砂漠の月 (1)
ep.153~ep.156「第21話 白い街の姉弟」で登場する姉視点の短編です。現実世界の季節は夏に向かっておりますが作中は冬です。
望楼のてっぺんに立つと、身を切るような冬の風が吹きつけた。
砂漠を渡ってくる風は冷たい。彼女は肩掛けを巻き直して首筋や口許をしっかりと覆った。それで寒さもいくらか耐えられるようになる。
寒いのには慣れていると思った。昔に比べて、館の中もずいぶんと寒々しくなってしまった。
子供のころは良かった。父がいて母がいて、もっと幼いころには祖父母もいた。
使用人もたくさんいて、館全体を暖める大煖炉が冬の間も赤々と燃えていた。弟と二人、自分はいつも走り回っていた。
世界に魔物が現れて、全ては変わってしまった。頻繁に訪れていた隊商はめったに来なくなり、街からは活気が失われた。やがて大量の魔物が街を襲い、父も母も兵と共に殺された。街の人口は半分以下になった。
あの日から彼女の世界は灰色だ。
オアシスの木々の間から見える砂漠のように、何もかも荒寥としてしまった。
父母の無残な遺体を見たときから、全てに薄い布がかけられたように現実感がない。
(いつか遠い日に街を訪れた、旅芸人が演じた芝居のよう)
(風景は板に描かれた書き割りのよう)
(目に映るひとも皆、人形遣いが操る人形みたい)
(私自身もそう……)
彼女は軽く首を振って、浮かんできたその言葉を心の奥底に沈めようとする。
寂しい暮らしに、太守代理という大責に、きっと自分は疲れている。それだけなのだ。
「姉さま。また、こんなところにいた」
声がした。望楼に続く長い階段に、いつの間にか弟が立っていた。
「体を冷やしてしまうよ」
自分の肩掛けを取って彼女に巻き付け、そっと自分を抱きしめる。その体も手も温かいはずなのに、気持ちが少しも動かない。
どうして自分はこんなに冷たい人間になってしまったのだろう。
自問しても答えは出ない。
答えが出ないので、仕方なくただ弟の手を自分の体からはずす。
「大丈夫よ。ときどきは誰かが見張りをしないといけないでしょう」
「そんなこと。必要なら僕がやるよ」
弟は言う。
自分が男に生まれていれば、こんな顔だったのだろうか。鏡をのぞき込んでいるように自分とよく似た顔。死んだ母親の面影を宿す顔。それなのにやはり、心の底が冷たいままだ。
「いいのよ。貴方は勉強をしなくては」
だから自分の声は、玻璃の杯を打ち鳴らした音のよう。
「お父さまの跡を継ぐのはあなたなのですから」
ひとが持つはずの温かみがない。
「……うん。ごめんなさい、姉さま。負担をかけてしまって」
悲しそうな顔をする弟に、ようやく少しだけ心が動いた。
「いいのよ。あなたを立派な太守に育てるのが、私の務めなのですから」
そう言って自分と同じ金色の髪に触れた。
「姉さま。僕は姉さまだけが頼りなんだ。どうか僕を見捨てないで」
「馬鹿な子、ハールーン。もう私より背が高いのに」
いつまで経っても頼りにならない。そんな弟を情けないと感じると同時に、自分を必要としてくれていることをどこかで喜んでいる。
そしてそんな矛盾した感情を持つ自分を、別の自分が冷ややかに眺めている。
(何度このやりとりを繰り返しただろう)
(台本を読む役者のように)
(同じセリフを何度も何度も)
堂々めぐりに気付かないふりをして。
停まった時間に気付かないふりをして。
同じ場面を演じ続けている。
「でも」
唇から言葉がこぼれた。
「いつまでもこのままではいられないわ。そうでしょう」
「そうだね。いつまでもこのままではいられない」
弟が応える。
「時は過ぎていくのだから」
「うん。時は進んでいくのだから」
肯定されているはずなのに、心の底がどんどん冷たくなっていく。
誰もいない荒野に二人きりでたたずんでいるような心細さに、彼女は震えた。




