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シャロンの喫茶店  作者: Toru


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20/26

シャロンの喫茶店 番外編 雨の放課後 リサSide


「ただいまぁー」


玄関で靴を脱いだとき、制服の裾からぽたり、と水滴が落ちた。

挿絵(By みてみん)

初夏の雨は優しいようでいて、帰り道のほんの数分で髪の先までしっとり濡らしてしまう。


「はぁ、結構濡れちゃったなあ…」


リサは小さく息をつきながら、自分の部屋のドアを押し開けた。

部屋の柔らかな灯りが彼女の金髪を優しく照らす。

周囲にはフランス人の母親、サラが選んだ小物──レースのカーテン、香水瓶、花の絵、エッフェル塔の写真立て、そして小さな白猫のぬいぐるみ。

どれもリサの世界を彩る繊細な美しさで、彼女の笑顔にぴったりの空間となっていた。

ふわりと漂うのは、朝出かける前に焚いたアロマの残り香。

外の冷たい雨とは対照的に、部屋は柔らかく温かい。


リサは急いで制服を脱ぎ、部屋着に着替えた。

挿絵(By みてみん)

ベッドの端に腰を下ろすと、タオルを手に取って濡れた金髪を包み込む。

水気を吸った髪が、タオル越しにひんやりと指先に触れた。


ハンガーに掛けた制服は、雨粒が生地に染み込み、少し重たく感じる。


それでも、リサの表情はどこか落ち着いていた。

雨に濡れた帰り道の静けさが、まだ身体の中に残っているようだった。


鏡台の前に置いたスマホが、ぽん、と小さく光る。


翔子からのメッセージだ。


リサはタオルで髪を拭きながら、そちらに視線を向ける。

濡れた髪の先から、ひとしずくが床に落ちた。

タオルで髪を押さえるたび、しゅっ、しゅっ、と柔らかい布の音が部屋に響く。


制服には、まだ小さな水滴が残り、雨の匂いがほんのり漂っていた。


コンコン──

廊下の向こうから、控えめなノックが聞こえた。


「リサ、帰ってきてたのね」


母の声は、雨上がりの空気みたいに優しくて、部屋の温度が少し上がった気がした。

リサはタオルを肩にかけたまま振り向く。


「うん……ちょっと降られちゃって」


扉が少しだけ開き、サラが顔をのぞかせる。

彼女は、リサの濡れた髪と制服を見て、すぐに状況を理解したようだった。


「まあ……大丈夫? 風邪ひくわよ」


サラは部屋に入ってきて、ベッドのそばまで歩み寄る。

リサの髪先から落ちた水滴を見つけると、そっとタオルを取り上げ、娘の頭に乗せた。


「ほら、もっとちゃんと拭かないと」


タオル越しに感じる母の手は、子どもの頃から変わらない温度だった。

リサは少し照れくさそうに笑う。


「自分でできるよ、ママ」

「ええ、わかってるわ。でも……濡れて帰ってきたあなたを見ると、ついね」


サラはそう言って、娘の髪を優しく押さえた。

雨の匂いと、母の香りが混ざり合う。


「取り敢えず着替えたのね?お風呂を準備するわね、それと温かいハーブティー淹れてあげる。

今日は冷えたでしょう?」

「……ありがとう」


リサの声は、どこかほっとした響きを帯びていた。

扉を閉めて出ていく母の背中を見送りながら、

リサはタオルを握り直し、もう一度髪を拭き始めた。

雨の帰り道で冷えた心が、ゆっくりと溶けていくようだった。


翔子への返信の前に、まずは濡れた髪を乾かそう──

そう思っていたところへ、サラがそっと置いていった湯気の立つカップ。


リサはベッドの端に腰を下ろし、両手で包み込むようにカップを持ち上げた。

カモミールの優しい香りが、雨で冷えた胸の奥までゆっくり染み込んでいく。


ひと口飲むと、温かさが喉を通って広がり、肩の力がふっと抜けた。

そのとき、スマホが小さく震える。

画面には、さっきの続き──翔子からのメッセージ。

挿絵(By みてみん)

