学園編 演劇祭 〜翔子とリサのロミオとジュリエット〜
『君を想う気持ちに、理由なんていらないよ』
喫茶店「樹」の開店準備中。
翔子の放ったその一言に、リサの心臓は跳ね上がった。
「翔子……今のセリフ、すごく……ロミオっぽかった」
リサは顔を真っ赤にしながら、翔子から渡された演劇部の台本を抱きしめた。
リサと翔子の通っている学園では、演劇部が新入部員獲得のため毎年演劇祭と称して春に公演を行っています。
演劇祭では学園の生徒の中からヒロインを選び、出演してもらうことで話題になっていました。
その演劇祭のヒロインに今年はリサが選ばれ、ジュリエット役に抜擢されたのでした。
「リサ君!よろしく頼む!」
この人は、演劇部部長の佐嶋薫さん
でも演劇祭の期間中は自分の事を舞台監督、通称「ブタカン」と呼べと部員に強制しているような人だ。
「リサさん、よろしくお願いしますね」
この女生徒は副部長の虹川佳恵さん
部長が暴走しないようコントロールしているのがこの人だ。
二人は挨拶も早々にリサを衣装部屋に連れて行った。
「はいこれ台本ね、時間がないから急いで覚えてね?」
とリサに台本を手渡した。
「衣装係!ジュリエットの衣装合わせお願い!」
リサが殆ど返事をする間もなく、次々と事が進行してゆく…
「あ、リサ!来たね!」
「翔子〜」
衣装部屋にいた翔子を見つけ、リサが駆け寄る
心の準備をする暇もなく、物事が進んでゆく事に少々不安になっていた。
翔子は裏方に回り、舞台で使用する小道具や衣装の調整、そして何よりリサの練習に付き合うことになったのだ。
『たった一つの私の恋が、憎い人から生まれるなんて』
リサは衣装合わせをしながら、台本を読み始めた。
「リサ…本当にジュリエットみたい」
ジュリエットの衣装を着たリサを見て翔子が喜んでいる。
しかし、リサはというと
「うう…時間がないから、覚えるのに必死だよぉ(汗)」
と、台本と悪戦苦闘していた。
「あたし、ジュリエットを演じられるかな…」
人前に立つことへの不安を感じていたリサだったが…
「リサのジュリエット、私が一番近くで見てるから!」
という翔子の熱い励ましに背中を押され、挑戦することにしたのだった。
『知らずに逢うのが早すぎて、知ったときにはもう遅い。』
「リサちゃん、素敵い♪」
と練習しているリサを見ているシャロン
役が決まってからというもの「樹」の開店前と閉店後は、二人の練習場になった。
「翔子、ロミオのセリフ、もう一回言ってみて?」
「えっと…『もしも あなたの愛が得られぬならいっそ命を終わらせるほうが ましだ』」
『どうやってこの場所がわかったのです』
『愛が…愛が私を導いてくれたのです』
リサのリクエストで、翔子は毎日ロミオのセリフを読み続けた。
翔子の声は真っ直ぐで、時に不器用だが、リサへの優しさが込められていた。
毎日練習に付き合ううちに、翔子はロミオのすべてのセリフを暗記するほど覚えてしまった。
「ハイッそれじゃあ全幕通しで!」
今日は本番前の全幕を通してのリハーサル。
照明が当てられた広い講堂の舞台に立ったリサは、今までにないプレッシャーを感じていた。
「お…お願いします」
観客席を埋めるスタッフや先生たちの視線が、針のように痛い。
『たとえあなたが最果ての海の彼方の岸辺にいても、これほどの宝物、手に入れるためなら危険を冒しても海に出ます。』
「あ…………」
「…リサ?」
リサは台詞を忘れ、声が震え、舞台上で立ち尽くしてしまった。
「部長」
「虹川君、舞台監督と呼び給え!」
「あ〜、「ブタカン」」
「何だね虹川君」
「リサさん、ちょっとマズイですね…」
「うむ…」
