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風の翼の恋物語 (3)

 数日、港町に停泊したあと船は海に出る。


 『風の翼』は定期的な航路を行き来する商船ではない。船長であるティンラッドの気の向くまま、貨物の輸送を引き受けたり、誰かの護衛を引き受けたり、ときには『珍しいものがあるらしい』という噂だけでどこへとも知れない場所へ向かって船出する。


 仕事を選ぶ際に、航海の危険度はあまり考慮されない。報酬の額も関係ない。

 要は、ティンラッドの気持ちを動かす何かがあるかどうか。それが全てだ。

 そんな彼の二つ名は、誰が呼んだか『厄ネタ拾い』。関わると悪運に巻き込まれるという噂である。


 『厄ネタ拾い』のティンラッドの、悪運を呼ぶと噂の船『風の翼』は港町から北に向かった。今回は荷運びという比較的マトモな仕事である。会計も預かる操舵主のアーレンが、『この仕事は受けておくべきだ』と何度も言って船長に引き受けさせた。


 ティンラッドはやや不服そうだったが、船員たちは今回は少しは安心できると胸をなでおろしていた。

 だが、そうは問屋が卸さないのが、この魔物時代の恐ろしさである。あるいは、悪運を呼び込む厄ネタ拾いの面目躍如といったところか。 


「ダメだ船長。この嵐じゃ矢が全部海に落ちちまう」

 射手のティヴェールが絶望の叫びをあげた。

「攻撃が届かねえ。どうしようもない」


 少し前まで晴れていた空は、今は真っ黒な雲に覆われている。風と波が荒れ狂い、船体を激しく揺さぶり続ける。

 乗組員たちは船の外に放り出されないようにするだけで必死だった。この事態を引き起こしているのはあの魔物たちに違いない。


 波の上に立つ三体の白い影は歌っていた。美しい女の声にも聴こえるそれは高くなり低くなり、ときに調和し、ときにはひとつの旋律が主になって他を従え響き渡る。


 この声が聞こえ出した時から天候が急激に変わった。船は老練なアーレンの操舵も受け付けなくなり、波風に翻弄されるばかり。弓矢も届かないとなれば反撃のすべがない。


「よし、わかった。私があれを倒しに行ってくる」

 船長のティンラッドはそう言って、長い脚を無造作に舷側にかけてそれを乗り越えようとした。

「待て待て、船長」

 みなが止めた。


「どうする気だよ。相手は『波の上』にいるんだぜ」

 乗組員たちの言葉に、ティンラッドは不思議そうに首をかしげる。

「泳いでいけばいいじゃないか」


「いや、この波を見ろよ。無理だって」

「泳ぎは得意だぞ」

「いくら船長でも溺れるよ。やめてくれ」

 総出で止めなくてはならなかった。


「だが、泳がないならどうするんだ。近付かないと攻撃できないぞ」

 ティンラッドの問いに、しかし誰も答えられない。

 悪天候の中、海に飛び込むのは自殺行為だ。しかしこのまま魔物を倒せないのなら、やはり船は沈む。


 今度こそ詰んだかもしれない、と誰もが思った。


 この船に乗り込んだ者は、破天荒な船長に付き合わされるたびにそう思うのが慣例のようなものだが。そして最後には『この船に乗ると決めた瞬間が年貢の納め時だった』と諦観と共に呟くようになるのだが。


 本当に今回ばかりは、どうにも希望が見えない。何しろ敵は波の上なのだ。

 ティンラッドの刀も、ローズマリーの棍棒も、ほかの誰の武器も届かない。

 魔術師の呪文も風の音にかき消されてしまうし、頼みの綱のティヴェールの矢も当たらないとなれば、船の上の人間たちはなすすべがない。


「やっぱり泳ごう。誰か一緒に来ないか」

「おい、船長を止めろ。みんな手を貸せ」

 もはや魔物の相手をどうするかより、海に飛び込んで戦いに行こうとする船長を止めることが船員たちの主な仕事になっていた。


「こりゃあ、今度こそダメかもね」

 ローズマリーが呟くのをゲイルは聞いた。

「あんなに敵が遠くちゃ何も出来ない。戦闘でなら船長にも負けないと自惚れていたけど、あたしに出来ることなんかろくにない。ここに突っ立って船が沈むのを待っているしかないのかねえ」


「そんな、ローズマリーさん」

 ゲイルは胸を衝かれた。いつも自分を守ってくれた強い彼女が、弱音を吐いている。

「あなたは強いですよ。船長だって力じゃ敵わないかもしれない。何度もボクを助けてくれたじゃないですか。そんなことを言わないでください」


「ありがとう、ゲイル」

 緑の瞳が悲しげに彼を見る。

「だけど、今のあたしはあんたを守ってあげられないよ。船長はいつもどおりだけど、あたしはダメだ。一緒に海に飛び込む勇気もない」


「仕方ありませんよ。船長の刀は軽いけど、その棍棒を持って飛び込んだらローズマリーさんが沈んじゃいます」

 ゲイルは何とか彼女を元気づけようとしたが、言葉は空回りするばかりだ。その名で海の男たちを震え上がらせる女戦士の目に力は戻らなかった。


 見回せば、誰の目にも同じ絶望の光が浮かんでいる。『海に飛び込んで魔物のところまで行く』と言い張っている船長だけはいつもどおりだが、ほかの皆はただ、避けられない死をせめて少しでも遅くしようとしている、そんな表情だった。


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