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波濤を越えて (1)

 このシリーズは R15 です。ご注意ください。

「よし、覚悟しろ、お父さん」

 元気のよいかけ声と共に、少年は木刀を撃ち込んだ。

 だが鞘に入れられたままの剣がそれを無造作に払う。勢いをつけての一撃をいなされて、少年はたたらを踏んだ。


「おっと」

「ほい、ここまでだ」


 少年の喉元に剣先を突きつけて、男は笑う。筋肉のついたがっしりした体格で、着古したどこかの軍服を肩から羽織っている。日に灼けた顔は、いくつもの航海を経験してきた人間のそれだ。


「実戦だったらこれでお前の命はおしまいだ。もう少し腕を磨いたほうが良さそうだな、ティンラッド?」

「いけると思ったんだけどなあ」


 背丈はもう十分に高いが、腕の太さや胸の厚さでは向かい合っている男にはまだとてもかなわなかった。声にもまだ幼さが残っている。

 自分が負けたことに合点がいかない様子で首をかしげてから少年は、


「いや、お父さんがすごく強いんだな。稽古をつけてくれてどうもありがとう。また来て、俺の相手をしてくれよ」

 納得したように明るく笑って言った。男は苦笑した。


「また来いって気楽に言うがなあ。ここに来るには、先立つものが必要なんだよ。俺はそれほど金を持ってねえ」

 その返答に少年はガッカリした表情になる。

「そうか。それは残念だなあ。でも仕方ないな。お父さんたちに無理を言うと、楼主さまに怒られる」


「さっきから気になってたんだが、その『お父さん』って何なんだよ」

 男は、言葉に少し不満をにじませる。

「この町に来たのは初めてなんだぜ、俺は。神に誓ってお前の父親じゃないんだぞ」


 彼、オルムスは船乗りだ。昨日の午後、この町の港に錨を下ろしたあと、懇意にしている高級船員が町の娼館に彼を誘った。おごりだと言うので、オルムスはありがたく相伴することにした。


 久々の陸地で楽しい夜を過ごした後、朝早く目を覚ました彼は娼館の中庭で日課の鍛錬をしていた。そこへ、この少年が現れて『稽古をつけてくれ』と話しかけてきたのである。


 ティンラッドと名乗った少年は、聞けば娼妓の息子なのだという。好奇心半分、ヒマつぶし半分でオルムスは少年の願いに応じた。一緒に来た高級船員はどうせ昼頃まで(おんな)とゴロゴロしているつもりだろう、いつだってそうなのだから。


 とはいえ根拠のない『お父さん』呼びにはオルムスも抗議したい。この年になるまで妻を持ったことはないし、娼婦相手にだって身に覚えはないのだ、少なくともこの町では。


 しかしティンラッドは不思議そうに首をかしげた。

「ここに来るお客さんはみんな俺たちの『お父さん』だ。そう思えって楼主さまがいつも言ってる。『お母さんたち』の相手なんだから、お客さんはお父さんなんだって」


「いや、父親っていうのは世界にひとりしかいないだろう」

「どうして」

「どうしてって、お前、そりゃあ」


 言いかけて、オルムスはどこをどう説明したものか迷った。娼婦の息子というのなら、男女のあれこれを全く知らないということはないだろう。けれど、その話をしたところで説明になるのだろうか。おそらく『父親』というものを知らないで育っている、この少年に。


「女の子だったら、大きくなってお母さんたちと一緒に働けるんだけど」

 ティンラッドはそう言って、ため息をついた。話がそれて、オルムスは正直ホッとした。

「俺は男だから、何か他のことで役に立たなきゃいけない。戦うのが好きだから、腕を磨いて用心棒になろうと思うんだ」


「ああ、そうなのか」

 少年の言葉に、オルムスは納得した。


 娼婦に子供を産ませるのは珍しい話だ。だが堕胎で命を落とす女もいる。同じことなら産ませてしまって、その子をまた娼婦にするというのも手ではあるのだろう。養育費はかかるが、新しい女を探す手間はない。仲買人に払う高い金も要らない。子供は産んだ娼婦を足抜けさせない枷にもなる。


 男の子は男の子で、用心棒だの娼館の雑用だのをさせれば良いわけか。子供の時から世話をすれば、経営者への忠誠心も出来るだろう。あまり聞かないやりかたではあるが、試みとしては悪くないのかもしれない。


「強くなって、お袋を守るんだな。ティンラッド」

 いろいろな人生がある。彼自身の旅路とて、わざわざ語るような明るいものではない。

 それでも、娼館という小さな世界に母と二人で縛りつけられて生きていくのだろうこの少年への同情は湧いた。


「俺は『はやての鷲』って船に乗っている。オルムスって名前だ。ついでがあったら顔を出すといい。暇だったら、また剣を教えてやるよ。お前は筋がいい。ちゃんと鍛えたらかなりの腕になるだろう」


「ありがとう、オルムスお父さん」

 少年は真面目くさった顔でうなずいた。

「だけどちょっと間違えてる。俺が守るのは『お母さん』じゃなくて『お母さんたちときょうだいたち』だ」


 きょとんとしたオルムスに、彼は当然のように続けて言う。


「館で客の相手をする女はみんな俺たちの『お母さん』だ。子供はみんなきょうだいだ。そう教えられてきたぞ。ああ、でも……ひとつだけ分からないことがあるんだ。お父さんは親切だから、聞いてみてもいいかな。今はまだ、俺と一緒に雑用している妹たちなんだけど、そのうち客を取るようになったらあの子たちも『お母さん』になるのかな。その時、俺はあの子たちを『妹』だと思ったらいいのか、『お母さん』だと思ったらいいのか、どっちなんだろう」


 オルムスは、答えることが出来なかった。

 

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