女魔術師、家に帰る (3)
お茶と焼き菓子で休憩した後で、彼女はゆっくりと立ち上がった。今日のうちにやっておかなければならないことが、まだ残っている。
父の書斎だった部屋に入った。本格的な掃除は明日にするつもりだが、書棚の前の埃だけは箒でさっと払っておく。それから雑巾をもう一度しぼってきて、ぽっかりと空いたままになっている棚を丁寧に拭いた。父の研究記録が置かれていた場所だ。
もちろん、父が著した書物の多くは魔術師の都に残されている。高弟だったアルガとカジリアがそれを引き継ぎ、さらなる研究の基礎としているはずだ。
だがここにあるものはその精髄。父の真価を示すものであり、他人に預けるにはあまりにも危険なもの。
生前の父はその研究を誰にも見せようとしなかった。娘の自分だけではなく、アルガやカジリアでさえ、その中身を見せられることはなかったはずだ。
町に避難すると決めた時、それを置きっぱなしにすることは出来なかった。無論、持ち運びすることにも危険は伴う。この小屋には父が防護呪文を幾重にも施している。動かさない方が安全かもしれない、そう思いもした。けれど、
(封印はいずれ破られるものよ。どんなに厳重にしたとしてもね)
自分の言葉が耳に甦る。そう、永遠に閉ざされる門などない。どんな優れた魔術師が封印を構築しても、いつか誰かがそれを破る日が来る。太古の魔術に興味を引かれ、研究をして来た自分はそのことをよく知っている。
そして破却ではなく封印を選ぶ魔術師自身も、結局はそれを望んでいるのだ。
彼らが期待するのは自分の研究成果をこの世から消し去ることでも、忘却されて記憶の彼方に葬り去られるのを待つことでもない。いつか誰かに発見され、その価値が再び見いだされることなのだ。
破られることを望んで施す、封印とはそんな矛盾した心の産物に他ならない。洞窟の研究室…… ここよりも厳重に閉ざされたあの場所にこの記録を置くことさえ、父は望まなかった。つまり、そういうことなのだ。
重い研究記録を、一冊一冊自分で書斎に運んだ。すぐには書棚に入れない。手順が必要なのだ。
この記録を定められた手順で定められた場所に置くことこそが、小屋を守る封印の要だ。書棚から記録が失われている間は、ここは単なる居心地の良い家でしかない。だが全てを元に戻せば、望まぬものを近付けることはない鉄壁の要塞となる。
父が数年をかけて構築した防護呪文だ。なまなかな魔術師に解くことは出来ないだろう。彼女と共に研究室を封印した、あの男であってさえ。
防護を再発動させるための呪文を唱える前に、すべての記録がそろっているか確認する。町長の家を出る時も、小屋にたどり着いて馬車から荷物を下ろした時にも確認したが、玄関から書斎に運び忘れたものがあるといけない。呪文を唱え始めたら、手順通りに速やかにことを為さねばならないのだ。不備は許されないし、タラバランの娘としてそんな不様をさらすつもりもない。
一冊一冊の題名を確かめながら、儀式で使う順番通りに並べ直していく。最後の一冊、要である記録を手にしてマージョリーは満足げにうなずく。問題はない、これで儀式を始めることが出来る。
だが、それを置く前に小さな違和感に気付いた。厚い記録の中ほどに、不自然な隙間が出来ている。何か挟まりでもしているのか、それとも。
開いてみると、父の筆跡がびっしりと記された頁が一枚、ちぎれてなくなっていた。




