恋と秤の物語 (最終回)
『セルゲイがリリアにきっぱりフラれた』。
その話はすぐに、タイザの町中に広がった。
どういうわけだか『不幸な運命に引き裂かれた二人』と解釈してくれる知人はひとりも現れず、みんな『リリアは計算高いから、大店の息子と比べられたらどうしようもないよ。不運だったな』と、セルゲイだけを慰めてくれるのだった。
そんなにも、誰の目からも自分は『神の秤』の四男坊に劣っているのか。
その扱いは失恋の痛手以上にセルゲイの心を傷つけた。
しかし、たったひとりだけはいた。彼とリリアの恋を真実のものと認め、二人の別れを理不尽と憤り、セルゲイとともに苦しんでくれたものが。
その男は、リリアの結婚式を二日後に控えた夜遅くに酒場に現れた。セルゲイはそこで酔いつぶれて半分眠っていた。頭巾を深くかぶっていたので、相手の顔はよく見えなかった。
「間に合わなくなる前にあなたに会えてよかった、セルゲイさん」
男はそう言って、懐から出した重そうな革袋を彼の前に置いた。
「三十ゴル入っています。少ないが、当座の生活くらいは何とかなると思う。リリアさんを連れて逃げてください。あなたたちは結ばれるべきだ」
セルゲイは酒で濁った目で、ぼんやりと革袋の中をのぞいた。キラキラ光る金貨がぎっしりと詰まっていた。
「借金のかたに人を無理やり結婚させるなんて、そんなことはあってはいけない。彼女は納得してのことだと言うけれど、それで互いが幸せになれるわけもない。父はなんとか私が説得します。あなたたちは逃げて、どこかの神殿に行くんだ。神官によって結婚が認められてしまえば、私の父でもどうしようもない。さあ、幸せになるんです」
セルゲイは、しばらくぼんやりとしていた。
そうしているうちに少しずつ頭がはっきりしてきた。
そして相手の優し気な口許を見、実直そうな声を聞いて、彼が言う『私の父』が誰なのかを考えた。
そして自分のするべきことを理解したセルゲイは革袋の口を閉め、相手のほうに押しやった。そして聞いた。
「あんたは、リリアのことが嫌いなんですか?」
相手の男はちょっと虚を突かれたようだった。そして少し考えてから、
「そんなことはないよ」
と、ゆっくりと答えた。セルゲイに対しても、自分自身に対しても、嘘をつかぬように慎重に言葉を選んでいる話しかただった。
「頭が良くて、とても面白いひとだと思う。商人としても尊敬できるよ。父にも気に入られた。私の父が他人をほめるのは珍しいんだ、私たち兄弟にも不平ばかりだしね。父は彼女みたいな息子が欲しかったのだろう。少し…… いや、ちょっと妬ましいくらいだけれど、素直に憧れる気持ちのほうが強いんだ」
へえ、とセルゲイは思った。
「性格はきついですよ」
「私の両親よりは優しいよ」
「はたしてそうでしょうかね」
疑問だと思いながら、彼は続ける。
「何でも損得で判断しますよ」
「商売人としてはそれでいいんじゃないかな」
「見合わないと思われたら、あっさり切られます」
「そうされたら悔しいだろうね。彼女の目にかなう人間でいたいものだが」
なんだ、とセルゲイは思った。
結局この男だって、彼女に首ったけなのじゃないか。あの強くて冷たくて、商売熱心で誰よりも責任感の強いリリアに。
「じゃあ決まりだ、スガスさん。彼女はあんたを選んだんだ。僕と結婚したいとは、もう少しも考えていませんよ。神官の前でリリアと婚姻の絆で結ばれるのはあんただ」
セルゲイの言葉に、『神の秤商会』の四男坊はひるんだ。
「だってそれは、借金のためだろう。彼女はあなたと愛し合って……」
「昔の話です。もう終わったんですよ、彼女の親父さんの船が内海に沈んだときに」
その言葉はまだ苦くて、セルゲイは喉を焼くような強い酒でそれを腹の中に流し込んだ。
「リリアはあんたとの未来を考えている。彼女を幸せにしてやってください。そして、良かったら今夜は僕のために一緒に飲んでください。そうしたら」
そう言って、彼は笑った。
「もしいつか、あんたがリリアにあっさり捨てられるような日が来ても、そのときは酒にお付き合いしますよ」
スガスとリリアは結婚した。
セルゲイは、その後も元『跳ねるニシン商会』とは懇意な取引を続けている。やり手のリリアより、温厚で実直なスガスと商売の話をすることを彼は好んでいるという話だ。
(おしまい)




