風の翼の恋物語 (5)
「だから、ちょっと待て。落ち着いて考えろって船長。どう考えたって、飛び込んだって先はねえ」
舷側ではアーレンはじめ四人の乗組員たちが必死で船長を止めていた。
「じゃあ他に方法を考えなさい。このままみんなで魔物を眺めていたって状況は変わらないぞ。船が沈むだけだ」
ティンラッドは言い張る。破綻しているようで、微妙に筋が通っているのが腹が立つ、とアーレンは思った。
それにしても、と彼は考える。
ゲイルは来ても役に立たないが、ローズマリーは何をしているのだ。
元気だけは余っている船長を押しとどめるのは老骨の手には余る。怪力自慢の彼女が手伝ってくれれば船長のことは任せて、次に打つ手を考えることも出来るのだが。
そのときだ。この場にそぐわない音が聞こえた気がした。
荒れ狂う風と波で、すぐ傍にいる者の声を聞き取るのも難しいはずなのに『音』が…… いや。これは『音楽』だ。
アーレンは振り返った。ティンラッドも、他の船員たちも音のするほうを見た。
甲板の真ん中に立って、高揚した表情のゲイルが竪琴を一心にかき鳴らしていた。
「ゲイル、どうした。何をやってる」
アーレンは怯えた。逃げ場のない状況に、神経の細やかな若い仲間が精神の平衡を失ったかと恐れた。
「皆さん。ボクは今、とても幸せです」
ゲイルは明るく微笑んだ。
波風の中でも彼の声はよく通った。体は細いが声量はあるのだ。
やっぱりだ。アーレンは自分が絶望に囚われるのを感じる。
気の毒に、あの青年はこの恐怖に耐えきることが出来なかったのだ。
彼のためにはその方が良いのだろうか。どうせこのまま沈没を待つか、魔物に殺されるのを待つのみ。それならば心だけでもひと足先に、神の国へと飛翔したほうが幸せなのかもしれない。
だが、彼は自分の間違いをすぐに思い知ることになった。
「もう一度言います。ボクはとても幸せです」
ゲイルは高らかに告げた。
「ずっとひそかに想い続けていたひとが今、ボクのものになると約束してくれたからです」
「はあ?」
アーレンの口はぱっくりと開いた。
自分が思っていた以上に、ゲイルの壊れっぷりはひどかったらしい。一瞬そう思ったのだが、
「やだ、ゲイル。そんなこと大声で。恥ずかしいよ」
この船の誇る怪力無双の女戦士が、そこらの娘っ子のように顔を赤らめてそう言っている姿に、壊れたのは自分なのかと疑った。
だがどうやら本当のことらしい。
「そうか。良かったなゲイル」
傍らの船長が、のん気にそんなことを言っているからだ。
「はい! ありがとうございます、船長」
ゲイルは顔を赤らめてうなずいた。白く細い指先が弦の上をすべり、竪琴をかき鳴らす。
「ボクは嬉しい。今のこの気持ちを、歌にせずにはいられない!」
雲行きがおかしい。そう感じてアーロンは青くなった。
「ちょっと待て。やめろゲイル。歌うな」
「歌わずにはいられない!」
「やめろって。おいみんな、ゲイルが歌うぞ。耳を塞げ!」
説明が必要であろう。
ゲイルは竪琴の名手であり、優れた楽師である。竪琴だけを奏でているうちは。
しかし彼には歌の才能はなかった。率直に言って、最悪の音痴だった。
そのくせ、声量だけはやたらにある。うるさい。
更に昂りやすい体質なので、歌っている時は自分に思いきり酔っている。自分の歌声を客観的に把握できない。つまり音痴だと気付いていない。
おまけにその体質のせいで、本来なら高い技術を誇る竪琴の腕まで鈍る。感情が昇り詰めるままに演奏も速くなったり遅くなったり、和音も狂うし旋律もズレる。
要するに、『歌っている時のゲイル』は楽師でも何でもない。ただの騒音発生装置なのだ。
ついでに、即興で付ける歌詞の方も最悪だった。根本的に才能がない。
およそ音楽を解するものであれば、全ての生物を混乱に陥れる最終兵器。
そこまで言われたことさえあるゲイルの(負の)才能が、解き放たれようとしているのだ。




