波濤を越えて (16) その日
満月の日がやってきた。ティンラッドは時間を見つけてオルムスを訪ねた。夜の出航を控えて船員たちは忙しかったが、オルムスは快く相手をしてくれた。
「オルムスお父さんには世話になったからな。食べ物を少し買って来た。船で食べてくれ」
その呼びかたは最後まで直らなかったなと思いながら、オルムスは渡された包みを開けてみた。そしてため息をついた。
「お前、これ。港町の子供のくせに、船のことを何も知らないんだな。こんなもん、ここですぐに食べた方が美味いに決まってるじゃないか」
ほかほかと湯気を立てている肉まんじゅうに、その場でかぶりついた。
「何だ。長い航海だって言うから、腹が空いたときに食べたらいいと思ったのに」
「こういう食べ物は焼き立てに食うものだろ。保存するなら干し肉か乾パン、皮の厚い果物じゃねえと」
「そうなのか。知らなかった」
「後は酒だな」
「酒か」
「酒だ」
ティンラッドは首をひねる。
「うーん。俺の持っている金じゃ、安い酒しか買えないだろうなあ」
「期待してねえよ。ろくに飲んだことのないガキじゃあ、美味い酒は選べないだろうしな」
もらったものを平らげたオルムスは、
「これで十分だ。美味かったよ、ティンラッド。ありがとう」
礼を言ってから、
「で、どうだ。うまくやってるのか」
と聞く。
「うん。アニタの埋葬も済んだ」
ティンラッドはさばさばと言った。
「用心棒の仕事は俺に向いてる。今までは館の手伝いをしても一文にもならなかったけど、これからはこうやって休憩していても一日ごとに借金が減る。そう思うと楽しい」
「お前、いい根性してるよ」
オルムスは笑った。
「客のいない時間はあまりやることもないし、読み書きを教わっていたときより楽だぞ」
「読み書きくらいは覚えろよ。勉強をサボると後で後悔するからな」
自戒の意味を込めてオルムスは言った。彼も勉強は嫌いだったクチだった。
「上手くいってるなら良かった。俺はもう面倒見てやれないが、しっかりやれよ。ティンラッド」
「ああ。キオイ家の息子を何度か敷地で見かけたから、そのたびに殴り倒している」
「お前、それでいいのか。穏便なおさめかたというやつも世間にはあるんだぞ」
オルムスは呆れたが、
「楼主さまもそれでいいと言っていたぞ」
少年は気にする様子がない。楼主という人物も、このごたごたで頭にかなり血がのぼっているのだろうとオルムスは思った。
「じゃあ、お別れだな」
「うん。またこの港に来ることがあったら、館に寄ってくれ」
「そうだな。いつになるかはわからないが」
オルムスは名残を惜しむように丘の上の館に目を向ける。
「煙が出ていないか」
「え?」
急に険しくなったオルムスの声に、少年も振り返った。
木に囲まれた白い館の後ろから、黒々とした煙が上がっていた。
厨房やゴミ焼き場の煙突がある場所とは違う。少年は顔色を変えた。
「お父さん、すまない。俺は様子を見に戻る」
「急いだほうがいい。煙の量が多い。もしかしたら大きな火事かもしれないぞ」
オルムスに急かされたティンラッドはうなずいて、すぐに走り出した。
波止場から町はずれまでは遠い。裏通りを駆け抜けようやく町の外に出た時には、もう白い館は黒煙に包まれていた。
「おい。あれ、火事じゃないのか」
町を囲む城壁の門番たちも、丘の上を指差して騒いでいる。
「頼む、火消しを呼んでくれ」
ティンラッドはそう叫んで、坂道に向かった。慣れた道のりが、ひどく遠く感じた。
丘を半分ほど登ると、ものが燃えるにおいが漂ってきた。進むほどに灰と火の粉が舞い始め、女たちの泣き声や叫び声が聞こえてきた。少年はさらに足を速めた。
次回は 7/15 更新です。よろしくお願いいたします。




