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法医学 宮内暦の事件簿  作者: 泉水遊馬
CASE3 偽りの系譜

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第四話:血脈の檻

一ノ瀬絵里の自供によって、十五年前の都営住宅床下乳児遺棄事件は、一見して解決を迎えたかに思われた。

しかし、西条署の槇原玲二の胸の奥に燻る、刑事としての泥臭い違和感だけは、どうしても消し去ることができなかった。

なぜ、当時の孤独な一人の女が、出生届すら出していない赤ん坊にそこまでの凄絶な暴力を加え、そして床下に隠さねばならなかったのか。

その答えの断片は、彼女が嫁いだ「一ノ瀬家」という、都心の広大な土地を所有する旧家の存在によって、急速に不穏な色彩を帯び始めていた。

T大学医学部法医学教室の解剖室は、今日も平穏という名の冷気に包まれている。

こよみは、サイズの合わない大きすぎる白衣の袖をだらしなく余らせたまま、机の上に置かれた一台のノートパソコンの画面を見つめていた。

彼女の鋭い眼窩の底にある漆黒のクマは、今日も万年寝不足の深さを物語っている。

引き出しから取り出したカロリーメイトのチョコレート味を無感動に前歯で齧り、ガサゴソと不器用な音を立てながら、彼女は隣に立つ槇原へと視線を向けた。


「槇原さん、あなたが西条署の権限で一ノ瀬絵里、および彼女の夫である一ノ瀬泰士の周辺を洗ったデータ、興味深く拝見しました。

そして、あなたが持ち込んできたあの赤ん坊の骨の『DNA鑑定の最終報告』が、今しがた出ましたよ」


こよみの声は、相変わらず感情の起伏が一切ない、物質的な冷酷さに満ちていた。


「どうだった、こよみ

あの女は取調室で、ただ『自分がノイローゼになってやった、一ノ瀬家は関係ない』と金切り声を上げるばかりだ。

だが、あの怯え方は異常だ。

まるで、過去の殺人そのものよりも、その背景が明るみに出ることを恐れているようだった」


槇原はトレンチコートのポケットから新しいイチゴ味の飴玉を取り出し、口へと放り込んだ。

ガリリ、と奥歯でそれを激しく噛み砕く無骨な音が、静まり返った室内に響き渡る。

こよみは画面を槇原の方へと向け、細い指先で一本の塩基配列のグラフを指し示した。


「驚くべき結果です。

地中に十五年間遺棄されていたあの乳児の骨の『歯髄』から抽出した核DNAと、あなたが任意提出させた一ノ瀬泰士の毛髪データを照合しました。

結果は、生物学的な親子関係が九十九点九九パーセントの確率で成立します。

あの床下の赤ん坊は、浅野絵里と、一ノ瀬泰士の間に生まれた『実子』です」


「何だと……?」


槇原の口の中で、イチゴ飴の動きがピタリと止まる。

彼の鋭い目がさらに細められ、脳内でバラバラだったピースが、おぞましい形となって繋がり始めるのを感じていた。


「それだけではありません。

一ノ瀬家の戸籍、および医療記録を遡りました。

一ノ瀬泰士と絵里の間には、現在七歳になる長男がいますね。

ですが、あの都営住宅で赤ん坊が殺害された二〇一一年当時、一ノ瀬泰士は絵里ではなく、別の高名な資産家の娘である『先妻』と婚姻関係にありました。

つまり、浅野絵里は当時、一ノ瀬泰士の不倫相手に過ぎなかったのです」


こよみはカロリーメイトの残りを口に放り込み、無機質に咀嚼しながら言葉を続けた。


「一ノ瀬家は、直系の血脈に異常なまでの執着を持つ家系です。

泰士の実父である一ノ瀬の長老は、完璧な跡継ぎをもうけることを絶対の条件としていた。

しかし、先妻との間には子供が生まれなかった。

そこへ、不倫相手の絵里が妊娠した。

一ノ瀬家に入り込み、底辺の生活から抜け出したいという狂気的な上昇志向を持っていた絵里にとって、その妊娠は最大の好機であるはずでした。

ですが、生まれた子供は……役所に登録すらできない、彼らにとっての『汚点』となった」


「なぜだ。

一ノ瀬の血を引く子供なら、なぜ絵里はあの家へ連れて行かなかった?」


槇原は机に両手を突き、こよみの顔を覗き込んだ。


「理由は、あの乳児の頭蓋骨の陥没痕、および大腿骨の骨塩量データにありました。

再解析の結果、この赤ん坊は、先天性の深刻な遺伝性疾患、骨が極めて脆く、正常な発育が見込めない『骨形成不全症』の重症型であった可能性が極めて高い。

おそらく、生後まもなくその症状が現れたのでしょう。

『完璧な血脈』を求める一ノ瀬家にとって、そしてその一族に取り入ろうとしていた浅野絵里にとって、五体満足ではない、長く生きられないであろう障害を持った初子は、自らの未来を阻む『不良品』でしかなかったのです」


解剖室の空気が、一瞬にして凝固した。

こよみの語る言葉には一滴の同情も含まれていないが、だからこそ、生きている人間が「血」という概念のために犯した、底なしの悪意が浮き彫りになる。


「絵里は一ノ瀬の男に捨てられることを恐れ、子供の存在そのものを社会から抹殺した。

泣き叫び、骨が折れるほどの暴力を加え、動かなくなった身体を床下に埋めた。

そして、何事もなかったかのように一ノ瀬泰士の元へ戻り、先妻が謎の病死を遂げた後、まんまと『後妻』の座に収まったわけです。

すべては、一ノ瀬という偽りの系譜に、自らの名前を書き込むために」


「狂っていやがるな、どいつもこいつも」


槇原はトレンチコートのポケットに両手を突き込み、椅子を激しく引いて立ち上がった。

彼の奥歯が、口の中の飴玉を完全に粉砕する。


「血脈という檻の中で、自分の子供を物質のゴミのように処理したわけか。

一ノ瀬泰士も、その事実を知っていて絵里を迎え入れた可能性が高い。

いや、それどころか……その先妻の『病死』ってのも、にわかには信じられなくなってきたな」


「ええ、私もそう思います、刑事さん。

人間は脳でいかようにも家系図を偽り、舌で愛を語りますが、骨だけは騙せません。

一ノ瀬の男たちがどれほど完璧な血筋を装おうとも、その足元には、彼らが踏みつぶしてきた死者の骨が埋まっているはずです」


こよみはそう言うと、大きすぎる白衣の袖を再び乱暴にまくり直し、壁のシャーカステンに新しい資料を貼り付けた。

事件は、一人の母親の狂気から、一ノ瀬家という巨大な一族が隠蔽してきた「偽りの系譜」の闇へと、その姿を変えようとしていた。


「上等だ、こよみ

一ノ瀬の綺麗事まみれの御殿に、その腐った血脈の真実を叩きつけに行ってやるよ」


槇原は不敵な笑みを浮かべ、夜の法医学教室を疾風のように去っていった。

後に残されたのは、顕微鏡に向き合うこよみの小さな背中と、床下から叫び続ける小さな骨の沈黙だけであった。

生者を信じない二人の戦いは、ここからさらにドス黒い深淵へと突き進んでいく。


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