波濤を越えて (6) この先も
二人は並んで、丘の上の娼館への道をたどる。
「チェリャ」
しばらく黙っていたティンラッドが、口を開いた。
「一緒に、オルムスお父さんに剣を教えてもらわないか。手が空いているときならいつでも教えてくれるって言ってただろう」
「あのひとは、いいひとだな」
オルムスが『自分の船の神官に、修繕の神言を使ってもらうよう頼んでもいい』と言ってくれたことを思い出しながら、チェリャは言う。
「でも、やらないよ。甘え過ぎちゃダメっていうのもあるけれど、僕が剣なんか習っても何の役にも立たない。お前とは違うんだ。力もない。僕は鍛えても強くなれない」
「じゃあ、あんなやつらにいたぶられているほうがいいのか。そんなのおかしい」
ティンラッドはむすっとした表情になる。
「前にも言ったろ。僕は算術が好きだし得意だから、娼館では帳簿付けやほかの事務の仕事をしたいんだ。僕が出来れば、楼主さまはよそのひとを雇わなくて良くなるしね。魔術の才能も少しでもあるなら、勉強したいよ。草刈りとか水路の補修とか、魔術が使えたら楽になる仕事があると思うんだ」
教えてくれるひとがいればの話だけどね、とチェリャは付け足す。
簡単な魔術を教えてくれる魔術師は町にもいるかもしれない。けれど、借金を背負って生きる娼館の子供には、代価が払えない。
「だけど、殴ってくるやつには算術じゃ勝てない」
ティンラッドの声は低いままだ。
「だよなあ。魔術師見習いになれたらいいのにな、火の呪文や風の呪文を唱えて、そういうやつらに思い知らせてやってさあ」
チェリャは笑う。その明るい声は、海から吹いてくる風にさらわれて中空へ消えていく。
「やっぱり、少しくらいは身につけておいたほうがいいと思う。剣術でも体術でも。酔っぱらって、急に殴りかかって来る『お父さん』だっているだろう」
「いくら酔っぱらっていたって、お客さんに殴りかかられたりするのはお前だけだ。もし、そんな人がいたら僕は逃げるよ」
赤毛の少年はそう言ってから肩をすくめた。
「逃げる練習ならしてもいい。足なら、僕だってまあまあ速いからな。今日は仕方なかったんだよ。お前が悪いんだぞ。神殿の中を勝手に探検したりするから、教室と便所以外は立ち入り禁止になっちゃったんだ。逃げ場がなかった」
「そうなのか」
背の高い少年は驚いたように目を見開く。
「別に隠すようなものもないだろうに、なんでそんなことをするんだろうな」
「お前が! 勝手に探検なんかするからだよ!」
チェリャは力を込めて繰り返した。
「ひとは、自分の住んでいるところを他人に勝手に歩き回られるのはイヤなんだよ。考えてみろ。お前だって、僕たちが住んでいる小屋にお客さんが勝手に入ってきたらイヤだろう」
ティンラッドはしばらく考えた。それから、
「確かに、それはイヤだな」
とうなずいた。
「そうか。あれくらいで怒るなんて神殿のひとは短気だなあと思っていたんだが、俺が悪かったんだな。明日、神官さまにあやまろうかなあ」
「あやまっておけよ。それで講習に復帰させてくれはしないだろうけど」
「俺はもう出来ているから卒業だって言われたぞ」
「追い出されたんだよ、バカだな! わかれよ、それくらい」
言い合いながら、二人は歩いていく。
細い小道は、町を離れると上り坂になり、両側は生い茂った藪や木立ちばかりになる。
「まったくもう。剣術ばっかりやっていないで、お前ももっと算術やなんかを勉強しろよ。簡単な計算くらいできないと、頭の回るやつにむしられるぞ」
チェリャの言葉に、ティンラッドは言い返せなくなる。読み書きや算術の勉強は苦手なのだ。座って文字を見ていると、すぐに眠くなってしまう。
「人には向き不向きがあるんだ。お前だって、楼主さまから帳簿係になれと命令されたら困るだろう」
「それは困る」
「な。僕は用心棒になれって言われたら困るんだよ。剣を持っても、棒を持っても、僕は相手に殴られて終わるよ。向いていないんだ」
そう思うのは、ティンラッドといっしょに育ってきたからでもある。
体を使うことはなんだって、この同じ日に生まれた兄弟にかなわなかった。競うのも無駄だと思わざるを得ないほどに。
「僕はお前みたいなやりかたでは戦えない。だから礼儀作法や、人付き合いや、算術やなんかで戦えるようになる。最後は逃げ足を使う。たまには殴られるかもしれないけど、なるべくそうならないように立ち回れるようになる」
「チェリャ」
ティンラッドは何か言おうとして黙る。しばらく考えながら歩いたあと、
「俺が、いつでもお前を守れたらいいのにな」
と、ぽつりと言った。
「そして俺の勘定書きの計算はチェリャがしてくれればいいのにな」
「自分で出来るようになれよ」
チェリャはすかさずツッコんだ。
「まあ、お互いに自分の出来ることをして、助け合っていこうよ」
坂道の上の、彼らの家である娼館を見上げながらチェリャは言った。
「僕たち、この先もずっと一緒なんだから」




