波濤を越えて (7) 雨の降る日
ティンラッドは、自分が神殿の魔力取り扱い講習を卒業(チェリャに言わせればクビ)だと言われたことを娼館の大人たちには黙っていた。自由な時間が欲しかったからだ。
だが当然と言えば当然だが、三日でバレた。
楼主が神殿神官から、『子供のしつけがなっていない』と文句を受けたのだ。
これも当然のこととして、ティンラッドはひどく叱られた。楼主は雇いの用心棒に鞭を渡して、『これでこの小僧をひっぱたけ』と命じた。昔は自分でやっていたが、今ではティンラッドが自分より大きくたくましくなったので怖いのだ。
用心棒のジャンパはそれを断った。
『俺は鞭には慣れていないし、あいつはすばしっこい。当たりやしません』
『だったら剣で痛い目を見せてやれ』
楼主はジャンパの腰の剣を指さしたが、用心棒はまたしても首を横に振った。
『技では俺が上ですが、力と速さではあいつのほうが上です。あいつとやるなら、俺は命を賭けなくちゃいけなくなる。今もらっている給金の三倍の額を、一時金として上乗せしてもらわなきゃ割に合いません。即金で払ってくれるとおっしゃるなら考えますが』
楼主は激怒し、わめいて強制しようとしたり、下手に出てやらせようとしたりしたが、ジャンパは頑として譲らなかった。結局、楼主はティンラッドに体罰を与えることを諦めざるを得なかった。
「代わりに三日間、館から外出するのが禁止になった」
ティンラッドは深いため息をついた。
「鞭打ちのほうが良かった。ちょっと痛いのを我慢すればすぐに終わるんだから」
「そんなことを言うのはお前だけだ。僕は楼主さまに鞭で打たれたとき、熱を出して三日間寝込んだぞ」
講習に行くために靴ひもを縛り直しながら、チェリャが言う。
「俺だって小さいときは寝込んだ。でも今は大きくなったから、そんなことはないだろう?」
ティンラッドは首をかしげる。
「寝込むよ。大人だって鞭打ちされたら寝込むし、一ヶ月くらいは痛くて動くのもつらいんだ。傷が治らなくて死ぬ人だっているんだぞ。お前がおかしいんだ」
そう言って立ち上がり、チェリャは窓から館の外を見る。
「雨、降るかなあ」
「どうだろう」
ティンラッドは扉を開けて、頭だけを外に突き出した。『外出禁止』なので、正直に足だけは館の中に残している。
「雲がだいぶ厚いな。降るんじゃないかなあ。海のほうの雲が厚くて低いときは、だいたい雨になるからなあ」
「ティンラッドの雲見は当たるんだよなあ。仕方ない、外套を持っていくよ」
チェリャは奥に戻って、用心棒たちや雑役夫の控え室から古びた外套を持ってきた。
「大丈夫か? 穴が空いてるやつじゃないか?」
「これはまだ大丈夫だったはずだけど」
言いながら、チェリャは疑わしげに外套を裏返して確かめる。
「いけない、もう行かなくちゃ遅刻だ。じゃあ行ってくる」
「うん。あいつらに殴られるなよ」
「ティンラッドが気が付いたぞって言ったら、少しおとなしくなったよ、あいつら」
笑ってそう言ったチェリャの背中が坂道を下っていくのを、ティンラッドは見送った。
見えなくなると、ため息をついて扉を閉める。外に出ることも出来ず、相棒である兄弟もいなくなってしまったら、どうやって退屈と戦えば良いのだろう。
……と思ったのだが。
「ティンラッド! あんたが蹴り倒して壊した屏風と、あんたが頭から突っ込んで破った壁掛けと、あんたが客とケンカして壊した壷! さっさとまとめてゴミ置き場に出してよ」
「ちょっと、ティンラッド。あたしの部屋の衣装箱、棚の上から下ろしてって頼んだじゃない。いつになったらやってくれるのよ」
「ティンラッド。ヒマならそこの大きい鉢植えを動かしてくれない。扉を開け閉めするたびにぶつかって邪魔なのよ」
「ティンラッド。洗濯屋が持って行けるように、そこの洗濯ものの大かごを裏口の前に出しておきな。五つあるからね」
思ったより『退屈は』しない。館のどこへ行っても、
「ティンラッド」
「ティンラッド!」
と呼ばれて、仕事を言いつけられる。
それに対して、
「ああ、リファお母さん、今やる」
「リゼリアお母さん、ちょっと待ってくれ」
「ミルタお母さん、次にやるよ」
次々に返事をしては用事を片付けるのだが、力仕事ばかりで少々飽きてきた。
「おおい、ティンラッド。この箱から古い帳簿を出して、ここの棚に並べてくれるかね。年寄りには腰を曲げ伸ばしするのがつらくてなあ」
「ティモさん。それは俺じゃなくて、チェリャが帰ってきたらやってもらったほうがいいんじゃないかなあ」
そう言うと、老事務員は目をぱちくりさせる。
「おやおや。母親たちの頼みは断らんのに、わしの頼みは断るのか。それは冷たいんじゃないかのう」
「だって」
ティンラッドは赤くなり、
「チェリャは帳簿にさわるのが大好きだから、喜ぶんじゃないかと思って」
と言い訳した。年寄りとはいえティモは男なのだから自分で出来るだろう。ついそう思ってしまった自覚はあった。
「神殿で一日中、勉強してくるんだ。チェリャは疲れているよ。それでも夕食までの時間、帳簿のつけかたを教えてくれと言ってくるんだ。どうだね、ティンラッド。相棒のために少しでも多く勉強に使う時間を作ってあげたいとは思わんかね?」
そう言われてしまうとどうしようもない。ティンラッドは唯々として老事務員に従って作業をした。
ホコリまみれの古くて重い帳簿をすべて棚に並べ終わったときには、少年の背中と腰も悲鳴を上げていた。




