第八十六話 ご褒美
穏やかな日差しが差し込む部屋には、2人分の鼓動だけが規則正しく流れている。ベットの真ん中にちょこんと座って、目の前の人と向き合う。枕を背もたれにして、上体を起こしているマスター。私は彼のちょうど膝辺りの膨らみに乗っているのだろう。
『動いて大丈夫なんですか?』
「転移術だからほとんど体は動いてないぞ?」
当たり前のように返ってくる言葉に、この人が白竜と出会う前から大魔術師であったことを思い出す。
『大魔術師は健在ですね』
「白竜の力がないから魔力はだいぶ減ってしまった。だが人間レベルの魔法なら問題ない」
その発言が問題なんだけどな。
ふと彼の弟子の顔が浮かんだ。
『化け物……』
「あいつならそう言うだろうな」
ふっと笑ったマスターの目尻が下がった。
プツリと途切れる会話。騎士団だろうか、窓の下から楽しそうな笑い声が聞こえ、通り過ぎていく。
『帰還条件……聞きました?』
「大魔術師の死。安心しろ。俺はもう長くない。帰れるだろう」
私はマスターを見つめる。その目から心の中を読むように。
「なんだ?」
意地の悪い顔でニヤリと笑うマスター。試すような物言いは変わらない。
『気づいてますよね?』
「お前は勘が鋭いな。まだ誰も気づいてないだろう……サントスなら可能性はあるがな」
私はうつむき、ゆっくり窓の外に視線を向けた。
『天昇の儀をようやく見れます』
ポツリと零した言葉が、穏やかな空間に溶けていく。
再び静寂が訪れる。会話が途切れるのにそれが心地いい。入り込む光をボーッと眺めていると、マスターが小さな声を発した。
「俺が気づいていればカレンは魔王にならなかった」
マスターに顔を向けると、彼も光を見つめていた。私は口を開きかけて閉じた。どんな言葉も稚拙に聞こえてしまう。
『懺悔、ですか? いい聖職者紹介しますよ』
「……ライネルか。なるほど、俺の正体に気づいたのはあのハーフエルフか」
バレてしまったことに申し訳なくなって目を逸らした。今の会話で気づくなんて……本当にマスターは侮れない。墓穴を掘ってしまった。
『ライネル様のおかげで今の私がいます。迷っている人を導いてくれるのが聖職者なんですね』
「そうだな」
素っ気ない返事が気になった。マスターはまた光を見つめている。
『珍しく凹んでますね』
マスターは、口角を上げて私を見た。
「お前は遠慮というものがなくなったな」
『そうかもしれないです。なんせ黒竜になっちゃいましたから』
冗談交じりに言うと、マスターの顔から笑顔が消えた。
「すまなかった」
『あなたが謝ることじゃないです。それにこれは自分で決めたことです』
意外だった。いつもの余裕顔で意地悪なことを言われると思ったのに。
私はなぜか居心地が悪くなり、それを払拭するように明るい声を出した。
『そんな凹んでる大魔術師様にご褒美です!』
「褒美?」
「前言ってたじゃないですか。どんな褒美をくれるんだ、と」
マスターは少し悩んだあと、思い出したように、あぁ……と言った。
「そんなこともあったな。で? 何をくれるんだ?」
いつもの雰囲気に戻り、私はこっそり胸を撫で下ろした。
『あなたが欲しがったのは"私 "ではなく" 絆"ですよね?』
見つめ返してくるマスターの表情からは何も読み取れない。怒っているのか、図星で言葉が出ないのか……。
圧に負けそうになるのをグッと堪えて、言葉の先を続ける。
『その身が尽きるまで、かなこを支えてください』
居心地の悪い沈黙が流れる。
「それが褒美? 願いのように聞こえるが?」
声のトーンから怒りが見えないのを確認して、力が抜けた。
私は緩んだ頬をうつむいて隠す。
『お願いも半分入ってます。でも、それがあなたをこの世に繋ぎとめるものになる』
マスターが笑って、呆れたように後ろの枕に体重をかけた。
「勝手な奴だ……。断ったらお前との『絆』が断ち切れる、というわけか」
『絆』は二面性を持つ。
人と人を繋ぐ信頼。そして、それから逃れられない義務や束縛。
『あなたが欲しいと言ったんですよ?』
「そうだな」
マスターは何かを懐かしむような顔になった。白竜のことでも考えているのだろうか……。
『ありがとうございます』
するりと口から出た言葉は謝罪ではなかった。自分で自分に驚いたが、その返事にも驚いた。
「俺こそ……お前には助けられた。今なら、黒竜がお前を選んだ理由が分かる気がする」
驚きを隠すために悪態をつく。
『褒めても何も出ませんよ』
「全く……素直に受け取らないところは、ダルシオンの影響か?」
「あの人とは色々ぶつかりましたからね」
かなこに通訳をしてもらいながら、ダルシオンさんの心を読んだことを思い出す。駄々っ子魔術師。今思うと、誰よりも素直な人だった。
『ダルシオンさん……ちゃんと準備してるみたいですね』
「誰にでも別れは訪れる。それにどう向き合うかだ」
『弟子と認めてます?』
「認めてるさ。出会った時から」
『そうですか……よかった』
心の中でダルシオンさんに「良かったね」と伝える。
すると、突然部屋の扉が開いた。マスターが魔法で開いたようだ。
そして、私は入口で呆然と目を丸くしている人物の名前を呼んでしまった。
『かなこ?!』
「あ……バレた……」
「俺にバレてないと思ったのか?」
意地悪な笑顔を向けるマスターに、かなこはビクビクしながら謝った。
「す、すみません」
いつから聞いてたんだろう。ちょっと不安になる。聞かれてない……よね?
「カルロにでも頼まれたか?」
「おっしゃる通りで」
マスターの尋問に答えるかなこ。かわいそうだけど、とばっちりはごめんなので黙っておく。
「そんなことしてないで、天昇の儀の準備でもしてろ」
「はい……」
部屋を後にしようとするかなこが、私をチラッと見た。何を言いたいのかすぐに分かり、私はため息交じりに飛んで行って、かなこの腕の中に収まる。
扉が閉まる時に見えたマスターは、優しくて穏やかな顔をしていた。
「海、何話してたの?」
廊下を歩きながらかなこが聞いてきた。
『んー。かなこを虐めないでくださいって言ったの』
頭の上からため息が降ってきた。
「それは助かる……もうほんとに、あの無言の圧力って言うの? 怖いんだよ。しかも笑顔」
『ダルシオンさんも、やつれてるもんね』
「あの鬼畜魔術師が『鬼畜……』ってボソッと言うくらいだからね。本当にひどい」
その通り過ぎて笑ってしまった。
マスターは人が変わったように、ダルシオンさんに容赦なく魔法と知識を叩き込んでいる。ついで、ということで巻き添えを食らっているかなこ。ここ最近の魔法室は常に緊張感に包まれているのだ。
疲れきった顔のかなこを見上げながら、私は声をかけた。
『かなこ、ごめん』
「ん? なにが?」
かなこは不思議そうに見下ろしてくる。
『騎士団のところ行こう! ジョンとチャミの様子見たいから通訳して!』
「はいはい……って正反対の方向に来ちゃったじゃん!」
予想通り鋭いツッコミが返ってきて笑った。
『あははは! だから、ごめん、って言ったじゃん!』
「もーー!」
来た道を戻るかなこの声が廊下に響き渡った。
最後までお読みくださりありがとうございます。
感想、レビュー、評価など頂けたら励みになります。
次回の更新は【5月6日 21:00】を予定しています。
毎週 月曜、水曜、金曜の21時更新です。