【雨、大丈夫だった?】


リサは思わず微笑んだ。

翔子らしい、心配している文面。

雨に濡れて帰ってきた疲れが、ほんの少し軽くなる。


タオルを肩にかけたままスマホを手に取り、親指でゆっくり文字を打ち始める。

{あの後、少し降られちゃった、お風呂から出たらまたLINEするね?}


送信ボタンを押すと、またカップに口をつける。

温かい香りが鼻先をくすぐり、外の雨音が遠くに感じられた。


しばらくして、すぐに返信が返ってくる。

翔子のメッセージが画面にぽん、と弾むように表示される。

リサはその文字とゴメンと謝っているスタンプを見て、また少しだけ笑った。


「翔子のせいじゃないのに。」


雨の日の帰り道で冷えた心が、ゆっくりと溶けていくようだった。

カモミールの香りがまだ指先に残る。

カップを空にした頃、扉の向こうから母の声がした。


「リサ、そろそろお風呂に入りなさい。髪が濡れたままだと本当に風邪ひくわよ」


その声音は、心配と、少しの“いつもの調子”が混ざったものだった。

リサはスマホを置き、タオルを肩にかけたまま返事をする。


「うん、今行くね」


立ち上がると、まだ湿っている髪が少し冷たく肌に触れた。

その感覚に、ああ、今日は本当に降られたんだな、と改めて思う。


浴室に入ると、湯気がふわりと立ち上り、外の冷たさを押し返すように包み込んでくる。

シャワーの音が、雨音とは違う柔らかいリズムで響いた。


温かいお湯が肩に落ちた瞬間、リサは小さく息を吐く。

身体の芯までじんわり温まっていく。

そして──

自然と、翔子のことを考え始めた。


「次、何を送ろうかな……」


どんな流れが自然だろう。

今日の帰り道の雨のことを話すのもいい。

あるいは、翔子のほうから広げてくれそうな、軽い冗談を返すのも悪くない。

湯気の中で、リサは指先で湯面をなぞりながら考える。


「翔子、今日何してたんだろ……」


そんなことを思うと、胸の奥が少しだけ温かくなる。

お湯のせいだけじゃない。

シャワーの音に紛れながら、リサはふっと笑った。


「……{今度一緒にネイル見に行こうよ}とか、どうかな」


言葉にしてみると、思ったより自然で、思ったより嬉しい。

湯気の中で、リサの頬がほんのり赤く染まった。


お風呂から上がり、まだ頬にほんのり熱が残る。


パジャマに着替えたところで、母に「片付かないから」と催促され、パスタとサラダの夕飯を食べた。


部屋へ戻ると、ちょうどスマホが光った。

画面を開くと──

翔子からのメッセージ。

挿絵(By みてみん)

