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恋と秤の物語 (1)

 本編 ep.240 ~ ep.247「第34話 うちの姉ちゃん」に登場するロハスの姉、リリアの結婚前のエピソードです。彼女はこの番外編集で最初に掲載した「おひめさまごっこ」のヒロイン? セリアの母でもあります。

「ということだから、別れましょう」

 リリアの宣言は非常にハッキリしていたので、セルゲイは一瞬『あれ?』と思った。


 彼とリリアは長年付き合った恋人どうし。

 次の春には結婚しようという話も出ていた。


 内海沿いでも名前の通った老舗の娘であるリリアと、田舎町の小さな店の跡取りのセルゲイ。とても釣り合わないと、初めは彼女の父親は難色を示していた。


 しかしリリアには弟が三人いる。長子とはいえ、彼女は家の商売を継ぐわけではない。ならばセルゲイと結婚して彼の家の商売を盛り立てることに何の問題があるのか。ゆくゆくは実家とも提携すれば、全員が幸せになれるはず。


 勝気な彼女はそう言って父親と議論を繰り返し、ついに納得させた。こうして障害はなくなった、はずだったのだが。


 そんなときに突然、世界に魔物が現れたのだ。どんどん増える魔物により世界は窮屈になった。

 町や村の外の田畑に農作業に行けない。山で猟をするのも、海に漁に出るのも今までの比にならないほど危険になった。


 しかし何よりも影響を受けたのは、彼ら商人である。

 隣の町に商品を仕入れに行くのも、都会にそれを売りに行くのも命がけになってしまった。身を護るためには腕利きの戦士や魔法使いや神官を何人も雇わなくてはならない。そのためには費用がかかる。


 しかしその分を商品価格に上乗せしても、モノは売れない。買ってくれる人々も、魔物のために収入を減らしたり、仕事を失ったりしているのだ。今までより安くしなければ売れないくらいなのである。


 多くの商家が破産していく中、リリアの父親は大きな取引をすることで高い利益を上げ、借金に頼りつつある経営を立て直そうとした。ばくちではあったが、十分に勝算はあった。

 ところが、そのための荷を積んだ船が魔物の襲撃で内海の藻屑と消えた。その衝撃で彼女の父親は心臓発作を起こして急死してしまった。


 リリアと弟妹たちは、一気に倍増した借金を抱えて遺された。

 そして債権者である対岸の金貸しが、ここぞとばかりに店の権利を譲り渡せと彼女たちに迫っているというのである。契約の証に、リリアを息子の花嫁にすることまで条件に付けて。


 ……というのが、先日セルゲイが受け取った手紙に書かれていた状況である。

 それから三日間、彼は悩みに悩んでいた。

 彼女の負った借金は、とても彼に返しきれるものではない。自分の店を手放しても、利息分にもならないだろう。


 だが、このままでは愛するリリアが強欲な金貸しに借金のカタとして連れ去られてしまう。


 一生かけても金は返すからと、相手と談判するべきか。けれどもセルゲイにも年老いた両親がいる。実際問題として、三人を扶養しながら莫大な借金を返済することなど出来るものだろうか。結婚したら子供も生まれるかもしれないのだ。


 考えても考えても答えは出ない。いっそリリアを連れて逃げてしまえればどんなにいいだろう、とまで思った。けれどそんなことが出来るはずもなく……。

 そうやって眠ることも出来ずに、迷宮をさまようように彼は打開策を探し続けていたのだが。


 向こうから会いにやってきたリリアは、ものすごく明快に『別れましょう』と言った。


 あんまりきっぱりしていたので、セルゲイは本気でわからなくなった。自分たちが思いがけない災難に引き裂かれようとしている悲劇の恋人だというのは、彼の夢だったのだろうか。本当は、彼が他の女の子に気を取られたとかでリリアに愛想をつかされ、一方的に別れを告げられているのだったろうか?


「ええと、リリア」

 恐る恐る彼はたずねた。

「僕、何か君に嫌われるようなことをしたのだっけ?」


「いいえ、そんなことはないわよ」

 リリアは歯切れよく答える。

「ええと、じゃあどうして、僕は君に別れを告げられているんだろうか」


 リリアは呆れたといった表情をした。

「父が死んだ話は手紙に書いて送ったじゃない。読んでいないの?」

「読んだけど」

「じゃ、わかるでしょ。あんな借金を背負って、あなたと結婚なんかできないわよ。だから仕方ないじゃない。別れましょう」


 なぜだろう。とても悲劇的な状況のはずなのだが、あまり悲劇的な雰囲気にならない。


 たぶんリリアが『考えたのだけれど、やっぱり高すぎるからこの布を買うのはやめるわ』と言うときのような、そろばんを叩き尽くして結論を出した顔をしているからだ、とセルゲイは思った。


「ええと、あの、でも。君の弟さんたちと妹さんたちは……」


「みんなで計算したの。私が縁談を断るにしても、どうあっても店の看板は相手に渡さなくちゃならないわ。だから弟たちが商売をするにしても『跳ねるニシン』の名前なしで、一からやらなくちゃならない。妹たちを持参金のいらないところに嫁にやって、援助してもらうにしても、孫の代まで働かないと借金は返せないわよ。それも、全員の商売が順調に進んだらという前提でよ。魔物が増える一方のこの世の中で、そんな都合のいい話があると思う?」


 残酷な運命に抵抗しようとするセルゲイのささやかな試みは、全てを言葉にする前にリリアによって完膚なきまでにひき潰されてしまった。


 まるで道に落ちた豆を重い荷車が轢いていったようだと彼は思った。



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