「翔子……やっぱり私、無理……!」
舞台袖に戻ってきたリサは、震える声で翔子の腕を掴んだ。
「みんなの視線が……怖いの」
「大丈夫だよ、リサは観客じゃなくロミオだけを見ていればいいんだから…」
翔子はそう言って、ロミオ役の演劇部の高橋を見た。
しかし、彼もまた、緊張で顔がこわばっていた。
「おい高橋!お前が緊張していたらリサ君に伝わってしまうじゃないか!」
「ス、スミマセン!」
「こっちもですか…」
「まったく…高橋は、顔は良いのに度胸がないからなぁ」
佐嶋はリサに向かって言った
「リサ君、今の君には悲しみの帳が降りているかもしれないが、大丈夫!朝日が昇れば帳はなくなるものさ!」
「…明日になれば気持ちも落ち着くと言ってます…ごめんなさいね、分かりづらくて」
と虹川がフォローしました。
そして、演劇祭当日。
「ロミオ役の高橋君が、足を捻挫しちゃったって!」
「なぁんだってえぇぇーっ!!!」
佐嶋の悲鳴が響き渡った。開演まであと30分。
「だ、だ、誰か代役を…」
「主役ですよ!代役なんて、今から探せるはずがないじゃないですか!」
「…あの」
誰もが絶望する中、翔子が立ち上がった。
「私が……ロミオの代役をやります」
「ええっ!?」
「ロミオのセリフなら、全部入ってます。だから…」
「翔子さん、そうは言っても…」
「お願いします。やらせて下さい!」
そう言って頭を下げる翔子に、佐嶋が頷く
「…どうせこのままでは幕を上げられない…翔子君、君に賭けてみよう!虹川君!」
「了解です、みんな!急いで調整し直して!」
衣装係やメイク係が大慌てで衣装を翔子に合うように詰める。
照明係や舞台装置を確認する大道具達
小柄な翔子のために、段差を使えるよう演出を加えたりと、皆それぞれが今できる事をおこなった。
「翔子…大丈夫なの?」
リサが心配そうにそう言った。
「リサがここまで頑張ってきたんだもん、中止になんかさせないよ」
翔子はロミオの衣装に着替えた。
「これを付けて」と、翔子は佐嶋から仮面を手渡された。
「君はどこから見ても、か弱い女の子だ。
だが、仮面を付ければ別人として、ロミオとして、僕が演出してみせよう!」
と佐嶋は翔子を送り出した。
舞台袖で、ジュリエット衣装のリサが、不安と期待の入り混じった瞳で翔子を見つめる。
「翔子……?」
「リサ。一緒なら怖くない。……私のロミオを見てて」
翔子はそう言って、リサの手をぎゅっと握りしめた。
「ブタカン…本当に始めて良いんですね?」
「虹川君…度胸の座り方なら、高橋より翔子君の方が遥かに上だ」
「…分かりました」
虹川が開演のブザーを鳴らす
舞台の幕が上がり、スポットライトが二人を照らす。
「さあ、いこう!」
仮面をつけた瞬間、翔子はロミオとして、ジュリエットを守る騎士として、堂々と舞台中央へと進んだ。
物語の冒頭、二人は順調に演技をこなしていった。
しかし、あのシーンが訪れる
『たとえあなたが最果ての海の彼方の岸辺にいても、これほどの宝物、手に入れるためなら危険を冒しても海に出ます。』
次は通し稽古で出てこなかったリサのセリフだ。
皆が緊張してリサを見ている。
(!ブタカン!リサさんの目が泳いでいます!)
(シッ!虹川君、静かに!)
翔子はそっとリサの手を握り、リサを見つめた。
リサは小さく頷き、ふうっと息を吐く…
そして
『夜の仮面が顔を隠してくれていますが、そうでなければ、今夜あなたが聞いた私の言葉を思って、私の頬は赤らんでいることでしょう……あなたは私のことを愛してくださる? 答えは『はい』だと分かっています』
リサは落ち着きを取り戻し、通し稽古で失敗したセリフを言い終えた。
(よしっ!)