【見て!今回かなり上手くいったかも】


添付されていたのは、夕暮れの空をそのまま閉じ込めたようなネイル。

オレンジから紫へ、そして夜の青へと溶けていく絶妙なグラデーション。

指先がまるで小さな空みたいで、リサは思わず息をのんだ。


「……きれい」


自然に声が漏れる。

写真越しなのに、翔子の嬉しそうな顔まで浮かんでくる。

リサはスマホを持ち直し、返信画面を開いた。


指が「すごく可愛い」と打ちかけて──止まる。


文字じゃ足りない。

この気持ちを、ただの文章で送るのはもったいない。

それに、翔子の声が聞きたい。

あの、少し弾んだ話し方で「でしょ?」って言うのが目に浮かぶ。


リサは一度深呼吸して、まだ少し濡れている髪をタオルで押さえながら、

そっと通話ボタンを押した。

コール音が一度、二度。

胸の奥が少しだけ高鳴る。


『え?リサ?』


その声を聞いた瞬間、リサの表情がふわりとほどけた。

胸の奥が少しだけ温かくなる。


さっきまで文字で済ませようとしていた言葉が、自然と口の中で形になっていく。


リサはベッドの端に腰を下ろし、少し照れたように息を整えた。


「もしもし、翔子!?」


一拍置いて、声が柔らかくなる。


「 ネイル、めちゃくちゃ可愛いじゃない!」


言葉にした瞬間、胸の奥がすっと軽くなる。

文字じゃ伝わらない温度が、声に乗って翔子へ届いていく。

電話の向こうで、翔子が小さく息をのむ気配がした。


『でしょ? 結構自信作なんだ!』


その声音が、少しだけ嬉しそうで、少しだけ照れていて、

リサの頬も自然と熱を帯びる。


「うん。夕暮れみたいで……すごく綺麗だった。翔子にすごく似合ってるよ」


言いながら、リサは自分でも驚くほど素直だった。

お風呂で温まった身体のせいか、

それとも翔子の声のせいか、

胸の奥がじんわりと満たされていく。


『リサに言われると嬉しいなぁ』


電話の向こうで翔子が照れたように笑う。

その声を聞いた瞬間、リサの胸の奥がふわっと温かくなる。

ベッドの上で膝を抱え、自然と笑みがこぼれた。


「ほんとに綺麗だったよ。夕暮れみたいで……いつも明るいだけじゃなくて、少しだけ寂しがり屋な翔子の優しいところが出てる」

『えへへ、そうかなぁ。写真撮るのめっちゃ苦労したんだよ』


そんな他愛ないやり取りが、まるで呼吸みたいに続いていく。

やがて、部屋の扉がそっと開いた。

サラが湯気の立つ紅茶をトレイに乗せて入ってくる。


「長電話? 声が楽しそうね。はい、温かいの置いとくわね」


リサは少し照れながらスマホを胸元に寄せる。


「ありがとう、ママ」


サラは微笑んで、静かに部屋を出ていった。

扉が閉まる音が、夜の静けさに溶けていく。


『今、お母さん来た?』


翔子がくすっと笑う。


「うん。紅茶持ってきてくれた」

『いいなぁ、リサのママ優しいよね』

「ふふ、そうかな……」


紅茶の香りがふわりと広がり、リサはカップを両手で包み込む。

翔子の声と、温かい飲み物と、雨上がりの夜の空気が混ざり合って、

時間の流れがゆっくりになる。


「ネイルいいなー! 私も今度やってほしい! そういえばね、今日学校でさ……」

挿絵(By みてみん)

そこから話題は、ネイルの話から学校のこと、

今日見た面白い動画、次の休日の予定──

本当にどうでもいいようで、でも二人にとっては大切な話ばかり。

気づけば、時計の針は深夜を指していた。


『……ねぇリサ、眠くない?』

翔子が少しだけあくび混じりに言う。


「うん……ちょっとだけ。でも、翔子と話してると眠くならない」

『それ、嬉しいんだけど……寝不足にならないでよ?』

「翔子こそ」


二人は同時に笑った。

その笑い声が、夜の静けさに優しく響く。

挿絵(By みてみん)

窓から入ってくる風が少し冷たく感じ、カップの紅茶も冷めてしまった。

でも二人の声だけはずっと温かかった。


深夜の空気は静かで、

リサの部屋にはスタンドライトの柔らかい光と、紅茶の残り香だけが漂っていた。


スマホ越しに聞こえる翔子の声は、

雨上がりの夜みたいに落ち着いていて、

でもどこか名残惜しさを含んでいた。


『……ねぇリサ、そろそろ寝たほうがいいよ』

翔子が小さく笑いながら言う。


「うん……そうだね」

残念、と言う気持ちを悟られないように、リサも笑って答えた。


今日一日、雨に濡れて帰ってきたことも、

お風呂で考えていたことも、

翔子のネイルの写真を見て胸が温かくなったことも、

全部この電話の中で溶けていった。


少しの沈黙。


言葉が途切れた瞬間、互いの呼吸だけが聞こえる。

でもそれは気まずさではなく、

二人だけが共有できる静かな余韻だった。

その静けさの中で、翔子がそっと言う。


『リサ……また明日ね』


その声は、

まるで額にそっと触れるような優しさで、

リサの胸の奥に静かに落ちていく。


「……うん。明日ね、翔子」


言葉にした瞬間、

リサの心にふわりと温かい灯りがともった。

通話が切れたあとも、

翔子の声の余韻が耳の奥に残り続ける。

挿絵(By みてみん)

リサはスマホを胸に抱き、

ベッドに横になりながら目を閉じた。

深夜の静けさの中、

翔子の『また明日ね』が、

優しい子守歌みたいに響いていた。


部屋の中にはまだ、親友との温かな時間が流れている…

挿絵(By みてみん)

リサはスマホを抱いたまま、眠りへと落ちていった。


特別な事件なんて何一つ起きない、けれど二人にとっては代えがたい、宝石のような放課後のひとときだった。



シャロンの喫茶店 番外編 雨の放課後リサSide 完

あとがき…のようなもの


シャロンの喫茶店 番外編 雨の放課後リサSide をお届けしました。

何でもない、普通の一日が、とても大事なんだな、と最近のニュースを見ていると、強くそう思います。

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