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法医学 宮内暦の事件簿  作者: 泉水遊馬
CASE4  煉獄のカルテ

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第一話:見えない鉄格子の記憶

西条署の槇原が持ち込んできた黒い塊は、もはや生物の面影を完全に失っていた。

ガソリンの爆炎に晒された肉体は炭化し、収縮し、まるで太古の遺跡から掘り起こされた未知の出土品のように、法医学教室のステンレス台の上に鎮座している。

組織犯罪対策課の連中は、これを「ヤクザの内ゲバによる口封じ」と断定し、早々に書類を片付けたがっていた。

人間の社会が織り成す都合や、警察組織の縄張り争いなど、宮内暦にとってはちりほどの価値もない。

暦はだらしなく袖の余った白衣のポケットから、いつものカロリーメイトを取り出し、無造作に口へ運んだ。

チョコレートの人工的な甘みが脳の隅々に染み渡るのを待ちながら、漆黒のクマを湛えた目で、その黒焦げの骨を見つめる。

生者の言葉は常に嘘を孕むが、骨は裏切らない。

肉体が滅び、魂が霧散したのちも、地球という惑星の重力に抗い続けた歴史を、分子の配列として正確に記録し続けるからだ。


「……1000度か」


暦の口から漏れた呟きは、深夜の静まり返った教室に冷たく響いた。

通常の火葬場の温度すら超えるその煉獄の炎は、確かに人間の遺伝子《DNA》をズタズタに破壊し、有機物の痕跡をすべて消し去っていた。

だが、骨の真のコアはそこにはない。

暦は白衣の袖を雑に捲り上げると、顕微鏡の横に据え付けられた特殊な分析装置へと向かった。

彼が狙いを定めたのは、骨の体積の約7割を占める無機成分、ハイドロキシアパタイト(骨塩)の結晶構造である。

人間がこの地上で呼吸をし、水を飲み、食物を摂取するとき、その環境に含まれる超微量の元素が、ハイドロキシアパタイトの結晶格子の隙間に滑り込んでいく。

それは、生きていた場所の地質、浴びた陽光、あるいは吸い込んだ空気の履歴書そのものであった。

暦はピンセットで炭化骨の極小の破片を採取し、プラズマ発光分析装置のホルダーへとセットした。


「おい、ボーン・オタク」


背後で、重苦しい足音と共に、金属的な硬い音が響いた。

西条署のベテラン刑事、槇原玲二が、トレンチコートの襟を立てたまま部屋に入ってきた。

彼の奥歯の間で、イチゴ味の飴玉がガリリと不機嫌そうに噛み砕かれる。


「組対の奴らは、もう身元不明のまま処理する方向で動いてるぞ。

地元の組織のチンピラで行方不明になってる奴が三人いる。

そのうちの誰かだろ、ってな」


槇原の言葉には、人間の組織というものが持つ怠惰への、深い虚無が滲んでいた。

暦は装置のモニターに表示され始めたスペクトルデータから目を離さずに、冷淡に返した。


「生者の推測ほど、あてにならないノイズはありません」


「ほう」


「1000度の炎は、確かに肉を焼き、衣服を消し、指紋を奪った。

しかし、このハイドロキシアパタイトの結晶は、熱によってより強固に再結晶化している。

炎は記憶を消したのではない。

むしろ、不純物を削ぎ落とし、純粋な真実だけをそこに固定したのです」


モニターには、複数の微量元素の検出波形が鋭いスパイクを描いていた。

ストロンチウム、バリウム、そして、異常な数値を shifting する特定の重金属のシグナル。

暦の漆黒の瞳が、歓喜とも狂気ともつかない光を帯びて細められた。


「槇原さん、組対のチンピラリストはすべて破り捨ててください」


飴玉を飲み込んだ槇原が、眉をひそめて暦の背中に視線を注ぐ。


「どういうことだ」


「ストロンチウムのアイソトープ《同位体》比が、日本の地質ラインと全く合致しません。

この骨の主は、少なくとも成長期の大部分を、東欧の乾燥した盆地地帯で過ごしている。

それだけではない」


暦は画面を指差した。


「大腿骨の結晶深部から、高濃度のカドミウムと鉛が検出されました。

これは通常の生活環境ではあり得ない。

旧ソ連圏の古い鉱山、あるいは、劣悪な化学工場の周辺で長期間にわたって不法に労働させられていた人間の特徴です」


部屋の空気が、一瞬にして凍りついた。

単なる日本の暴力団の内部抗争ではない。

背後に浮かび上がったのは、国境を越えた巨大な闇、国際的な人身売買、あるいは不法就労の果てに、用済みとして焼き尽くされた「見えない人間」の影だった。


「見えない鉄格子、か」


槇原が低く呟き、新しいイチゴ飴を口に放り込んだ。


「戸籍も、入国記録もない。

だからこそ、ガソリンで焼けばこの世から完全に消せると思ったわけだ」


「ええ」


暦は白衣のポケットから新しいカロリーメイトを取り出し、銀色のフィルムを剥ぎ取った。


「ですが、地球の重力と元素の法則だけは、神の手によっても曲げられない。

この骨は、自分がどこで生まれ、どんな檻に閉じ込められていたかを、今も大声で叫んでいます」


骨塩の結晶が語る、冷徹にして完璧な叙事詩。

それは、生前の被害者が流したであろう涙よりも、遥かに雄弁にその過酷な運命を告発していた。

暦はカロリーメイトを一口 噛み砕き、その無機質な甘みの中で、次なる分析のステップへと頭脳を加速させていく。


「槇原さん、骨が語る次の座標を特定します。

彼を閉じ込めていた『檻』の正体を、剥ぎ取りに行きましょう」


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