と佐嶋は小さくガッツポーズ
(はぁ…ヒヤッとしました…)
虹川は、ほっと胸をなで下ろしました。
失敗したシーンを乗り越えた事で、その後のリサの演技には目を見張るものがあった。
リサの凛とした声が講堂に響く。
それを見つめる翔子の胸は、自分の出番の時よりも激しく高鳴っていた。
『ああ、ロミオ、ロミオ、どうしてあなたはロミオなの。』
ジュリエットが愛しい人の、その名を呼ぶ
『君を想う気持ちに、理由なんていらないよ!』
ロミオの真っ直ぐな声が、ジュリエットへと届く…
『私が死んだら、ロミオをあげる。ばらばらにして、小さな星にするといい…
そうすれば夜の空がとても美しくなり、世界中の人が夜に恋をして、ぎらぎらした太陽なんて誰も拝まなくなるわ』
リサのジュリエットがバルコニーで夜空を見上げる。
愛しい夫を待つその姿は、その後の悲劇を知る由もなく、ただ美しく…
悲しくなるくらい美しかった。
観客は息をのみ、瞬きも忘れてその熱演に引き込まれていく。
物語は終盤…
『ああ、意地悪。全部飲み干して、あとを追う私に一滴も残してくださらなかったの? 』
『まだそこに毒が残っているかもしれない。』
『私を殺して、あなたのキスで。』
悲劇の恋物語は幕を閉じ
リサは見事にジュリエットを演じきったのでした。
「ブラボー!!」
カーテンコールでは、割れんばかりの拍手が鳴り響いた。
仮面を外した翔子とリサは、観客に一礼しました。
そしてお互いの顔を見て笑い合う二人…
観客席の中にシャロンはいました。
「二人には黙ってたけど観に来ちゃた…二人共良く頑張ったね…」
シャロンは二人の成長に拍手を送った。
「ブタカン!やりましたね!」
「…………虹川君」
「まったく…舞台監督が何泣いてるんですか?」
「スマン……」
翔子のロミオとリサのジュリエットは、大成功を収めたのだ。
終演後、「樹」のカウンター席に並んで座る翔子とリサ。
まだ少し興奮冷めやらぬといった様子で、2人だけの打上げをしていた。
「すごかったね、翔子!」
「リサもね! 最高のジュリエットだったよ!」
そこに、シャロンが小さな皿を二つ差し出した。
そこに乗っていたのは、コロンとした白生地とココア生地のクッキーだった。
「お疲れ様。
今日は演劇祭の特別仕様よ♪」
「シャロンさん、これは?」
「これは『バーチ・ディ・ジュリエッタ』と『バーチ・ディ・ロミオ』。
ロミオとジュリエットの舞台になったイタリアのヴェローナの焼き菓子なのよ」
「愛の町ヴェローナ!だね」
「そうそう」
シャロンが続けて説明してくれる。
「名前の意味は『ジュリエットの口づけ』と『ロミオの口づけ』。
ジュリエットは明るいバニラやナッツ生地、ロミオはダークなココア生地でね。
2つの小さなクッキーでチョコレートを挟んでいるの…
きっとヴェローナの職人さんが「離れられない二人」や「誓いのキス」をイメージして創ったのね」
「誓いのキス……」
リサは照れたように呟き、翔子と顔を見合わせた。
「ねぇ、翔子……私、本当は舞台、すごく怖かったんだ」
リサは小さなクッキーを手に取ると、ぽつりと打ち明けた。
「でも翔子が代役で出てくれた時、『一緒なら怖くない』って、そう思えたの。……翔子の隣が、一番安心するんだよ」
「私もだよ、リサ」
翔子は自分のロミオのクッキーをそっと見つめた。
「リサがいたから、私、出られたんだよ。……あの舞台で、リサのジュリエットを私が一番近くで見たかったから」
「樹」からの帰り道、満点の星空の下。
二人は、ふと足を止めた。
「ねぇ、あのセリフ、もう一回言ってみない?」
リサがそっと、舞台のセリフを口にする。
『ロミオ……どうしてあなたはロミオなの……?』
翔子も、少し照れながら、けれど真っ直ぐに答えた。
『君を想う気持ちに、理由なんていらないよ』
はにかむ二人の間に、温かい沈黙が流れる。
「来年も、また何か一緒にやろうね!」
「うん!」
夜風が、二人の笑い声をそっと運び去っていった。
甘く、そしてちょっぴりビターな「口づけ」の味が、二人の友情の証のように、いつまでも心に残ったのでした。
シャロンの喫茶店 学園編 演劇祭 〜翔子とリサのロミオとジュリエット〜 完
喫茶店「樹」の焼き菓子
『バーチ・ディ・ジュリエッタ』と『バーチ・ディ・ロミオ』
ジュリエットはバニラ生地、ロミオはココア生地の小さなクッキー
2枚のクッキーでチョコクリームを挟んだ、コロンと可愛いらしい形が特徴です。
あとがきのようなもの
このエピソード、最初はリサと翔子だけの話でした。
でも、ものすごく甘々になってしまったので、演劇部の佐嶋部長と虹川副部長を登場させたのですが…
佐嶋部長が想像以上に強烈なキャラになってしまいました。




