恋と秤の物語 (3)
「笑うことはないだろう。これでも、君のことを考えて、何とかならないかって必死なんだぞ」
「ごめん、ごめん」
そう言ってリリアは口許を手で軽く抑え、もう一度まじめな顔を作った。
「でもね、私も考えたの。何とかならないかって。でも、何ともならないのよ。あなたには養わなくちゃいけないお父さんとお母さんもいるじゃない。無理をして私と結婚しても、生計を立てることが出来なくてみんな苦しいだけよ。そのうちきっと、私とあなたはののしりあって暮らすことになる。互いに互いがいなければいいと思うようになる。そんなことになる前に、今のうちに別れたほうがいいのよ。そうしたら思い出だけはきれいなままで残るわ」
「……リリア」
名前を呼んで、そしてセルゲイは絶句する。
なんとかしたいけれど、なんともできない。それはこの三日間、彼が考えていたのと同じ結論で。それでも、彼がどうしても避けたかった結論で。
けれどリリアは、その結論から逃げずにまっすぐに受け止めている。
その結果が、『別れよう』という提案なのだ。
「だけど、君は……。それでいいのか?」
セルゲイはたずねる。彼の手を離そうとしている恋人に、すがるようにたずねる。
「店の権利を渡しても、私が向こうの四男と結婚すれば実際の経営は私たち夫妻に任せてくれるって『神の秤』のご主人に約束させたわ。私、直談判に行ったのよ」
リリアは何でもないことのように言う。
自分がただ悩んでいた間に、リリアが『やり手』と評判の強欲商人と直談判までしていたことにセルゲイは愕然とした。
彼女は続ける。
「そしたら、実際は店は私のものみたいなものだわ。きちんと利益を上げていけば、取り上げたりされることもないと思う。悪くない取引でしょ?」
「でも」
セルゲイの声は震えた。
「そうしたら、君は僕を失うんだぞ」
「そうね。仕方ないわ」
リリアはあっさりと言った。
「あなたはいい商売人だけど、堅実でまじめな、平和な時代に合う商売人なのよ。そういうところが好きだけど、今の私たち一家は、自分の家の壁土も売り物にしなきゃいけないような状態なの。あなたはそういう商売ができる人じゃない。だから、仕方ないのよ。ね、わかるでしょ?」
幼い子に言い聞かせるような口調だった。
セルゲイにもわかってきた。リリアはもう、収支計算を終えているのだ。
彼と一緒になった未来と、『神の秤』の四男坊と一緒になった未来。その両方から得られる得と損を量って、比べて、どちらがどれだけ利益が出て、どちらがどれだけ損失を出すのか考え尽くした。その結果セルゲイは、『利益にならない』と判断されたのだ。
「君は、僕を捨てるんだな」
熟しきらないうちに収穫してしまった、苦い実を噛むようにセルゲイは言った。
「君の人生に僕は要らないと、そう判断したんだな」
「状況が変わったのよ、セルゲイ。父の船が沈まなければ、沈んだとしても父が生きていてくれたら、違う未来があったかもしれない。うちの商売が傾かなければ、あなたといい人生を送れたと思うわ。でも、これから先は一緒にいても、お互い損しか生まないわ。そんなの、もったいないでしょう?」
そう言ったときのリリアは、文字どおり商売で損が出るのを憂慮するときの顔をしていた。そして、そういうときの彼女が決して感情に流されないことを、セルゲイはよく知っていた。
彼女の決断は揺るがない。
リリアの中で、全ては終わってしまったのだ。
そしてセルゲイは理解した。
彼らは不幸な運命に引き裂かれたのではない。リリアは商人としての自分を、男としての自分を見定めて、その上で『別れる』と決断したのだ。彼女の人生を預けるに足らない相手だと判断したのだ。
「……わかったよ。君を助けられなくてごめん、リリア。さよなら」
「こちらこそ、約束を果たせなくてごめんなさいね。あなたと恋人だった間、とても幸せだったわ」
そう言ったときだけ、ほんのちょっとリリアは恋人だったときの顔に戻った。しかしすぐに、
「これからも良い取引相手としてよろしくね。あなたは誠実でとても信頼のおける人だと、私はよく知っているから」
と、商売人の顔で言った。
セルゲイは、どんな顔をしたらいいのかわからなかった。




