を感じ取りながら、ボーン・オタクの顕微鏡は、さらに深い闇の深淵へとそのレンズを向け始めていた。


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